消された名前
ソルシアの大図書館。
冬夜は【闇】に関する記録を探していた。封印ではなく、それ以前──ソルシアが栄えていた時代に、闇に関する記述があるはずだ。
書架を一つずつ確認していく。旅人の日記。歴史書。地図帳。精霊の生態記録。
──見つからない。
【闇】に関する書籍が──一冊もない。他のテーマの本は大量にあるのに、闇に関するものだけが完全に欠落している。
「トワさん。わたしも探しましたけど──見つかりません。【闇】についての記録が、まるでないんです」
ハルが報告した。トワに頼まれて、ハルも独自に調査していた。
「記録がないんじゃない。──消されているんだ」
「消されている?」
冬夜は書架の配列を見た。本は番号順に並んでいる。001、002、003……と続いているが、一部の番号が飛んでいる。本が抜かれた跡がある。
「ここにあった本が、何冊か抜かれている。──番号の飛びから推測すると、少なくとも十二冊」
「誰が抜いたんでしょう」
セレスが呟いた。
「ノクス」
トワが振り返った。
「ノクスが──けした。ノクスが、じぶんで」
「それは……どうしてだ?」
「あぶない、たびびが、いた」
「危ない旅人……? 名前は?」
「……いえない。あのひとのなまえをよぶと──やみが、こたえるから。なまえは、よびかけ。よびかけは、つながり。つながったら──やみが、ひろがる」
名前を呼ぶと闇が応える。だからノクスは、痕跡ごと消した。闇とソルシアの繋がりを断つために。
「だが……手掛かりがないと、根本的な解決もできない。……セレス、本を探してもいいか?」
「さがすだけなら、たぶん。でも、どーやって?」
「【記憶干渉】を応用すれば、痕跡を読めるかもしれない」
冬夜は空の書架に手を触れた。記憶干渉を起動する。これまでの使い方は、敵の行動パターンにノイズを入れるか、地形にデータを書き込むか。だが、今回は読み取る。「あったはずのもの」の痕跡を。
しかし──拒絶された。
書架に残された痕跡は……【記憶干渉】で消されている。
同じ力で消されたものは、同じ力では読めない。
しかし、トワが諦めかけたその瞬間──指先に、微かな反響があった。
書架に残された記憶干渉の「痕跡」が──トワの記憶干渉と共鳴している。同じ力同士が触れ合って、響き合っている。
ノクスの【記憶干渉】の痕跡。ノクスがこの本を消した時の──力の残り香。
そこから、情報が流れ込んできた。ノクスの記憶干渉が、トワの記憶干渉に語りかけるように。
【──反応を検知しました】
【見聞録スキル「記憶干渉」が、同系統の干渉痕跡と共鳴しています】
【干渉痕跡の発信者:ノクス(ソルシアの最後の旅人)】
「トワさん……! システムメッセージが……!」
ハルが息を呑んだ。
【ノクスの干渉痕跡が、以下のメッセージを残しています──】
【「この力の本当の使い方を、お前に託す」】
【「記憶干渉は──敵を止めるための力ではない。消された記憶を、取り戻すための力だ」】
【「わたしは闇からソルシアの記憶を守るために、この技を編み出した。敵を硬直させるのは──副次的な使い方に過ぎない。記憶を正しく残し、守るんだ……それがこの力の、本当の使い方だ」】
ノクスが記憶干渉を作った本来の目的。それは戦うためではなく、【闇】に消された記憶を──取り戻すための力。
だからノクスは、図書館の本を自分の記憶干渉で消した。闇の旅人の名前を消した。名前を呼べば闇が応えるから。──いや「消した」のではなく「隠した」のだ。同じ記憶干渉を持つ者が来れば、復元できるように。
【記憶干渉──第三段階「記憶復元」が覚醒しました】
【新能力:消去された記憶・情報の痕跡を読み取り、復元する】
【新能力:他者の記憶を対象に書き込む(転写)】
【──ノクスが遺した真の力。消された記憶を、取り戻す力──】
システムメッセージが連続して表示される。
「記憶干渉の──第三段階……!? 師匠、これは……!」
ハルが驚きを露わにする中、トワはもう一度、空の書架に手を触れた。
今度は──読めた。
消された本のタイトルが、一冊ずつ復元された。
【復元された書籍(一部分のみ)】
【「深淵の考察──世界の底にあるもの」】
【「第六の精霊と深淵の関係についての研究」】
【「■■■■の旅路──最も遠くまで歩いた旅人の記録」】
三冊目のタイトルが──一部まだ消えている。旅人の名前だけが、完全に消去されている。名前の消去はノクスの【記憶干渉】よりもさらに深い──【闇】自体が名前を飲み込んでいるかのように。記憶干渉の第三段階でも、闇に飲まれた名前は復元できない。
「師匠……名前だけが、消えたまま……ですか?」
「この名前だけは──【闇】に消されている。【記憶干渉】じゃ復元できない領域だ。そして……」
トワは、セレスに向き直った。
「さっきそれが言っていた、危ない旅人とは、このことだろう」
セレスは、首を縦に振った。
「あのひとは──むかし、ソルシアのたびびとだった。いちばんとおくまであるいた。せかいのぜんぶをあるいた。でも──そのさきに、いっちゃいけないばしょがあった。――【しんえん】」
「【深淵】……か」
「あのひとは──しんえんにふれた。しんえんのちからに、のまれた。それで、かわっちゃった。ソルシアのたびびとじゃなく──やみのたびびとに」
闇の旅人。世界の全てを踏破し、さらにその先──世界の底に手を伸ばし、深淵の力に飲まれて変質した旅人。
「あのひとが、やみをソルシアにもちこんだ。だいちにやみがねづいた。──たぶんそれが、カレンがソルシアをふういんした、もうひとつのりゆう」
トワは、息を呑んだ。
闇がソルシアに根付いていた。放置すれば表の世界に広がる。カレンは──闇の拡散を防ぐために、ソルシアごと封印したのかもしれない。
「セレス。その旅人と──六人目の精霊は、関係があるのか」
セレスの角が暗くなった。
「……ある。あのひとがしんえんにふれたとき──まきこまれた。ろくにんめのせいれいが。やみにのまれて──かわっちゃった。もとのぞくせいをうしなって──やみのせいれいになった」
「その精霊の──名前は」
セレスが口を開きかけて、止めた。
「……いまは、いえない。なまえをよんだら──やみがこたえるから」
冬夜は消された書架を見つめた。十二冊の本が消された場所。【闇の旅人】の名前が消された場所。六人目の精霊の名前が語られない理由。
ソルシアの封印が解かれた今──【闇】も目覚めている。あの穴は、少しずつ広がっている。
これは──封印とは別の問題だ。封印を解いたから生まれた問題ではなく、封印の下に──ずっと眠っていた問題。
「セレス。俺たちは──その【闇】にも、向き合わなければならないのか」
「うん。──でも、いまはまだ。ソルシアをぜんぶあるく、ぜんぶみる、それから」
「ああ……まず、歩くことからだな」
ソルシア踏破率89%。残り11%。その中に──【闇】が眠っている。




