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明日の俺から死亡報告が届くので、今日のうちにダンジョンを攻略する  作者: 空乃 カナタ


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第13話 俺がいない完成形

久世はかつて、建築検査員だった。


五年前、補修済みと判断した集合住宅で外壁が崩れた。負傷者が出た。資料に不備はなく、規定上の責任もなかった。


それでも彼は、自分が見落とした細い亀裂を覚えていた。退院した住民の一人が、後日わざわざ現場へ礼を言いに来た。責められなかったことが、かえって彼の記憶を重くした。


幻の家では、その事故が起きていない。


久世は検査員を続け、家族と毎日夕食を囲んでいる。踏査救助員にならず、俺たちとも出会わない。


「悪くない未来だ」


彼は玄関の前で言った。


娘の幻が手を伸ばす。


「お父さん」


久世も手を上げ、触れる直前で止めた。


「うちの娘は、俺の失敗を知ってる。それでも今の仕事を応援してくれた」


「去年の運動会で、あの子が転んだあと最初に言った言葉は」


幻の娘は同じ笑顔のまま動かない。


「お前は、あの子が選んだ言葉を知らない」


久世は胸ポケットから古い検査記録を出した。


失敗した日時、場所、見落とした亀裂。その後に変えた確認手順。


「失敗は消すもんじゃない。次の誰かへ渡すもんだ」


記録を俺へ差し出す。


受け取った瞬間、家は灰色の粒子へ崩れた。


本物の道路が戻る。


「平気ですか」


「平気じゃない。帰ったら家族へ電話する」


それでよかった。


後悔を克服したふりをする必要はない。持ったまま帰れる。


環の端末が鳴った。


画面に、天ヶ瀬市の完全な地図が表示されている。


変動する孔界も、中央駅深層への道も、一つの誤差なく描かれていた。


「私の番みたいです」


環は笑おうとしたが、声が震えた。


地図上の緑線は、彼女だけが先頭なら全員を最短で第一核へ連れていけると示していた。


そして地図の余白は、一つもなかった。


*


ー白瀬環の間違った地図ー


完全地図は、環が欲しかったものだった。


曲がる道も、消える入口も、残響体の位置も全部載っている。


「これがあれば、誰も迷わない」


環が緑線へ一歩乗る。


街の揺れが止まった。


第一核が正解として認めている。


俺たちは彼女の後を進んだ。二つの孔界を危険なく抜け、中央駅まで残り一キロ。


「止まって」


環が突然言った。


緑線の先には何もない。


《軌跡視》にも、人が通った痕跡はなかった。


「完全なのに、誰の足跡もない」


「未来の地図だから?」


「違う。道って、誰かが通った結果につくものです。これは最初から答えだけがある」


環は端末を地面へ置いた。


「正しい地図を渡して、人を間違った場所へ送るのが一番怖かった。でも、これなら絶対に責められない」


「だから欲しい?」


俺が尋ねる。


「だから捨てます」


彼女は完全地図を消去した。


街が再び揺れ、目の前の緑線が三本へ割れる。


環は紙を取り出し、三本とも途中まで描いた。先端は空白のまま。


「現在地までが地図。先は、着いたら更新します」


《軌跡視》に、薄い線が一本だけ浮かぶ。


迷いながら歩いた誰かの痕跡。


それを追うと、閉じていた地下道が開いた。


第一核へ近づいている。


地下道の途中で、澪が立ち止まった。


暗闇の先に、一人の少年がいた。


十五歳ほど。澪と似た濃紺の髪。


「姉ちゃん」


少年は笑った。


澪の弟、湊。


四年前に死んだはずの人だった。


*


ー弟が生きている未来ー


澪は救助槍を下ろした。


「湊」


名前を呼ぶ声だけが、救助員のものではなかった。


少年は地下道の奥を指す。


そこには普通の食卓があった。湯気の立つ料理、笑う家族、四年前のままの家。


「帰ろう。もう誰も助けなくていい」


澪が一歩進む。


俺は止められなかった。


久世の家も環の地図も、本人が自分で選んだ。澪から弟を奪う判断を、俺がしてはいけない。


少年は続けた。


「その人を核へ渡せば、ここは残る」


俺を指していた。


澪の足が止まる。


「なぜ朔が必要なの」


「危ないから」


「何に使う」


「みんなを助けるため」


答えは全部、澪の記憶にある言葉を組み合わせただけだった。


彼女はさらに尋ねる。


「私が救助員になって、最初に助けた人の名前は?」


少年は笑ったまま黙る。


本物の湊は知らない。幻も知らない。


「あなたは弟じゃない」


「姉ちゃん」


「でも、会いたかった」


澪は少年を抱き締めた。


触れた身体は黒い膜へ変わる。それでも彼女は三秒だけ離さなかった。


「さよなら、湊」


《定着》が切れると、幻は粒子になった。


食卓も消える。


澪は顔を上げた。目は赤かったが、声はいつもの強さに戻っている。


「行く」


俺たちは何も慰めず、隣を歩いた。


地下道の先で、暗闇が俺の足元だけを飲み込んだ。


澪の手が届く前に、三人の姿が遠ざかる。


次に立っていたのは、明るい対策局の事務室だった。


壁の写真には澪、岳、環が笑っている。


俺だけが、どこにもいなかった。


*


ー俺がいない完成形ー


俺がいない未来では、全員が幸福そうだった。


澪は弟を失ったが、無理な救助をせず優秀な指揮官になっている。


久世は家族と暮らしながら教官を務める。


環は完成した孔界地図で表彰されている。


死亡報告は存在しない。


第一核も育っていない。


四年前の災害記録を開く。


死亡者名簿に、雨宮朔があった。


俺があの日、結晶へ触れる前に死んでいれば、すべては起きなかった。


「これが一番安全だ」


声に出すと、事務室の扉が開いた。


柊木和真が入ってくる。


二十二歳のまま、困ったように笑う。


「やっと直ったな」


聞きたかった言葉だった。


俺がいなければ、誰も俺を救うために危険へ来ない。澪も槍を振るわない。未来を食べる核も眠る。


ここへ残ればいい。


椅子へ座る。


胸の残痛が消えていく。


和真が向かいへ座った。


「生きてるなら、次を直せ」


四年前の音声と同じ言葉。


その先を、幻は言わない。


和真が本当に最後に何を思ったか、俺は知らないからだ。


「お前は、俺の記憶だ」


幻は笑う。


「知ってる」


その返事も、俺が想像したものだ。


事務室の外から声がした。


「雨宮朔!」


澪が俺を呼んでいる。


「あなたがいない未来を、私たちの幸福にしないで!」


壁の写真へ亀裂が入る。


「勝手に三人の答えを決めるな!」


久世の声。


「私の地図から自分を消すの禁止です!」


環の声。


幻の和真が粒子になり始めた。


俺は立ち上がる。


残痛が戻る。胸も背中も痛い。


それでも、扉へ歩いた。


俺のいない完成形より、俺がいて修正の必要な現実を選ぶ。


扉を開けると、澪の手が伸びてきた。


今度は、その手をつかんだ。

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