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『katharsis』探偵事務所  作者: 成橋 阿樹
第二章 悲劇を喜劇に
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第19話 怖れと哀れみの浄化

 初めは覚える事に必死で、覚えてきたら出来る事が楽しくなって。

 出来る事が普通になるとそれが日常に馴染んでいく。

 いつしか起伏のない日常は当たり前に過ぎていく退屈な日々に変わり、なにか物足りなさを感じるようになる。

 そんな感覚が次第に不満を募らせ、空虚感に支配される。

 続けてきた事が、これから先も続く事に心が沈んでいく。

 だからといって他に、違う何かがある訳じゃない。見つけようとしている訳でもない。

 ただ、退屈に息苦しさを感じて、そこから逃げ出すんだ。


 本当に欲しているものが……分からないから。


 そして、何を欲していたのかを逃げ出してみて気づくんだ。



 九埜の言葉に僕は言葉を返せなかった。

 そんな僕に九埜は、ふっと力なくも笑うと僕にこう言った。


「お前たちが真実に辿り着いたなら、俺はここまでだ。もう俺を追う理由もないだろ」

 九埜は、じゃあなと呟くと、歩き始めた。

 僕は、九埜の後ろ姿を見つめていたが、追いはしなかった。

 寂しげにも見えるその背中に、僕は声を追わせる。


「九埜……! 事務的になれなかったから辞めなかったんだろ……! 一から覚える必要がないと楽したいなんて嘘だ、本当にやりたい事だったから戻ったんだろ……! ただやればいいだけなんて、僕たちはそれで終わりに出来る事をやっているんじゃない! だったら続けろよ! もしもまた、やり方を間違えるってなら、僕たちがいつでも相手になってやるよ……!」


 九埜は振り向きはしなかったが、僕が言った事は九埜自身、分かっている事だろう。


 九埜の後ろ姿を見送り、僕は呼吸を落ち着かせる。


「へえ……? いつでも相手に、ねえ?」

 揶揄うような声に振り向く。

「亮二さん!」

 亮二さんは、僕の肩をポンと叩くと、ふっと笑みを見せた。

「報告書、纏めるぞ。事務所に戻ろう」

「え……あ……うん。でも……」

 僕は、杜嵜たちのいる事務所の方向へと目を向けた。

「あとは緋色たちの問題だ。まあ……淳史も瞭良もまだいるから、大事にはならないだろ。俺たちには俺たちの依頼があるだろ……神崎 瑠衣に報告するのは、ユウ……お前なんだぞ」

 亮二さんの声のトーンが僅かにも落ちた。

「……うん。分かってる」

 その意味を受け止めている僕の声も重く落ちる。


「……亮二さん」

「なんだ」

「人探しって……こういう意味だったのかな……」

「こういう意味って?」

「うん……」

 僕は目を伏せ、深い溜息をついた。


「彼女は……初めから分かっていて依頼したんじゃないかって」

「ユウ、そう思うのは?」

「所在が分かっている人物の人探しなんて、その意味が違うって事だろ。亮二さんだって南条の依頼を受けたのだって、二人が持った疑念の確信を彼らが求めたからなんじゃないかって」

「……そうかもな」

「それに杜嵜だって……」

「受け止める覚悟があったから依頼したんだろ。緋色だって、受け止める覚悟があったから戻ってきたんだろ……杜嵜 新が隠そうとしてきたものを俺たちは見つけた。隠し続ける事の出来ない、いや……隠してはならない真実をね……」

「……うん」


 僕と亮二さんは、事務所へと戻り始めた。

 その後、事務所に着くまで僕たちの会話は途切れたままだった。



 事務所に着いた頃には既に日付は変わっていた。

「ユウ、少し休むか」

「……うん……」

「休んだ方がいい。お前、結構飲んでただろ」

「それは大丈夫だよ……」

「それは、ねえ……?」

 亮二さんは深い溜息をつくと、ソファーに座った。亮二さんと向かい合って僕も座る。


「お前が心配する程、依頼人は脆くないよ」

「……そうだよね」

「オーナーの言葉……俺たちは『もう一度』を繰り返しているんだ」



『ワインを醸造する際に出る葡萄の搾りかすをもう一度発酵させて造られるブランデー。それがオー・ド・ヴィー・ド・マール……亮二、ユウ。調査の後に見るものが探偵にとって不必要であるかどうかは探偵次第なんじゃないかな』



「必要であったから、だよね……?」

「……ユウ」

 僕が問うように答えた事に、亮二さんは表情を曇らせた。

「分かってる……分かってるよ、亮二さん……」

 僕は頭を垂れ、髪をクシャクシャと掻き乱した。


「……分かってるけど……」

 感情に押し流される僕は、頭を抱えたまま少し顔を上げ、締め付けられるような胸の痛みに顔を歪めながら亮二さんを見て言った。


「……どんな顔して伝えればいいの……?」


 亮二さんの遣る瀬ない溜息がゆっくりと流れる中、事務所のドアが開いた音がした。

 僕は、その音を遠くに聞きながら言葉を続けた。


「九埜のやり方は間違ってるって思ってるよ……だけど、九埜の思いも分からない訳じゃないんだ。ねえ……亮二さん……僕、思ったんだ。言い訳にしかならないだろうけど、九埜がそれを正しいと決めた事の理由を聞いてもいいんじゃないかって……」


「あいつの理由は……分かってるよ」


 声の聞こえた方を振り向くと、そこにいたのは杜嵜 緋色だった。

 その後ろには、淳史さんと瞭良さんもいた。


「全ては親父が招いた事だ。元々、俺は親父の事務所に入る気なんかなかったんだけどな、俺の戻れる場所を無くす為に伯羽に委ねた。親父の事務所が無くなったのもそういう事だよ。九埜は以前、ミスを犯した事で探偵を辞めたが、親父はそういった情報を掴むのが早くてね……それでも探偵を続けたかった九埜が、入れる事務所がなかった事に伯羽に声を掛けさせたんだ。親父は九埜も利用したんだよ」

 これまでの事を話す杜嵜に、亮二さんが隣の席を勧め、杜嵜はソファーに座った。

 淳史さんと瞭良さんは、近くにある椅子にそれぞれ座り、杜嵜の話を皆で聞く。


「素性調査から始まったのも納得だろ。まあ……これで納得出来たってところかな。南条の父親と親父は深い繋がりがあった。あの後、全部白状したよ……これだけの探偵が動いてるんだ、もう隠しきれないと本人も分かってただろうしな。そもそも、もう知っちゃったしね……キミたちもだろうけど。だからユウくん、キミはその依頼を受けている探偵なんだ。そんな顔をする事はないよ」

 杜嵜は僕を見て、ふっと静かに笑みを漏らす。

「だから……姉に正直に話してくれていい。姉も分かっている……」


 杜嵜が話す事は、僕たちが辿り着いた依頼の結果だ。

 それは、亮二さんがオーナーに頼み、杜嵜 新から確証を得た真実だった。


「姉の父親は俺の親父じゃない、南条 幸一の父親が姉の本当の父親だ。腹違いとはいえ、三親等内の傍系血族とは結婚出来ないってね……」

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