第7話 治らない傷
僕たちを睨む亮二さんに淳史さんは、ははっと笑って誤魔化す。
「ったく……そういうとこ、変わんねーな、亮二。寝る暇くらいあったっていいだろ。あー……水……水くれ」
淳史さんは頭を垂れながらテーブルの上を手で探り、グラスを手に取るとグッと飲み干した。
「あー……淳史さん、それ……飲み残しのブランデー……」
「いいよ、別になんでも」
淳史さんを見る亮二さんの苛立ちが、物凄く伝わってくる……。
「ふん……やる事やっているならな。随分と余裕じゃないか、淳史」
亮二さんは、淳史さんを端に押すように隣に腰を下ろすと、彼に向かってニヤリと口元を歪めて笑った。
「なんだよ、亮二」
「出せよ」
「あ?」
「あ、じゃねえ。隠してないで出せって言ってんだよ。持ってんだろ? 情報」
「まあ待てって。そう急かすな」
淳史さんは、ふっと笑みを漏らすと、タバコに火をつけた。
煙をゆっくりと吐き出し、横目に亮二さんを見ると余裕な態度で言う。
「そうイライラするなよ、亮二。俺が動くのは夜が明けてからだ」
そう答えた淳史さんに、亮二さんはテーブルに体を支えるように片肘を付き、彼の顔を覗き込むように見る。
ここぞとばかりに亮二さんが淳史さんに言った言葉に、僕は呆気に取られていた。
「はは。夜間撮影が不得意って、話にならねーな? 致命的だよ、致命的」
ニヤリと笑みを見せる亮二さんに、タバコの煙に咽せ込んでいる淳史さんを僕は交互に見る。
「なっ……亮二、お前っ……」
僕は、残念そうな目で淳史さんを見てしまっている。
そして、つい口から出てしまう本音。
「嘘だろ……夜間撮影が不得意だって? 最悪……っていうか、元とはいえ、カメラマンって名乗んなよ」
「不得意な訳じゃねえよっ! 亮二、お前っ。かなり語弊のある言い方だからなっ」
淳史さんは必死に否定するが、僕が淳史さんを見る目が変わらない。
「ユウ、俺を見るその目、やめろ」
「いや……だって」
呆れる顔を変えられない僕に、亮二さんは淳史さんを見続け、揶揄うようにニヤニヤと笑いながら僕に言った。
「フォトグラファーって言わなかっただけ、許してやれよ、ユウ」
その言葉に淳史さんは、顔を引き攣らせながら言葉を返す。
「どういう意味で言ってる……? 亮二」
淳史さんは、苦笑しながらも亮二さんを軽く睨んでいる。
これ以上、余計な事を言うなよと目で訴えているようだが、亮二さんが黙る訳がない。
ニッと笑って亮二さんは答えた。
「俺から言わせて貰えば、感覚値の意味で言ってる」
「馬鹿にしてんのか?」
「いや。どっちかって言うと尊敬してマスよ、先輩?」
「はっ。なにが先輩だ。歳が同じだからって教えて貰う立場でも、教えろって偉そうな顔してたくせに」
「お前が真面目に教えたのは酒くらいだけどな?」
亮二さんはそう言って鼻で笑ったが、僕の前に置いてあるグラスに目が向いた。それはショットグラスだ。
あ……そうだった。
淳史さんと飲み交わしていた中、僕は淳史さんに訊いてしまっていた。
酔いが回った勢いもあった。
亮二さんが自分から話してくれるまでは……と思っていたのは本当だ。
僕は、圭介さんにいつも亮二さんが飲んでいるウォッカを同じように出して貰った。
圭介さんは、何も言わずに出してくれたが、僕は気にならないと思いながらも、亮二さんがどんな思いで飲んでいるのかを知ってみたかった。
きっとそう思っている事は圭介さんは分かっていたのだろう。
ショットグラスに注がれたウォッカがテーブルに置かれた時。
それを見た淳史さんが僕に言った言葉で、僕はつい訊いてしまったんだ。
「なんだ? 亮二に同調でもするつもりか?」
「同調って……淳史さん、亮二さんの過去……知ってるの?」
「俺が知っているとして、それを聞いてお前はどうするの?」
「どうするって……」
口籠り、目を伏せる僕に淳史さんはふっと穏やかに笑った。
「ユウ。俺がそれを言ったとして、それには俺の主観が入っている。そしてそれを聞いたお前は、その話にお前の主観を絡める。まあ……それが悪い事だとは言わないが、そういった思い、亮二は必要ないんじゃないかな」
「それって……同情って事?」
「まあ、それも含めてって事にはなるかな」
「そう……だよね」
「なんで落ち込むんだよ? 逆の立場だったら、お前だってそうじゃないのか?」
「まあ……同情されてもってのはあるけど……」
「そういう事じゃねえよ」
「え……?」
初対面で打ち解けていく事が出来たのは、淳史さんの人柄にあったんだ。
「本人が抱えてるものって、良きも悪きも純粋だって事だ。それは依頼人にしても、な。純粋な証拠ってそういう事だよ。だから感情を絡めるのは憶測、経験を絡めるのは推測って訳」
彼の言葉は素直に頷けた。
僕は、ウォッカのグラスに目線を落とし、グッと握る。
『心が渇き過ぎちまった。ただの水じゃ足りないんだ』
亮二さんは、この一杯をどんな思いで飲んでいるのだろう。
今も……それはこれからも続くのだろうか。
続くとするなら亮二さんは……飲み続ける事で自分を変えようとしているのだろうか。
淳史さんが興味深そうに、僕がウォッカを飲み干すのを見ていた。
胃の中に落ちていくまでにも熱を感じる。そして体に沁み渡るように広がっていく。
僕の表情を窺う淳史さんは、僕にこう訊いた。
何故、急にそんな事を訊くのだろうと不思議に思ったが。
「ユウ……例えばだが、心を打ちのめされるような事があったとして、その心の傷は自分で治すタイプ?」
「え……? まあ……そう言われたらそうかもしれないけど、僕に限らず、大抵の人ってそうなんじゃないの?」
「亮二は違うんだよ。あいつは治そうとさえ思わない」
言葉を返す間もなく、続け様に言った淳史さんの言葉に僕は声を詰まらせた。
その言葉を聞いたと同時に、亮二さんと初めて会った時に言われた言葉を思い出した。
だから……あんな言葉が……。
『それでいいとか、だから当然だとか、自分自身が納得出来る理由を言葉に出さなくとも、君はそう演じているんだよ』
『可能性などないって自分を騙せる事が出来るんなら、向いてないなんて言葉、蹴散らして笑え。自分をそう騙せるくらいに嘘でも笑え』
自分を騙せるくらいに。
嘘でも……。
あの時、僕が悩んでいる事なんか、捨ててしまえと言っているみたいだったんだ。
続けられた淳史さんの言葉は。
「治らない傷だと分かっているから、亮二はそんな自分を捨てたんだ」
ウォッカのように強く沁み込んだ。




