告白
朝になっていた。
リビングへ、薄い朝日が差し込んでいる。
ステンドグラスを通った淡い光が、床へ静かに色を落としていた。
タケルはアトリエのドアの前へ座り込んでいた。
昨夜から、ほとんど動いていない。
そして。
静かにドアが開く。
由美も、ほとんど寝れていないのだろう。
目が赤くなっている。
だがその表情は、昨夜よりずっと静かだ。
タケルはゆっくり顔を上げる。
そして、小さく言った。
「……ごめん」
由美は何も言わず、タケルを抱きしめた。
「私こそ」
掠れた声。
「ぶったりして、ごめんなさい」
しばらくそのまま、二人は動かなかった。
やがて由美が離れる。
そして、自分のスマホをタケルへ差し出した。
タケルは意味が分からず、由美を見る。
由美は少しだけ笑った。
いつもの優しい笑顔だった。
「好きなだけ調べて」
「タケルの気が済むまで」
「私は大丈夫」
「なんならアキラさんに電話したっていい」
由美は静かに続ける。
「だから、これで終わりにして」
タケルはスマホを受け取る。
由美を見つめる。
そして。
タケルは由美を強く抱きしめた。
由美は少し苦しそうに笑う。
「ねぇ」
「調べなくていいの?」
「それとも今日は仕事サボって、ずっとこうしてる?」
由美が小さく笑う。
だがタケルは返事をしなかった。
代わりに。
由美を抱きしめたまま、静かに数字を口にし始める。
「090……」
由美の表情が止まる。
タケルは続ける。
「3472……」
「1485」
その瞬間。
由美の身体が硬直する。
それは真島アキラの番号。
しかも。仕事用ではない。
“女相手で使い分けてる番号”
由美の呼吸が止まる。
タケルは由美を抱きしめたまま、離さない。
まるで逃がさないように。
そして。
スマホを自分と由美の耳へ当てる。
コール音。
一回。
二回。
三回。
やがて。
電話が繋がった。
『……もしもし? 由美、こんな時間にどうした?』
まぎれもないアキラの声だった。
由美の顔から血の気が引く。
アキラの声は、明らかに親密で、慣れた響きがあった。
『タケルのやつ、俺たちの事、疑ってるぞ』
『もしもし? 由美?』
タケルは無言だった。そして静かに通話を切る。
部屋に沈黙が落ちる。
由美の唇が震えていた。
「……どうして?」
掠れた声。
タケルは由美を抱きしめたまま、ぼんやり前を見る。
「昨日さ」
静かな声。
「アキラさんの家へ向かう途中、ポルシェとすれ違ったんだ」
由美は黙っている。
「一昨日、パーティーにいた女だった」
短い沈黙。
「たぶん、アキラさんの家に泊まってたみたい」
由美の呼吸が浅くなる。
タケルは続けた。
「だから名刺を頼りに、電話して聞いてみたんだ」
「……アキラさんが、女相手で使い分けてる番号」
由美の呼吸が止まる。
タケルは、ぼんやり前を見たまま続ける。
「すぐに教えてくれたよ」
由美の力が抜ける。
崩れ落ちそうになる身体を、タケルは強く抱き止めた。
しかし、その腕に、優しさはなかった。
そして。
長い沈黙が続いた。
由美はもう、全てを諦めた人間の顔をしている。
タケルは由美を見つめたまま、静かに聞く。
「……いつから?」
由美は目を閉じる。
重い口を、ゆっくり開いた。
「タケルと知り合う前……」
「アキラさんと、付き合ってた時期があるの」
タケルの表情は動かない。
「ほんの数ヶ月よ」
「でも、お互い合わないって別れた」
由美は涙を拭きながら続ける。
タケルはしばらく黙っていた。
そして。
静かな声で聞く。
「……じゃあ、どうして」
「僕と結婚してからも二人で会ってたの?」
由美の肩が震える。
「偶然なの……」
「本当に」
由美は泣きながら言葉を繋ぐ。
「一度、タケルと大きな喧嘩した事あったでしょ?」
タケルは小さく頷いた。
結婚して間もない頃。
由美が泣きながら怒った夜。
『どうして昔の事を何も話してくれないの?』
タケルは昔から、自分の過去を話さなかった。
仕事。
恋愛。
何を聞かれても曖昧に笑って誤魔化していた。
由美は続ける。
「その時」
「偶然、アキラさんと再会したの」
「それから……」
由美はそこで言葉を止めた。
タケルは何も聞き返さない。
その目からは、もう感情が読み取れなかった。
「もうしかして……」
「もしかして、春人は……」
タケルが何か言おうとした、その瞬間だった。
由美が突然、タケルへしがみつくように抱きついてきた。
「待って……!」
涙で声が掠れている。
「お願い……!」
「春人が、自分の子じゃないなんて言わないで……!」
由美はタケルの服を強く掴む。
まるで、離した瞬間に全て終わってしまうみたいに。
「謝るから……!」
「何でもするから……!」
「もうアキラさんとは会わないから……!」
由美はそのまま泣き崩れた。
肩を震わせながら、何度も首を振る。
「タケルが居ない世界なんて……」
「考えられない……」
タケルは黙って由美を見下ろしていた。
昨日までなら。
きっとすぐ抱きしめ返していた。
「大丈夫だよ」
そう言っていた。
だが。
今のタケルの顔には、何も浮かんでいなかった。
怒りも。
悲しみも。
涙すら。
ただ静かに、由美を見ている。
その時。
ふぇ……。
小さな泣き声が響く。
春人だった。
タケルはゆっくり由美から視線を外す。
そして。
ぽつりと言った。
「……春人にミルクあげなきゃ」
由美は涙を流したまま顔を上げる。
タケルは無表情のまま、ベビーベッドへ向かった。
朝日が、静かにその背中を照らしていた。




