脅迫
2時間後。
伊藤家の前へ、一台の黒いセダンが静かに停まった。
後部座席から、一人の男が降りてくる。
鋭い目つき。
短く刈られた髪。
刑事課の田中だった。
田中は無駄な動き一つなく玄関へ入る。
リビングには、放心状態の由美が座っていた。
田中は由美の正面へ腰を下ろす。
「刑事課の田中です」
低い声だった。
「どうぞよろしく」
由美は涙を堪えながら頭を下げる。
「お願いです……!」
「息子を、春人を助けて下さい……!」
田中は、その言葉を遮るように由美の手を強く握った。
「お子さんは必ず助けます」
断言だった。
「ですが」
田中の目が鋭くなる。
「その為には、あなたの協力が不可欠です」
由美は何度も頷く。
田中はタケルのスマホを受け取る。
画面を見る。
ロック解除。
アプリ。
通話履歴。
そして振り返り、部下達へ次々と指示を飛ばした。
「伊藤タケルの身辺を洗え」
「勤務先、交友関係、金融履歴」
「最近の行動を徹底的に調べろ」
「防犯カメラも全部押さえろ」
若い刑事達が一斉に動き出す。
田中は再び由美を見る。
そしてポケットからボールペンを取り出した。
「奥さん」
「知っている事を、全て話してください」
別室。
由美は、田中刑事と白木刑事に全てを話した。
家を出る前のタケルの様子
三ヶ月前の修羅場。
DNA鑑定結果。
由美は何度も泣き崩れた。
「全部……」
「全部、私のせいなんです……」
白木刑事は黙ってハンカチを差し出す。
「きっと大丈夫」
「旦那さんだって本当に、お子さんを殺したりなんてしないわ」
優しい声だった。
だが。
田中は静かに口を開く。
「奥さん」
部屋の空気が変わる。
「これは、かなり危険な状況です」
由美が顔を上げる。
田中の目は、少しも揺れていなかった。
「……覚悟が必要かもしれません」
朝七時。
窓の外は、もう完全に明るくなっていた。
だが。
伊藤家には、誰一人眠っていなかった。
リビングには、疲弊した空気だけが漂っている。
由美はソファへ座ったまま。
白木刑事は無線対応。
山根刑事達は出入りを繰り返していた。
田中だけが、静かに状況を見ている。
その時だった。
由美のスマホが鳴る。
非通知。
部屋の空気が一瞬で凍る。
由美が田中を見る。
田中は小さく頷いた。
由美は震える指で通話ボタンを押す。
「……タケル?」
弱々しい声だった。
だが。
返事は無い。
数秒後。
電話の向こうから、タケルの機械みたいに冷たい声が聞こえた。
『こちらの要求を伝える』
刑事達の表情が変わる。
『子どもを助けたければ』
部屋中の人間が息を飲む。
そして。
『子どもの本当の父親を殺せ』
プツ。
通話が切れる。
「追え!!」
若い刑事が叫ぶ。
「発信源特定急げ!」
無線が飛び交う。
部屋が一気に騒がしくなる。
由美は呆然としていた。
田中は静かに由美を見る。
「……子供の本当の父親」
「つまり」
「アキラという男が本当の父親なんですね?」
由美は何も答えない。
だが。その沈黙だけで十分だった。
田中は立ち上がる。
「真島アキラの自宅へ人を送れ」
「すぐにだ」
刑事達が動き出す。
田中は窓の外を見る。
朝日が、静かに街を照らしていた。
そして心の中で考える。
――それにしても。
――伊藤タケルは、何を考えている?
“本当の父親を殺せ”――。
わざわざ殺すように命令するのは
それほどの怒りってことか?




