《三人の旅》
「わたしが旅人になったのは、師匠に出会ったからだ」
カレンの声は穏やかだった。言葉をひとつずつ選ぶように、ゆっくりと。
「師匠は、ルミナリアで最も優れた旅人だった。全ての道を知り、全てのモンスターの生態を把握し、全てのNPCに愛された。──わたしの憧れだった」
「師匠の名前は?」
「……言えない。名前を口にすると──【闇】が反応する。ノクスが消した理由と同じだ」
ノクスも消していた。図書館の記録から。──カレンもまた、同じ理由で名前を口にできない。
「わたしは師匠に弟子入りし、旅の技術を学んだ。全武器種の使い方。見聞録の読み方。NPCとの友好度の築き方。──お前がやっていることと、全く同じだ」
「俺と同じか」
「同じだ。お前の旅を光の眼で見ていた時──わたしは自分の若い頃を見ているようだった。七千時間歩いて、世界の全てを見て、仲間を集めて。──わたしもそうだった」
カレンが──もう一つ、椅子を探したが見つからず、机の上に腰掛けた。
「師匠と、わたしと、もう一人。──聖女。お前たちが西の楔で出会った聖女だ。三人で旅をしていた」
「ヴィアは?」
「ヴィアは──旅の途中で出会った。年上の旅人で、わたしたちの保護者のような存在だった。いつも飄々としていて、大事な時だけ真面目になる」
「今も飄々としてるぞ。オアシスでお茶を出してくる」
「変わっていないな」カレンの目が少しだけ、懐かしそうに細まった。
「四人で──世界を歩いた。全てのエリアを踏破した。全てのNPCと友好度を築いた。──楽しかったよ。本当に。だが……師匠は、満足しなかった。全てを踏破しても。全てを知っても。『まだ先がある』と言った。地図の端に……黒い点があると」
「【深淵】か」
「ああ……師匠は【深淵】に行った。わたしたちが止めたが──聞かなかった。一人で行って──一人で、触れた」
カレンがパンの欠片を見つめた。
「戻ってきた時、師匠は変わっていた。目が冷たくなっていた。笑わなくなっていた。──そしてわたしに言った。『世界の底に真実がある。知りたくないか』と」
「知りたくなかったのか?」
「怖かった。師匠の目が。かつて温かかった目が……虚無を映していた。【深淵】を覗いた目だ。あの目を見て、わたしは逃げた」
カレンが目を伏せた。
「師匠は、【深淵】の力をソルシアに持ち込んだ。大地に闇が根付き始めた。精霊が汚染された──お前たちが救った、夜の精霊のように」
ルーナが影の中で、小さく身じろぎした。
「その【闇】を封じるために……お前は、なりたくもない王になったのか?」
「いや……わたしは──逃げた旅人だ。師匠から逃げ、【深淵】から逃げ、恐怖から逃げた。──だが個人の力では、【闇】の拡散は止められなかった。旅人一人が光を灯しても、大地に根付いた【闇】には焼け石に水だ。国ごと……光で照らすしかなかった。そのためには、ルミナリアの管理システムの制御権が必要だった。制御権を持つのは──王だけだ。だからわたしは、王になった。旅人をやめて──国全体を光で満たすために」
「だが……消えなかったのか」
「ああ、消えなかった。【闇】はあまりにも深く……光では、消せなかったんだ」
トワはゼクスを見た。ゼクスが小さくうなずいた。影の専門家として、カレンの言葉の意味を理解している。
「だからわたしは──影ごと消した。光で全てを照らし、影を消し、記憶を消した。【闇】が隠れる場所をなくすために。だがそれは、間違いだった」
「気づいていたのか、間違いだと」
「気づいていた……最初から。でも、他に方法を知らなかった。一人では……」
セレスがトワの膝の上から、カレンに向かって言った。
「カレン、ひとりじゃなかったのに。せいじょも、ヴィアも、いたのに」
「ああ──だがわたしは二人の声を聞かなかった。聖女は……反対した。わたしは聖女を封印の一部に組み込んだ。友人を……道具にした」
アストレアが──拳を握った。西の楔で出会った聖女。カレンに封印された友人。
「ヴィアは逃げた。わたしの暴走を見て、もう止められないと判断して、一人で大聖堂を出た。わたしが追わなかったのは……追う気力もなかったからだ」
「そして、一人になったのか」
「ああ……一人になった。管理システムは、わたしの意志で動いている。わたしの心が折れなければ──光は国を満たし続けていたはずだ。だが……聖女を封印し、ヴィアに去られ、住人の記憶を消し……わたしは、自分が何のために光を灯しているのかわからなくなった。心が、弱った。光の出力が落ちた。その隙間から……【深淵】の根が入り込んだ。大聖堂のシステムに食い込み、わたしの権限を奪い──千年間、この部屋に閉じ込められた。皮肉だろう。【闇】を恐れて全てを犠牲にしたのに──その犠牲のせいで、心が折れ、【闇】の侵入を許したのだ」
「自業自得、と言いたいところだが──」ゼクスが壁から背を離した。「千年は長すぎる。──十分すぎるほど罰は受けただろう」
「……ありがとう。暗殺者に慰められるとは思わなかったが」
「俺はソルシアの暗殺術のルーツを継いでいる。お前が封じたソルシアの──な」
「……すまない」
「謝るな、それよりも聞きたいことがある。お前の【師匠】とやらは──今、どこにいる」
カレンが黙った。長い沈黙だった。
「【深淵】に──いるはずだ。千年間、ずっと」
「生きているのか」
「わからない。だが、ソルシアの光の檻を壊したのは……あいつだと、思う」
第一の穴。壊された檻。──堕ちた旅人が、まだ生きている。
タマキが手を挙げた。
「あの──カレン王」
「王と呼ぶな、カレンでいい」
「カレンさん。──お腹、空いてませんか。パン一つじゃ足りないですよね。千年間ろくに食べてないなら──ちゃんとしたご飯、作りましょうか」
カレンが目を丸くした。
「……ご飯?」
「わたし、薬師ですけど料理もできます。光の食材でスープを作れますし──オアシスの果物もありますし。カレンさん、痩せすぎです。まず食べましょう」
「お前は……こんな話の直後に、飯の話をするのか」
「重い話の後こそ、ご飯です。──胃が空だと、希望も出てこないんですよ」
カレンが──また、不格好に笑った。二度目の笑い。さっきより少しだけ上手くなった。
「……なるほど。薬師の処方か」
「はい。これ、最優先の処方箋です。──光砂のスープ、飲めますか?」
「飲めるかどうか──千年ぶりだから自信がない」
「大丈夫です。わたしの薬は、いつも足りてきましたから」
タマキが差し出したスープを飲み干した時、王の目に涙が流れていた。
「ああ……美味いな」
セレスとルーナもほしそうにしていたが、トワは流石にこの時は自重させた。




