夏の終わり
日曜日。現実世界、八月の終わり。
冬夜は大学の図書館にいた。夏休みの課題レポートを書いている。BCOのコミュニティ研究──ゼミの追加レポート。
隣に宮瀬が座っていた。同じく課題をやっている。──ただし宮瀬の手元には、BCOの新素材メモがノートの端に書き込まれている。
「宮瀬、課題とゲームのメモを同じノートに書くな」
「あっ……バレた?」
「バレるだろう。星果実の成分分析が、レポートの行間に挟まってるぞ」
「だって、星果実の自己発光効果がすごく気になって、現実の生物発光と比較したら面白いかなって──」
「それは薬学のレポートであって、コミュニティ研究のレポートではない」
「うう……」
図書館の窓から、夏の終わりの光が差し込んでいる。キャンパスの木々はまだ緑だが、どこかに秋の気配がある。まだ夏だが、夏の終わりの空気。
「ねえ久坂くん」
「なんだ」
「新大陸──楽しいね」
「ああ」
「星のモンスター、全部きれい。星海鯨のスクショ、もう百枚も撮っちゃった」
「撮りすぎだ」
「だって、BCOの景色って、本当にきれいなんだもん。新大陸は特に」
「ああ……きれいだな」
「久坂くんがきれいって言うの、珍しい」
「事実を述べただけだ」
「事実がきれいなんだよ。──久坂くんが見てる世界が」
冬夜はレポートから目を上げた。宮瀬が──こっちを見ていた。夏の光を横から受けて、目が琥珀色に光っている。
「なんだ」
「久坂くん。──言葉、見つかった」
冬夜の手が、止まった。
「ずっと探してた。久坂くんに返す言葉。『特別な仲間』よりもう一歩先の。──見つかったの」
「…………」
「BCOを始めて、久坂くんの隣を歩いて、ソルシアを一緒に歩いて、ルミナリアを一緒に歩いて、新大陸を一緒に歩いて。ずっと隣にいて、わかったことがある」
宮瀬がレポートを閉じた。冬夜に向き直った。
「わたしは──久坂くんの旅を支えたいんじゃない。久坂くんと一緒に歩きたいの。支えるとか、助けるとかじゃなくて……隣に。同じ景色を見て、同じものを食べて、同じ夜空を見上げて……ずっと」
「……」
「だから、わたしの言葉は……『一緒に歩きたい』。ゲームの中でも。現実でも……ずっと」
図書館が静かだった。エアコンの音だけが聞こえる。夏の光が二人の間に差し込む。
冬夜は、宮瀬を見つめていた。
言葉を探しているのではなかった。もう見つかっている。ずっと前から──ただ、言うのが怖かっただけだろうか。いや……怖いのではない。言い方がわからなかっただけだ。
冬夜は、口を開いた。
「俺は、言葉が下手だ。七千時間歩いても、この手の言葉は見つからなかった」
「うん」
「だが、宮瀬が見つけてくれた。俺に代わって」
「代わりじゃないよ。わたしの言葉だよ」
「ああ、宮瀬の言葉だ。──だから俺は、俺の言葉で返す」
冬夜が、宮瀬の目をまっすぐに見た。
「一緒に歩こう。──どこでも、ずっと」
あまりにも簡素で簡単な言葉だが、宮瀬の目から涙が溢れた。
「ずるいよ……どうして久坂くんは、一言で気持ちを伝えられるの? わたし……そんな伝え方、知らなかった」
「一言で十分だ。長かろうと短かろうと、俺は宮瀬と同じことを言っている」
「同じじゃないよ──もっと、なんかこう──」
「同じだ。一緒に歩きたい。ずっと、俺も」
宮瀬がノートで顔を隠した。隠しきれていない。耳が赤い。目の端が光っている。
「……ダメだよ、図書館でこんなこと」
「お前が先に言ったんだろう」
「だって──もう我慢できなかったんだもん」
「我慢する必要はなかった」
「……うん。──なかったね」
宮瀬がノートを下ろした。泣いていた。でも──笑っていた。泣き笑いだった。
「ねえ久坂くん」
「なんだ」
「これって……付き合ってる、ってこと?」
「……」
「え、違うの?」
「──違わない。と、思う」
「思うって何……!」
「違わない」
「……えへへ」
宮瀬がレポートの続きを始めた。でも手が震えていて、字がガタガタだ。
「お前、字が読めないぞ」
「久坂くんのせいだからね──!」
「俺のせいか」
「久坂くんのせいです。──全部」
夏の終わりの図書館。二人でレポートを書いている。前と同じ光景。──でも、少しだけ違う。
隣にいる理由が、言葉になった。
◇
夜。ログイン。
新大陸アストラムの星灯港。夜空に双子星が輝いている。
「トワさん。今日、なんかいつもよりご機嫌ですね」タマキが意地悪そうに言った。
「気のせいだ」
「気のせいじゃないですよ。──口元が緩んでます」
「緩んでいない」
「緩んでますよ。何かいいことありました?」
「……別に」
セレスがトワの肩の上で、じーっとトワの顔を見ていた。
「トワ。──かお、やわらかい」
「柔らかくない」
「やわらかい、いつもより。……なにかあった?」
「何もない」
「うそ。セレスにはわかる。トワのかおが、ちょっとだけ、しあわせ」
「…………」
「おしえて」
「教えない」
「えー」
ゼクスが横から「察しろ。リアルで何かあったんだろう」と言った。
「リアルの話をゲームに持ち込むな」
「お前が顔に出してるんだ。──まあ、いいことがあったなら結構なことだ」
トワは黙って、夜空を見上げた。新大陸の星空。双子星。星角鹿の光。星海鯨の虹。
全部きれいだった。
今日は全部が、きれいに見えた。




