《心臓を巡る》
根の寝床で目を覚ましたら、セレスがトワの顔の上で寝ていた。
角が鼻に刺さりそうだった。
「おい……起きろ。人の顔の上で寝るな」
「んにゅ……あと、ごふん」
「五分も待ったら、角が鼻に刺さるだろ」
「セレスのつの、やわらかいから、だいじょーぶ」
「柔らかくない。硬いぞ」
「むぅ~……」
セレスが渋々起き上がった。寝ぼけた目でトワの鼻を見ている。
「ほら、さされてない」
「刺さる前に起こしたからな」
「じゃあ、だいじょーぶだった」
「大丈夫じゃなかった場合の話をしている」
「セレスはしてない。ほら、だいじょーぶ」
ちなみに、タマキはもう起きていた。というか、寝たのかどうか怪しい。根の樹液を使った調合を夜通しやっていたらしく、瓶が六本も増えていた。
「おはようございます、トワさん。《根脈抽出》、試してみました。すごいですよ」
「ちゃんと寝たのか?」
「三時間くらいでしょうか。硝子蛙が品質チェックしてくれるから、効率がよくって」
硝子蛙が鞄の上でけろっと鳴いた。品質保証済み。
トワは、「あとごふん」とだだをこねるセレスを摘まんで、記憶の回廊に向かった。
◇
記憶の回路。七本の通路の一本目に入った。
通路は、根でできている。壁面を金色の根脈が走っていて、奥に行くほど光が強くなる。
脈動が速くなる……心臓に近づいている。
歩きながら、足元に意識を向けた。原初の歩法が発動しているはずだ。
【原初の歩法:現在の歩行距離 482m → ATK+4.8 / DEF+4.8】
歩いた距離に比例して強くなっていく。数字は小さいが、これが積み重なる。世界の根を探索すればするほど、トワは強くなり続ける。
「トワさん、《原初の歩法》のステータス上昇、見えてますか」
「見えてるが、まだ微量だ」
「微量ですけど、上限なしって書いてありましたよね。つまり、世界の根を歩き尽くしたら——」
「相当な数字になるだろうな」
「旅路の極意の上位版……歩く旅人に最適化されたスキルですね」
十分ほど歩くと、通路が開けた。
【柱の心臓】。
部屋の中央に、金色の結晶が浮かんでいた。直径二メートルほどの球体。脈打っている。
どくん、どくん……根脈と同じリズム。部屋全体が金色の光に満ちていて、暖かい。
「これが……柱の心臓か」
「不気味なのに、きれいですね……」タマキが息を呑んだ。
ヒトミが言っていた。
心臓に触れると、世界が分かれた時の記憶が再生される。一本目は「表の世界から見た分離」。
心臓に手を触れた。
◇
記憶が流れ込んできた。
空の上にいた。雲の上。世界を上から見下ろしている。表の世界の視点。
大地が一つだった。海があり、山があり、森があり、草原がある。一つの世界。原初の世界がそのまま広がっている。
二人の旅人が歩いている。小さく見える。上から見ると、二人の足跡が大地を描いている。道が網目のように広がっていく。
そして——一人が立ち止まった。
もう一人が先に歩いていく。暗い方へ、見えない場所へ。
立ち止まった方が追いかけようとした。だが——追いかけなかった。
その瞬間、大地に亀裂が入った。
二人の足跡が重なっていた場所から、裂け目が走った。大地が割れていく。一人が立っている場所が上に持ち上がり、もう一人が歩いていった場所が下に沈んでいく。
そうして世界が——三枚に分かれた。
上が表の世界。中間がソルシア。下が深淵。二人の旅人の足跡が重なっていた場所が裏世界になり、一人だけの足跡しかない場所が表と深淵に分かれた。
分離の瞬間を、空の上から見ていた。
◇
手を離した。
「……見えたか」
「見えました。上から……世界が三枚に分かれるところを」
「二人が離れた瞬間に亀裂が走った。二人の足跡が重なっていた場所が、ソルシアになった」
「トワ」セレスが肩の上で角を光らせた。「ソルシアが、ふたりのあしあとのかさなりだった。だから、ソルシアには、ふたりのきおくがのこってたの」
「そうか……ソルシアで見た記憶の断片は、二人の足跡の残りだったのか」
一つ目の心臓の記憶。表の世界から見た分離。全体像がわかった。
あと五つ。隠された記憶が残っている。
◇
二本目の通路に入った。
ここでシステム通知が流れた。トワ宛てではない。全体通知。
【世界の根へのアクセス条件を満たしたプレイヤーが増えています】
【現在のアクセス可能プレイヤー数:14名】
「他のプレイヤーも来始めるのか」
「封印解除と精霊の記憶覚醒はトワさんたちがやったから、条件は別のものですかね。命名数とか」
三十分もしないうちに、根の回廊から声が聞こえてきた。
「おーーい! トワさーーん! 来たぞーーー!」
レクトだった。〈白霧の進軍〉のメンバー五人を連れて。
