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明日の俺から死亡報告が届くので、今日のうちにダンジョンを攻略する  作者: 空乃 カナタ


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2/16

第2話 明日を一度だけ直す

赤い傘の少女が一歩近づくたび、天井の軋みが大きくなった。


「残響体です」


後方の隊員が警棒を構える。


「待って」


俺は止めた。


少女の靴は床へ触れていない。傘も濡れていない。それなのに足元から黒い雨跡が広がっている。


攻撃すればいいのかもしれない。だが、俺の死亡報告には怪物のことなど書かれていなかった。


書かれていたのは、崩落と赤い傘だ。


「御影さん。あれが近づくと崩れるんじゃない。俺たちがあれを追うと、崩れる場所へ誘導されるんじゃないですか」


「根拠は」


「表示です」


壁の案内板は東口を右と示している。救助班の反射テープは左。どちらを選んでも同じ売店へ戻った。


会社で見つけた経路案内の反転が頭に浮かぶ。


出発点を階段途中へ置いたときだけ、アプリは現在地の向きを逆に判定した。


ここでも、基準が逆なのではないか。


「床じゃなくて、天井側が正しい通路です」


全員が揺れる天井を見上げた。


夕焼けの透ける水面。その向こうに、逆さまの駅前広場がある。


「あちらが地上なのは見れば分かる」


「そうじゃありません。標識が天井に立っていた。俺たちが同じ場所へ戻ったんじゃなく、途中で上下を反転させられて、反対側の同じ構造へ入ったんです」


澪は一秒だけ考え、床の黒い跡へ槍の穂先を触れさせた。


「固定する。久世、支点を」


大柄な隊員――久世が、楓をもう一人へ預けた。壁と床へ掌を当て、白い印を残す。


「《分圧》、二面」


次の瞬間、少女の赤い傘が開いた。


上から轟音が落ちてくる。


澪は槍を床へ突き立てた。


「《定着》」


黒い雨跡を中心に、空気が硬くなった。


崩れ始めた天井が、三秒だけ止まる。


一。


久世が床を蹴った。白い印から衝撃が逃げ、壁全体が波打つ。


二。


停止した瓦礫の隙間へ、夕焼けの光が差した。天井だと思っていた面に、人一人が通れる裂け目がある。


「あそこが出口です!」


三。


澪の《定着》が解けた。


久世が楓を抱え、裂け目へ跳ぶ。後方隊員が続く。澪は俺の襟をつかんだ。


「あなたが先」


「でも――」


「救助員の指示に従って」


反論する暇はなかった。俺は壁を踏み、裂け目へ手を伸ばす。


上下の感覚がひっくり返った。


夕焼けへ落ちる。


次に背中を打ったのは、東口広場の舗装だった。周囲で警報が鳴り、人々が封鎖線の外へ避難している。


久世たちが楓を運び出す。澪も裂け目から転がり出た直後、黒い水面が閉じた。


広場の一角が沈んだ。


音は大きかったが、誰もその下にはいなかった。


赤い傘の残響体は、閉じる寸前の孔界で薄い膜になり、灰色の粒子へほどけた。


「お母さん!」


楓が叫んだ。


封鎖線の向こうから女性が駆けてくる。救助員に止められ、確認を受け、それから楓を抱き締めた。


その光景を見た瞬間、膝から力が抜けた。


俺は死ななかった。


楓も、澪たちも生きている。


死亡報告の画面を見る。


白い文字が一文字ずつ薄くなり、最後に時刻だけが残った。


18:42 回避


「未来が変わった」


俺の呟きを、隣の澪が聞いた。


「違う」


「え?」


「あなたが変えた。一人で、とは言わないけど」


澪は倒れそうな俺の肘を支えた。


その手の温度に安心した途端、胸の奥で何かが潰れた。


息が止まる。


地面の下で圧迫されたような痛みだった。実際には傷一つないのに、肋骨の内側だけが崩落を覚えている。


俺は胸を押さえて座り込んだ。


