アキラ
翌朝。
タケルは眠そうな春人の頬にキスをし、
由美にも軽くキスをして家を出た。
いつも通りの朝だった。
信号待ちでタケルは助手席を見た。
鍵がない。
「うそだろ……」
今日の内見で使う物件の鍵だ。
慌てて記憶を辿り、
昨夜アキラの家でベストを脱いだ時に
ポケットに入れたままだったことを思い出す。
由美に電話をかけ、
アキラに連絡を頼むと、
タケルは再び湘南の豪邸へ向かった。
昨夜来たばかりの真島アキラ邸。
昼間に見ると、その豪邸ぶりはさらに異様だ。
タケルはインターホンを押す。
数秒後。
スピーカー越しに、酷く眠そうな声が返ってきた。
『……どうぞー』
電子音と共に門が開く。
タケルは足早に玄関へ向かった。
ドアを開けた瞬間。
アルコールの匂いが流れてくる。
「おはよータケル」
半裸のアキラが立っていた。
髪はボサボサ。
どう見ても二日酔いだった。
「昨日、鍵忘れちゃって」
「あー」
アキラが気怠そうに笑う。
「おじゃまします」
タケルはリビングへ入る。
タケルはすぐに自分の会社ベストを見つけた。
「あった……」
タケルは安堵しながらベストを掴む。
胸ポケットへ手を入れる。
だが。
タケルの動きが止まった。
「……ない」
鍵が入っていない。
タケルが顔を上げる。
すると。
アキラがニヤニヤしながら立っていた。
片手に、物件キーを摘んで。
「探し物これ?」
「ちょっ……!」
タケルは慌てて手を伸ばす。
だが。
アキラは子供みたいに手を高く上げて避ける。
「アキラさん!」
アキラは笑う。
どこか酔いが残った顔で。
「やだ」
「返してくださいよ!」
タケルが呆れたようにため息をつく。
するとアキラは、不意に笑みを弱めた。
そして小さく言った。
「……寂しいんだよ、俺は」
タケルが動きを止める。
アキラは鍵を弄びながら、ソファへ倒れ込む。
「もう少しここにいてくれよ、一人になりたくないんだ……」
タケルは苦笑しながら、アキラの向かいへ立っていた。
だが。
ふと視線を落とした瞬間、その表情が僅かに固まる。
ガラステーブルの上。
細長く並べられた白い粉。
そして、丸められた紙。
タケルは何も言わなかった。
だが心の中では、静かに舌打ちしていた。
――面倒ごとは勘弁してくれよ。
アキラは元々、危うい空気を纏っている男だった。
派手な交友関係。
怪しい噂も絶えない。
タケルはそういう世界に深入りしたくなかった。
タケルは視線を逸らすように言った。
「……そういえば」
「昨日、バルコニーで由美と何話してたんですか?」
アキラはソファに深く沈んだまま、ぼんやりタケルを見る。
「んー?」
そして、ふらつきながら頭を捻る。
タケルは、もう答えは返ってこないかと思った。
だが数秒後。
アキラは突然笑った。
「俺さ」
「由美に言ったんだよ」
タケルは黙って聞く。
「お前は才能を無駄にしてるって」
アキラはワインボトルを掴み、そのまま直接口をつける。
「貧乏人の家のデザインなんか描いてねぇで」
「もっとデカいもん描けってな」
タケルは静かにアキラを見る。
言い方は最悪だったが、言っている事自体は、間違っていない。
タケルも知っていた。
由美の才能は、人並み外れている。
空間。
細部の光の感覚。
由美が描くデザインは、他のデザイナーとは一線を置く力があった。
今住んでいる自宅だってそうだ。
由美が細部までこだわっている。
タケルはアキラの手元を見る。
鍵。
次の瞬間。
タケルは素早く鍵を奪い取った。
「あっ」
アキラが間抜けな声を出す。
タケルは小さく頭を下げる。
「すみません、仕事あるんで」
そのまま踵を返す。
早くこの家を出たかった。
すると後ろから、ろれつの回らないアキラの声が飛ぶ。
「由美に伝えとけー!」
タケルが振り返る。
「お前ん家のステンドグラス!」
「床に映る光まで計算したデザインは、もはや芸術だってなぁ!!」
タケルは、何も返さず、そのまま玄関へ向かった。
会社へ戻ると、何事もなかったように仕事をこなした。
気づけば、いつもの営業マンの顔へ戻っていた。
だが頭の片隅には、ずっと今朝のアキラのことが残っていた。
ガラステーブル。
白い粉。
酔い潰れたアキラ。
――今後は、付き合い方考えないとな。
タケルはぼんやり思う。
アキラは悪い人間じゃない。
だが、あの世界は危うすぎる。
自分が踏み込む場所じゃない。
それに。
由美がアキラと何かあるんじゃないか、なんて。
完全に考えすぎだった。
タケルは苦笑する。
――由美がアキラを選ぶはずがない、僕が馬鹿だったな。




