第37話 警戒心と教育方針
リベルバースの塔を登り始めて、三時間が経過した。
現在は四十九階層で、上り階段の手前で休憩中だ。
塔に侵入した三十二階層はともかく、三十三階層からは普通に魔物と遭遇しながらも、ここまで一気に登って来た。
鳥頭との戦闘をこなしつつ、十七階層分を三時間で移動。
探索ルートに迷うことは無くても、一階層当たりの所要時間は平均で十分程度である。
ぶっちゃけ、俺はすでにヘトヘトになっていた。
(…………誰か、エレベーター付けてくれ。)
教会が気前良く資金を投じてくれているようなので、是非エレベーターの設置をお願いしたい。
俺がしゃがみ込んでいると、淡い光に包まれた。
小太りが【治癒】をかけてくれたようだ。
「大丈夫ですか、リコ君?」
「済まない。助かる。」
アウズ教の司祭であるホーマーは、【加護】持ちだった。
明らかに戦闘に不向きだと思っていたが、なんと教会は貴重な回復役を塔攻略に投じていたらしい。
他にも教会からの支援として、回復薬なども使い放題だ。
ホーマーが持っている魔法具の袋には、教会からの支援物資として糧食や様々な治療薬なども入っている。
ホーマーの【治癒】のおかげで、俺は驚くほど体力が回復していた。
体力だけではなく、疲労まですっかり抜け、まるで絶好調な日の朝のような清々しさだ。
(こんな【加護】があるなんて、初めて知ったな。)
傭兵の噂でいくつかの【加護】については耳にしたが、こんな【加護】があるのは初めて知った。
こんな有用な【加護】持ちまで投入していることを考えると、教会は本気で塔の攻略をしたいらしい。
「おい、ホーマー。回復薬貰うぜ。」
「あ、ちょっと!? カンザロスさん!」
カンザロスはホーマーに声をかけると、魔法具の袋に手を突っ込んで回復薬を勝手に取り出した。
どうやらホーマーの魔法具の袋は、共用タイプのようだ。
まあ、教会の人が使い回すなら、当然そうなるか。
カンザロスは取り出したいくつかの回復薬を、ウラコーやメッジス、隊長に投げ渡す。
階段の上を警戒していたケベロムがこちらを見て、ホーマーに声をかける。
「今回はいいが、あまり【加護】を無駄撃ちするな。」
「分かっています、ケベロムさん。」
ケベロムの注意に、ホーマーは素直に頷いた。
貴重な【治癒】を、簡単に与えるな、ってとこか。
(確かに、これは生命線だな。)
回復薬を使えば体力は回復するが、疲労までは抜けない。
だが、【治癒】は疲労さえも綺麗さっぱり無くしてくれる。
回復効果がどの程度かは分からないが、回復薬以下ってことはないだろう。
(ドドナッツォに貰った薬と比べて、どっちが回復効果高いんだろうな。)
骨折さえも瞬時に治す、ドワーフの薬。
もっとも、ドワーフたちにとっては『二日酔いの薬』扱いのようだが。
(暁の脳筋団にも欲しいなあ、回復役。スカウトしたら来てくれないかな。)
教会の司祭。それも貴重な【加護】持ちを横取りしたら、教会を敵に回しそうだが。
そんなことを考えながら、俺は【災厄】を起動した。
実は、塔を登りながら時々【災厄】を使って、『因果』の状態を何度か確認していた。
塔の中を漂う、様々な因果。
その中で一際大きく、強い因果があった。
(これが、地盤沈下に関わる因果なんだろうな……。)
何と表現するべきか。
それは、巨大な蛇の胴体のような不吉さを想起させる。
ゆっくりとうねり、見ているだけで不安を掻き立てた。
塔の内部を、その胴体が長く伸びているのだ。
どこから伸び、どこへ向かっているのか。
始点も終点も分からない、太い胴体。
力強く、ちょっとやそっとの干渉では、微動だにしないだろう。
(…………嫌な感じって言えば、嫌な感じだけど。)
突然崩壊するような、そういった不安定感はない。
むしろ、力を蓄えているといった印象を受ける。
そして、気になるものはもう一つあった。
“力”の流れを感じるのだ。
これは、タネル子爵領の森にあった、カルダノ男爵領の因果の流れを乱していた“力”。
それと同種のものと思われる力が、下から上に向かって流れている。
地盤沈下に関わる因果。
塔の下から上に向かう、力の流れ。
二つの大きな力が、ぎりぎりバランスを保っているように感じた。
俺が黙って考え事をしていると、メッジスとウラコーがやって来た。
「どうしたどうした、大人しくなって。疲れちまったか?」
「案外、可愛いとこあんじゃねーか。」
塔を登ってへばっているのは、俺だけだ。
ホーマーも何だかんだ言っても、回復薬だけで済ませている。
【治癒】までかけてもらったのは、隊の中では俺だけだった。
「……ああ、もう一歩も動けそうにない。あとは頼んだ。」
俺が苦し気にそう言うと、ウラコーが顔をしかめた。