「レクト。来れたのか」
「命名数が五以上のプレイヤーに条件が解放されたみたいです。タマキさんの写空の霊薬のおかげで命名できたメンバーが何人かいたので!」
レクトたちが脈動の広場に足を踏み入れた瞬間、全員にシステムメッセージが表示された。
【根脈共鳴が発動します】
ある旅人クラスのプレイヤーが、自分のボーナスを見て固まった。
「……総歩行距離、840km。移動速度プラス8%、回避率プラス4%」
「トワさんは?」レクトが聞いた。
「28,400km」
もちろん、全員の反応は沈黙だった。
「あの……桁が、違いすぎません?」
「三十倍以上の差があるな」
「三十倍……」
レクトが次の項目を見た。
「総戦闘回数……ああ、俺は釣り専だから戦闘回数が少ないな。87回って」
「トワさんは7,528,680回です」レクトの部下が代わりに言った。
「比較しないでくれ。心が折れる」
「でもレクトさん、総採取回数を見てください」
タマキが画面を指差した。
【レクト 総採取回数:42,300回 → ドロップ率+423%、素材品質+211%】
「四万二千回!?」レクトの部下が叫んだ。
「ドロップ率プラス423%って何ですか!? 素材品質プラス211%って!!」
「……釣りだな。毎日釣ってたから」レクトが照れくさそうに頭を掻いた。
「レクト。お前のドロップ率ボーナス、俺より遥かに高いぞ」
「え、トワさんよりも?」
「俺の採取回数は三千くらいだ。お前の十分の一もない」
「釣りしかしてないから……釣り以外のステータスが死んでるんですけどね……」
「世界の根では根の樹液とか脈動石とか採取できる素材が多い。お前のドロップ率なら、レア素材がぼろぼろ出るはずだ」
「釣り専が世界の根で輝く日が来るとは……」
レクトの部下の一人が、フォーラムに書き込んでいた。
「あの、トワさん……もう書き込んでいいですか」
「好きにしろ」
◇
レクトたちが広場で根守と会話を始めている間に、トワとタマキは二本目の心臓を見に行った。
二本目の通路は一本目より長かった。二十分歩いた。原初の歩法のボーナスがじわじわ上がっていく。
【原初の歩法:累計歩行距離 3.2km → ATK+32 / DEF+32】
「世界の根に入ってからの歩行距離だけで、もうATKが32上がってますね」
「探索すればするほど強くなる。ここでは立ち止まることが一番の損失だ」
二本目の柱の心臓。ソルシアから見た分離の記憶。
手を触れた。
今度は地上の視点だった。裏世界ソルシアの地面に立っている。
世界が裂ける瞬間。足元の地面が二人の足跡の形に光っている。足跡が重なっている場所だけが残り、それ以外が上と下に分かれていく。
残された地面——ソルシアの大地が震えている。上に引っ張られる力と、下に引っ張られる力の間で。中間に取り残された世界。
そしてソルシアの大地に、二人の足跡の記憶が染み込んでいく。笑った場所。泣いた場所。一緒に寝た場所。全部が地面に残って、ソルシアの記憶になった。
ノクスが守ろうとした世界。二人の旅人の足跡でできた世界。
手を離した。
「ソルシアは、二人の記憶そのものだったのですね……」タマキが呟いた。
「二人が一緒に歩いた場所の集合体。だから記憶が濃かった。だからノクスはあの世界を守ろうとした」
「ノクスさんは知ってたんですかね。ソルシアが何でできているか」
「知っていただろう。知っていたから——命をかけて守った」
三本目以降はまた明日にしよう。今日はとりあえず、二つの記憶で十分だ。
広場に戻ると、レクトが根の壁面に向かって釣り竿を構えていた。
「レクト。何をしている」
「根釣りです。根の祝福で解放されたスキル。根の隙間に釣り糸を垂らすと、中に埋もれた素材が釣れるらしくて」
釣り竿がしなった。レクトが引き上げた。根の隙間から、金色の石が出てきた。
【脈動石を入手しました!】
【ドロップ率ボーナス+423%の恩恵により、レア素材が出現しました】
「脈動石……! レアが一発で!」
「釣りで、鉱物が取れるのか……?」
「ドロップ率ボーナスのおかげかもしれませんね」
レクトが照れくさそうに二本目の釣り糸を垂らした。根の中から何が出てくるのか、釣り師の顔をして待っている。
「トワも、つり」
「セレス、俺は釣り専じゃないぞ」
「でも、なんかつれる」
「まあ……試しにやってみるか?」
「セレスが、つの、ひからせる。えもの、おびきよせる」
「流石に、鉱物は光に酔ってこないと思うぞ……」
試してみたら、意外と釣れた。セレスの光のおかげか、はたまた……。
セレスがえっへんと胸を張っている一方、トワはなぜ釣りで鉱物が釣れるのかと、終始微妙な顔をしていた。




