第8話 契約解除の罠
亮二さんがショットグラスに目線を向けた事に僕は少し焦ったが、今更隠したところで余計に目立つ。
だけど亮二さんはそこに触れる事はなく、バックバーへと目を向け、整然と並ぶボトルに目線を流し始める。
うん……? どうしたんだろ……。
亮二さんのその仕草は気にはなったが、僕は気づく事が出来なかった。
タバコを吸いながらも淳史さんは気づいたようで、吐き出した煙を目で追いながら笑みを漏らした。
「ふうん……? だから淳史、酔っ払ったフリしてたのか」
酔っ払ったフリ?
「少し眠ったからな、醒めたんじゃねえ?」
惚けるように言う淳史さんに、亮二さんはニヤリと笑って返す。
「冗談。本当は眠ってもいねえだろ? 淳史」
眠ってもいない?
え……どういう事……。
「惚けるだけ無駄だ、淳史。俺は店の正面ドアから入って来たんだよ。圭介さんの店は夕方五時から午前二時までの営業だ。今は三時を過ぎたところだが、鍵はまだ開いている。オープン状態だって訳だよ」
……確かにそうだ。
「ドアに『close』って下げ札しても、客が酔っ払って寝ちまったら、営業時間過ぎたって店、完全には閉められねえだろ」
「まあな。圭介さんが店も閉めずに帰るなんて事はあり得ねえからな。圭介さん、奥にいんの?」
「ああ。在庫確認したいし、片付けもあるから店閉めても直ぐには帰らないから、好きにしろって」
「これじゃあ、片付けられねえじゃねえか、お前らの所為で」
「手伝うに決まってんだろ、場所貸して貰ってんだから」
二人の会話に微妙についていけない僕は、またテーブルに顔を伏せた。
「どうした、ユウ?」
亮二さん……分かってるくせに……。
もう……正直に白状します……。
「僕は酔うまで飲んでたし、完全に眠ってました……」
「だってよ? 淳史」
「上出来」
は? 上出来?? 何処が?
笑みを感じる声に僕は顔を上げると、二人の目線が僕に集中していた。
なんでと戸惑う中、淳史さんが席を立とうとするのと同時に、亮二さんが席を空ける。
席を立った淳史さんは、カウンターの中へと入って行った。
「どうしたの……淳史さん……」
僕は訳が分からない。
席に座り直す亮二さんはテーブルに頬杖をつきながら、楽しむような顔で淳史さんの様子を眺めている。
淳史さんはバックバーのボトルを調べているようだった。
暫くの間、その様子を黙って見ていた亮二さんが、淳史さんに向かって口を開いた。
「香草系リキュール」
亮二さんの声に淳史さんの動きが変わる。
香草系リキュールのボトルが並んでいる前に立つと、淳史さんの動きが止まった。少しするとボトルの間に手を伸ばし、何かを抜き取ったようだ。
……紙……? 何が書かれているんだ……?
だけどいつ……そもそもそんなところになんで……。
直接渡せないって事か。
寝たフリって……そっか。
……まあ、僕は本気で寝てたけど。
それに亮二さん……。
バックバーに目線を向けた後に淳史さんに言ったんだ。
『ふうん……? だから淳史、酔っ払ったフリしてたのか』
気づいていたんだ。それに、亮二さんがここに来たタイミングもそうだ。
亮二さんは席を立ち、カウンターへと向かう。僕もカウンターへと近づいた。
カウンター席に並んで座った僕たちの前に、淳史さんがボトルの間から抜き取った紙を置く。
その紙に目線を向ける僕は、声を漏らした。
「……契約解除……」
なんでこんなものを……。
それにこれ……。
「依頼人は南条 幸一……」
僕はそう呟き、亮二さんを見る。
「どういう事……亮二さん」
「それは淳史の口から言って貰おうか」
テーブルに置いた紙は、契約解除の書類だ。
淳史さんは、書類の欄の一部分を指差す。そこには調査員、つまり担当探偵名が書かれている。
「……淳史さん……」
「言っただろ、元探偵の元カメラマンの今は探偵だって。『katharsis』に戻って来る前の事務所、そこで俺は南条から依頼を受けた。その依頼の契約解除の書類だ」
「だけど……どうしてこれをここに……」
「俺が前にいた事務所ってのは委託でね」
「委託……じゃあ淳史さん……」
「ああ。調査員不足の探偵事務所に派遣されるんだよ。簡単に言えば、探偵が依頼する探偵って訳。だから当然、そういった書類は俺の手元に置けはしない。例え俺がメインで調査しようともね」
「それは分かるけど、じゃあ、誰が……いや、じゃあ、淳史さんに依頼した探偵がこれをここに?」
「まあ、そうだな」
「確かに……表立っては出来ない事だろうけど……」
この依頼……やっぱり何かが妙だ。
名目上、人探しとしているが、正直、この手の依頼は間口の広い話で、修羅場にでもなりかねない浮気調査より、堂々と動ける。見つけ、抑えようとする証拠も必要なく、そもそも証拠なんてものより、情報だけが頼りのものだ。
ただ……血族関係、婚姻関係のない者の人探しは、かなり慎重にはなるが。
例えば金銭トラブルがあった場合は、その後、事件に発展しかねない。
ここまでの経緯で南条にそれはない事は分かっている。
「俺が『katharsis』に戻って来たのも調査を続ける為だ」
「だから亮二さんを南条に紹介したんだ……」
契約解除の日付は一ヶ月前……か。
じゃあ……亮二さんの依頼はこの時か。
神崎 瑠衣が依頼に来た日もやっぱり亮二さんは、調査中って訳だったんだ。
「ねえ……亮二さん。彼女が持っていたあの写真に隠されているものに気づいたのも、亮二さんはもう知っていたからだよね」
「まあな……何故、お前に言わなかったかって不満か?」
「いや。なんとなく分かった」
「ふうん……?」
亮二さんは、興味深そうな目で僕を見る。
「淳史さんも南条も契約解除を同意せざるを得なかったんだろ? だけど、淳史さんも南条も継続を望んだ」
「ユウ……強引にお前に彼女の依頼を受けさせたが……降りてもいいよ」
亮二さんの言葉に僕は首を横に振る。
『香草系リキュール』
亮二さんは、そこに隠されていると直ぐに気づいていた。
香草系というだけあって、クセのあるリキュールだ。バリエーションの多い、一般的ともいえるカクテルのベースになるジンやウォッカなどの常用されるボトルの間では、人の目に触れ易いだろう。
それに、その事がこの依頼の難しさを表しているとも言える。
「いや……もう受けた依頼だし……」
言いながら僕は、バックバーを見つめた。
そして、続けた僕の言葉に二人は静かに頷いた。
「リスクがあるって分かっていても、やらなきゃならない理由……僕も知りたいから」