「んだよ……、押しつけるための演技かよ。」
いや、さっきまで本気でへばってたけどな。
ホーマーが【治癒】を使ってくれなかったら、本気でそう言いたいくらいだった。
「そろそろ行くぞ。準備しろ。」
ケベロムの指示で、隊列を組み直す。
「五十階層は攻略途中で、まだ最短のルートも分かっていない。出てくる魔物もより強くなる。気を引き締めて行くぞ。」
「「ああ。」」
「「おう!」」
そうして、俺たちは五十階層の攻略に取り掛かった。
■■■■■■
「つ、疲れた……。」
月明かりの下、俺はようやく戻って来れた地上にしゃがみ込んだ。
時間は、すでに二十時を回っている。
俺たちは今日だけで、攻略途中だった五十階層と、その上の五十一階層まで攻略を済ませた。
これで、次回は五十二階層に上がる所までは、スムーズに進めるはずだ。
…………敵に遭遇しなければ。
「よーし、今日はこれで解散だ。明日も同じ時間な。」
「「「おう!」」」
ケベロムの指示に、攻略隊のメンバーが気合の入った声を上げる。
俺以外は……。
何だかんだ言っても、攻略隊のメンバーはみんな敬虔なアウズ教徒だ。
神の望むままに、というモチベーションが半端なかった。
だが、そんな狂信者バフがかかっていない俺には、限界突破などできる訳がない。
一人、へろへろでしゃがみ込んでいたら、ホーマーが来て
「お疲れ様、リコ君。」
と、労いの言葉とともに【治癒】をかけてくれた。
これだけで心身ともにリフレッシュしちゃうとか、よくよく考えるとちょっと怖い。
これ、もしかして定期的にかけたら、百時間とか働けたりしちゃうのでは?
二十四時間〇えますか、というキャッチコピーを地でいく、恐ろしい【加護】だと認識を改めた。
攻略隊のみんなはこれから一杯やって、それから解散するらしい。
俺にはとてもそんな元気はないので、お先に失礼させてもらう。
と思ったら、ホーマーも帰るらしい。
「ホーマーは行かないのか?」
塔を囲う石壁の門を、全員で潜る。
その際に、今日の日当を受け取った。
これは基本給だけで、ケベロムに言っていた色が付いていない金額だ。
「私は、今日の報告を特使様にしなくてはいけないので。」
そう言ったホーマーは、今日一番疲れた顔をした。
「…………早く攻略しろって、せっつかれてる?」
俺がそう言うと、ホーマーは曖昧に笑みを浮かべた。
今朝見たムバイト主教は、とても部下を労ったりするタイプには見えなかった。
塔にある“何か”を中々手に入れられず、イラ立っている様子をレインたちが目撃をしている。
「苦労してんだな、あんたも。」
「苦労など…………私はただ、神の御心のままに行動するのみですから。」
そんな話をしながら歩いていると、ケベロムたちは四人で酒場に入って行った。
ホーマーと並んで歩き、少しすると俺も別れる。
「じゃ、俺はこっちなんで。」
「はい、お気をつけて。」
略式の祈りの仕草をして見送るホーマーと別れた。
そうして裏路地に入って行き、少し奥まった一画へ。
昨日予約しておいた安宿は、ちょっとだけ治安に不安のある場所だ。
まあ、少し大きい街なら、こういうのはどこにでもあるものだ。
「さて……、レインたちはちゃんといるかな。」
急遽、俺だけ塔の攻略に参加することになってしまったが、宿はレインたちにも教えてはあった。
今日一日、何をやっていたのか知らんが、無事なら宿で合流できるだろう。
そうして薄暗い道を進んでいると、明るい特徴的な声が聞こえて来た。
「ほら、お兄ちゃん、早く早く。」
「そう急かすな、妹よ。お兄ちゃんは、こういう……。」
「いいから早くっ。もう、本当に鈍くさいんだから。」
すぐ横の、一際狭い路地からの声のようだ。
軽快な足音と声が、こっちに向かってくる。
「じゃあ、いつもの所でスタンバイよろしくぅ! 行ってくるね!」
「あまり無理はするなよ? お兄ちゃんは、それが一番心配で――――。」
「お兄ちゃんが使えないんだから、ウチが頑張るしかないでしょ?」
「何をぅ!? お兄ちゃんが本気になったら、この街が滅んでしまうから一生懸命に抑えて……。」
狭い路地から飛び出して来たのは、一組の男女。
先に飛び出してきたのは、女の子だ。
防塵のローブを抱え、足取りは弾むように軽い。
その後ろに、男の子。
女の子に引っ張られた左腕には包帯がぐるぐるに巻かれ、妙に痛々しい。
女の子はレインより身長が低く、男の子は少し高いくらいか。
それ以外の特徴は、薄暗いためよく分からなかった。
左の路地から飛び出した男女は、そのまま右の路地に入っていった。
「…………………………。」
俺は立ち止まり、そんな二人を黙って見送った。
(この街が、滅ぶ……?)