「雨宮?」


澪が初めて俺の名前を呼んだ。


痛みは十秒ほどで引いた。


救急班が来るころには心拍も呼吸も正常だった。だが、あれを錯覚だとは思えなかった。


回避された十八時四十二分。


そこで死んだはずの俺だけが、まだ俺の中に残っている。


*


ー三番扉を開けた女ー


翌朝六時、俺は病院の簡易ベッドで目を覚ました。


通知はすでに待っていた。



12:16 旧市街地下。三番扉。

御影澪が開けて、俺は死ぬ。




昨日より短い。


そして、昨日より始末が悪かった。


カーテンの向こうで椅子が鳴った。


「起きた?」


御影澪が、紙コップのコーヒーを二つ持って立っていた。黄色い救助服ではなく、紺色の対策局シャツを着ている。


俺は通知を隠すより先に端末を差し出した。


澪は一度だけ読み、俺の顔を見た。


「見せていいの」


「見せないと、俺があなたを疑って単独行動するかもしれない」


「自覚はあるんだ」


「品質保証は、隠された不具合を一番嫌います」


澪はコーヒーを一つ置いた。


「じゃあ先に言う。旧市街地下共同溝で、小規模孔界の反応が出てる。今日の正午から調査予定」


「三番扉も?」


「共同溝には保守扉が七つある。三番も実在する」


一致が早すぎる。


「調査を中止できませんか」


「できる。でも孔界が広がれば、上にある住宅区を避難させることになる。あなた一人を危険へ連れていく理由はないけど、調査自体をやめる理由には足りない」


正論だった。


俺は通知の画像を拡大した。送信元なし、作成者なし。昨日と同じsource: tomorrow。文字数は三十七。


御影澪が開けて、俺は死ぬ。


彼女が俺を殺すとは書いていない。


「三番扉を開けなければいい」


「扉の向こうに要救助者がいたら?」


「別の方法を探す」


「それが現場で決められるならね」


澪の声は冷たくない。ただ、希望を作戦と呼ばない人の声だった。


検査では、胸に異常は見つからなかった。


退院手続きを終えると、対策局の職員が俺を地下の会議室へ案内した。中央駅の監視映像、端末の画像、俺の行動記録が大きな画面に並ぶ。


説明を三度求められ、同じ内容を三度答えた。


「未来からの通信だと証明できますか」


「できません」


「昨日の孔界発生を事前に知る手段は」


「俺にはありません」


「御影隊員と面識は」


「昨日が初対面です」


返答のたび、自分の話が信用に値しないことだけが明確になる。


それでも監視映像には、警報より四分早く現場へ来た俺が映っていた。孔界内の記録端末には、俺が上下反転を指摘した音声も残っている。


会議の終わりに、澪が一枚の書類を机へ置いた。


「臨時情報解析補助員。今日一日だけ」


「俺を連れていくんですか」


「通知を検証する。外れたら、あなたを現場から外せる。的中したら、外に置いても危険は消えない」


「あなたが開けると書いてあります」


「だから私が行く。自分の手が何をするかは、自分で確認する」


俺は書類を読んだ。


単独行動禁止。現場指揮は澪。危険時は救助員の命令を優先。取得情報は全員で共有。


署名欄の上でペンが止まる。


昨日、駅へ行った判断は正しかったのか。


助かったから正しい、では足りない。俺が行かなければ孔界が起きなかった可能性すらある。


それでも、知らないまま正午を迎えるよりはいい。


俺は署名した。


十一時四十分。旧市街地下共同溝の入口へ着く。


空は晴れていた。


なのに地下階段の奥から、絶え間ない雨音が聞こえていた。


澪が救助槍を伸ばす。


「三番扉は最深部。まず、そこへ着くまでに通知が何を省いたか確かめる」


彼女は先頭で暗闇へ降りた。


十二時十六分まで、あと三十六分だった。

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