前夜
七本目の心臓を動かす前日。
花の台地が騒がしかった。プレイヤーたちが百人以上集まっている。明日何かが起きるという空気が広まっていて、見届けたいというプレイヤーが増えている。
レクトが広場の隅で仲間に指示を出していた。〈白霧の進軍〉のメンバー十五人が、脈道と根の通路の警備に当たっている。
「レクト。警備までやってくれるのか」
「トワさんたちが心臓に集中できるように、周りは俺たちが守ります。釣人の仕事は釣りだけじゃないですから」
「ありがたい」
「あと、根釣りで引き上げた脈動石、余ってるのでタマキさんに渡しておきました。調合に使えるかもって」
「気が利くな」
「釣人は気配りの職業ですから」
「それは初耳だな」
「今つくりました」
◇
ゼクスが柱の回廊を歩いていた。暗殺者のフードを被ったまま、七本の柱の間をゆっくり歩いている。
「ゼクス。何してる」
「下見だ。明日、根の影で移動するルートを確認してる。心臓の周囲の根の配置を頭に入れておきたい」
「根の影で何をする気だ?」
「トワが心臓にエネルギーを注いでる間、何かあったら俺が最速で動く。影の中を通って、どこにでも一瞬で行ける。護衛係だな」
「護衛係。……それは、頼もしいな」
ゼクスが少しだけ笑った。普段は表情を変えない男だが、こういう時だけ笑う。
「お前が頼もしいなって言うの、珍しいな」
「たまには言うさ」
「ああ、たまにでいい。毎回言われたら落ち着かない」
◇
アストレアがハルと一緒に花畑の端で祈りの練習をしていた。第三位階の守る祈りを展開して、結界の範囲を広げたり縮めたりしている。
「アストレアさん、結界の範囲が昨日より広くなってません?」
「根脈共鳴のボーナスが乗ってるからだと思います。根の天蓋に来てから、祈りの精度が上がってるんです」
「すごいですね。アストレアさんの成長を記録したいですが……わたしも準備をしないと……」
「ハルさんは、何を準備するのですか?」
「パーティーメンバー全員のクラスやステータス、レベル、スキル、ダメージ、あとアイテムもメモしています。もしもの時に備えて、最善手を尽くせるようにと記録しています」
「それは……なかなか真似できない芸当ですね。記録は、そのメモ帳で?」
「はい、手帳も新しくしています。これは、明日用の!」
ハルが真新しい手帳を見せた。表紙に「七本目」と書いてある。
「大事なイベントには専用の手帳を用意するんです。深淵レイドの時も、専用手帳でした。戦闘に突出していない分、こういったところでサポートできればなと……」
「へえぇ……いまは、何冊目なのですか?」
「BCO通算で三十二冊目です」
「三十二冊……」
「全部保管してあります。単に、準備というだけでなく……どれも、わたしの宝物ですね」
◇
ダリオが花の台地の端に座って、海の方角を見ていた。地下なので海は見えないが、方角だけは気にしているらしい。
「ダリオ、海が恋しいのか?」
「おお……トワか。いや、マリドゥスに伝言を送ってたんだ。明日、吠えてくれって」
「吠える?」
「マリドゥスの咆哮は海を越えて響く。万獣の咆哮もそうだろう。二頭が同時に吠えたら、地上から世界の根まで、震動が届くかもしれない」
「万獣とマリドゥスの同時咆哮か。考えたな」
「海の男はな、陸の仲間を忘れない。地下の仲間も忘れない。全部繋がってるからな、海も、陸も、地下も」
ダリオの声はいつもよりちょっとだけ小さかった。
それでも普通の人の倍くらいの音量だったが。
◇
タマキがナギの隣で、最後の薬の点検をしていた。
虹の雫。一瓶。姿固定薬の改良版。写空の戦薬。回復薬。全部並べて、品質を確認している。硝子蛙がけろけろ言いながら一本ずつ光り方を変えている。全部合格だ。
「ナギさん。明日の後、しばらくここにいますか」
「いるよ。ここの素材は面白いし、しばらく研究したい」
「じゃあ、また一緒に調合できますね」
「ああ。いつでも」
ナギが薬草を刻みながら言った。
「タマキ。明日は、いい薬師でいろ」
「いい薬師って……どういう意味ですか?」
「必要な時に、必要な薬を、必要な人に渡す。それだけだ、難しいことは何もない」
「必要な人に……はい、必ずそうします!」
◇
夜。根の寝床。
セレスがトワの胸の上で丸くなっている。メブキもセレスのお腹の上で丸くなっている。二段丸まり。
グランが隣の寝床にいた。杖を抱えて横になっているが、眠れていない。目が開いている。
「グラン。眠れないのか」
「眠れない……三度目だ」
「三度目?」
「何千年前に穴の前で待った最初の夜。原初の世界に来た夜。そして今夜……三回とも眠れなかった」
「寝なくても大丈夫なのか?」
「旅人に睡眠は必須ではないが……眠れないのは、落ち着かない」
「何が不安なんだ」
グランが天蓋を見上げた。虹色の膜を通して、原初の世界の空がぼんやり見えている。
「会えることは嬉しい。何千年も待った。でも、会った時にあの人がどんな顔をするのか、想像がつかない。怒るかもしれない。笑うかもしれない。忘れているかもしれない」
「忘れてたら、どうするつもりだ」
「……思い出させる。何千年分の記憶を、全部」
「全部は多いな」
「多くていい……全部話す。最初に出会った日から、ベンチで待った日まで」
トワも同じ天蓋を見つめた。
「グラン。一つ聞いていいか」
「何だ」
「あの人の名前は、知らないんだよな」
「ああ……知らない。二人とも、名前がなかった。名前をつける力を持っているのに、自分たちには名前がない。……おかしな話だ」
「確かにおかしいな。……でも、名前はつけられるだろ」
「つけられるとは……いったい、誰が?」
「俺が」
グランがトワを見た。
「お前が……わたしに名前をつけるのか」
「まだ考えてない。でも、いずれ。必要になったら」
「必要になる、か」
「ああ。たぶんなる」
グランが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、待っていよう。今度は、長くは待たないだろうな」
「ああ、待たせないさ」
◇
ログアウトした。
スマホが鳴った。
電話は、宮瀬からだ。
「久坂くん。明日だね」
「ああ。明日」
「わたし、虹の雫をちゃんと渡せるか、ちょっと緊張してる」
「渡すだけだろう。飲むのは俺だ」
「でも、あの薬はわたしが作ったから。もし効果が足りなかったらって考えると……」
「足りる。ナギとメブキと三人で作った薬だ。足りないわけがない」
「……ありがと。久坂くんに信じてもらえると、安心する」
「信じてるんじゃない。知ってるんだ。お前の薬が効くことを。九千回見てきた」
「九千回……数えてたの?」
「根脈共鳴で出た数字だろ。覚えてる」
「久坂くんがわたしの調合回数を覚えてるの、ちょっと嬉しいんだけど」
「システムが表示しただけだぞ」
「でも、覚えてるんでしょ」
「……覚えてる」
「ふふ。おやすみ、久坂くん。明日、頑張ろうね」
「ああ。頑張ろう」
電話を切った。
明日、七本目の心臓を動かす。全員で。
窓の外に星が見えていた。ゲームの世界じゃない、現実の星。
どっちもきれいだ。
それを言えるようになったのは、歩いてきたからだろう。
トワはベッドの中で目を閉じた。