なんか、そんなワードが聞こえてきたような気がした。
俺はぽりぽりと頬を掻く。
(別に、不思議はないよな。)
この街が滅ぶ。
そんなの、俺だってそう思っている。
リベルバースの塔の状況を聞けば、可能性としてそこに思い至る人がいたって、不思議でも何でもない。
俺は大きく息を吐くと、もう一度二人の消えていった路地を見る。
そうして、宿に向かって歩き出した。
「随分とお疲れですね。リコ様。」
ベッドで大の字になっている俺に、ベリローゼの声が降ってきた。
宿で無事にレイン、ベリローゼの二人と合流した俺は、湯場で汗を流し、食事を済ませた。
食事と言っても、すでに宿の食堂は閉まっていた。
そのため、無理を言ってパンや串肉を分けてもらったのだ。
そのまま食べても、糧食よりは遥かにマシな食事である。
「五十二階層まで登ったんだぞ? 帰り際に【治癒】で回復はしてもらったけどさ。気が滅入るわ、こんなん。」
何の覚悟もなく、いきなり拉致られて塔攻略に連れて行かれた。
いくら登っても「まだ〇階?」「まだ△階なの!?」ってのは、かなりつらかった。
俺は、絶対にタワマンになんか住まないぞ、と心に固く誓った。
ねえけどさ、タマワンなんか。この世界に。
俺は、よっこいせ、と身体を起こした。
「まあ、こっちはいいさ。塔を登って下りただけだからな。そっちは?」
俺の方からの報告は、まだ特にはない。
塔を登りました。疲れました。まる。
以上である。
俺がレインとベリローゼに報告を求めると、レインが喜々として報告を始めた。
「塔の警備に入ったわ。」
「は?」
何でも、レインとベリローゼも傭兵の受付に行き、塔の周囲の警備に潜り込んだそうだ。
「んなもんやって、どうすんだ。」
「どうするって、街の人を守るのよ。」
そう、レインは胸を張る。
ベリローゼを見ると、特に表情はなく静かに黙っていた。
(…………まあ、食っちゃ寝するよりはマシか?)
そう考え、ベリローゼに命じる。
「日当はすべて巻き上げろ。銅貨一枚もレインに持たせるな。」
「ちょっと、リコッ!?」
「リコ様、それはさすがに……。」
俺の無情な命令に、二人は難色を示す。
だが、俺は半目になってレインを見る。
「レインはまだ、現金を持つには早い。朝のこと、忘れた訳じゃねえだろうな?」
「う……っ!」
俺が痛い所を突くと、レインが息を詰まらせる。
「日当はすべてベリローゼが受け取れ。いいな? 毎日帳簿をつけるのは面倒だから、後でまとめて返済してもらう。」
そう言って、レインに「金を出せ」と手でゼスチャーする。
レインはがっくりと項垂れ、渋々日当の入った布袋を取り出した。
ベリローゼ経由で袋を受け取り、中身を確認する。
大銀貨一枚と銀貨一枚、あとは銅貨も数枚入っていた。
「…………今日の夕食は? 二千シギングくらいか?」
後で誰かに聞けば教えてもらえるだろうが、俺はこの場で警備の日当を確認した。
本気で銅貨一枚すら渡さないつもりだと分かり、ベリローゼが溜息をつく。
袋に入っていたのは一万一千七十シギング。
夕食が二千シギング弱なら、おそらく日当は一万三千シギングだったのではないだろうか。
ただつっ立てるだけで貰える報酬としては、かなり破格だ。
まあ、物価高いしな、この街。
俺は袋にお金を仕舞うと、ベリローゼに渡した。
そして、それとは別に大銀貨五枚、五万シギングを渡す。
「食事やその他、必要な物はすべてその金で払え。団としての必要経費だ。」
それはつまり、レインの日当は銅貨一枚も手をつけず、俺に持て来いという宣言である。
俺の意図を正しく理解したレインが、ぶーたれる。
「それはいくら何でも厳し過ぎない!?」
「だ か ら! そういうことは、自己管理ができるようになってから言えっ!」
すでに一度チャンスは与えている。
だが、レインはそのチャンスを生かすことができなかった。
とは言え、実際のところ、警戒心を持てるようになるには時間がかかる。
それは、俺自身の経験によって、よく分かっていた。
俺だって、初めから警戒心ばりばりで、失敗が一度も無いかと言えばそんなことはない。
ロクでもない傭兵たちに絡まれ、何度も痛い目に遭ってきた。
自身の油断によって、痛みも、苦しみも、悔しさも味わってきたのだ。
ベリローゼも、おそらくは似たようなものだろう。
四つ葉使用人協会なんてテロ組織に攫われ、必死になって生きてきた。
一時も心休まることなく、十年も過ごしてきたのだ。
警戒心なんてものは、そうした環境に身をおかない限りは中々身につかないものだ。
レインもそれなりに苦い経験をしてきてはいるが、警戒心を必要とする環境とは少し違った。
警戒しないことによる不利益を身に沁み込ませないと、普通は警戒心なんてものは形だけになってしまう。
常に気を張る、気を配るというのは、口で言うほど簡単にできることではないからだ。
「うう……、リコは厳し過ぎるよ。」
「え、ええ……。」
項垂れ、さめざめと涙を流すレインを、ベリローゼが慰める。
だが、俺の考えが何となく分かるのか、ベリローゼも強く抗議してくることはなかった。
と言うか、ベリローゼから見ても、レインはヒヤヒヤものだろう。
おそらくだが、そんなレインを「自分がフォローすればいい」とでも思っていたのではないだろうか。
つまり、今朝のスリに関しては、ベリローゼの油断でもあった訳だ。
徹底的に鍛え直し、独り立ちできるようにすることを目標にする、俺。
レインの足りない部分は、周りが補えば良いと考える、ベリローゼ。
方針がまったく違うのだ。
だが、自覚を持たない者の不足部分を、一人ですべてカバーするなど、簡単にできるもんじゃない。
レインがもっと幼いなら、ベリローゼの考えに俺も賛成だが、レインはそこまで子供じゃない。
鍛えれば鍛えた分、きっと強くなってくれるはずだ。
…………心が折れなければ。
「とりあえず話は終わりだ、さっさと寝ろ。俺はまた、明日も塔攻略に行かにゃならん。寝かせてくれ。」
そう言って、俺はそのまま後ろに倒れた。
ベッドに手足を伸ばすと、それだけで意識がふわふわする。
手だけを持ち上げ、「早よ部屋戻れ」と振った。
「いぃーーーだっ! …………おやすみなさい。」
「おやすみなさいませ、リコ様。」
前言撤回。
あいつ、まじで子供だ。
二人が部屋を出て行くと、俺は億劫な身体に鞭打って、ドアに鍵をかけに行く
椅子をドアに立て掛け、少しだけ不安定にした。
これで、外からドアを開ければ椅子が倒れるという訳だ。
こうした、百回中百回は無駄に終わる地道な警戒を続ける。
百一回目に訪れるかもしれない災難に備えて。
「あふ……。」
俺は欠伸をすると、そのままベッドに倒れ込む。
本当に久しぶりに、身体の芯から疲れていた。
帰り際に【治癒】なんて反則技を使ってもらったが、やはり二十四時間は戦えないらしい。
まあ、それはそうか。
眠気とは、脳内のいくつかの物質が覚醒時に増えていき、ある程度の量に達することで起こるとされる。
逆に、必要な物質が覚醒時に徐々に減少し、必要量が不足することで起こるとも考えられている。
つまりは、様々な要因によって複合的に引き起こされる現象な訳だが、【治癒】ではそのすべてを解消はしてくれないようだ。
俺は、ベッドに置いていた短剣をのそのそと引き寄せ、抱える。
そうして、眠い頭で「熟睡すんな……熟睡しちゃだめだ……」と考えながら眠った。




