第三十一話 見つけ出して
陽の光はもうすっかり落ち切って、地平線の果てに微かな赤みを残すだけ。
本来の撤退予定時刻は、大きく過ぎてしまいました。
それでも私たちはひたすらに走ります。
私の辛うじて扱える癒術――強壮陣のおかげで、ただ走る分には疲れ知らずなのですから。
後の負担については考えずに、ひたすらに走り込み続けて……。
ようやくそこに、たどり着くことができました。
「こんなところに、家があったんだ」
「正直なところ、信じられないな」
そんな様子で、シャラさんやエンデさんが呟いてしまうのも、無理はないでしょう。
エイビルムの東側と言えば、未開拓が当たり前の地域なのですから。
こんなにも鬱蒼とした森の中に、こんなにも穏やかな場所があるのだと、信じられない気持ちはわかります。
「それでも、ここが私の家です」
森のなだらかな丘の上、一本の大木の根元にある小屋の中。
当時の私は、そこにお母さんと二人で住んでいました。
頑丈な石の土台の上に造られたそれは、元は放置された廃屋だったそうで、居間に寝室、台所にお母さんの仕事場と、暮らしていくのに十分な広さがありました。
私は確かな緊張感を覚えつつ、カバンから取り出した、金属製の鍵を眺めます。
そのまま玄関へと向かって、小屋の扉を開いてしまっても、構いやしないはずですが……。
それではきっと、彼女とまともに話せはしないはずだから――
「私一人で行きます。三人は、周辺の警戒を」
「わかった」
「承知!」
「了解だ」
ひとまずは頼もしき仲間たちの言葉を背に受けて、私一人で玄関へ向かいます。
自分の家の前に立って、こうしてしまうのも妙な気分ではありますが。
こうするべきだと思ったから、私は玄関の扉を、コンコンと軽く叩きます。
「ハロウェ。いるんですよね」
同時に家の中から響いた、ドタバタと騒がしい足音。
どてっとどこかでこけたような音に続いて、玄関に近づくにつれ、力を失っていく足音。
相変わらず、どこかであわてんぼうで、恥ずかしがり屋なあの子らしい足音。
「ただいま戻りました」
「……帰ってくるのが、遅いわよ」
思った通り、なのでした。
彼女は、すでにこの小屋の中で、私のことを待ってくれていたようでした。
それはおそらく、昨日の夜から、今までずっと。
ギルドの知らせも届かない、この小屋の中で――私を待っていたのでした。
「ごめんなさい。昨日は少し、忙しくて」
「だったら、私、すぐ出ていくわ」
「いえ、それはダメですよ」
「……どうして」
自分で言っていて、妙な言い回しだなと思います。
ほとんど喧嘩別れの形をとっていて、嫌に日常らしい会話をするものだと思います。
それでもきっと、彼女に歩み寄ろうと思うなら……。
「もう一度あなたに向き合いたいと思うなら、こうして話すのが一番だと思ったので」
あなたは今、そう言う私の声を聴いて、納得がいかないような声を漏らしましたね。
「もう」とも「うう」とも似つかない、ばつの悪そうな声を漏らしてながら、私に何か尋ねようとしてくれているのでしょうか。
「どうして、怒らないの」
「どうして……どうしてでしょうね?」
「ふざけないで。あなただって、怒っていいはずでしょ」
そんな風に言うあなたの声は、決して私を責めないのですね。
だからこそ、この言い回しこそが、あなたが私を気遣ってくれた、不器用な優しさなのだと理解できましたよ。
本当は、もっと早く気付けたら……よかったのかもしれませんが。
「私……許可も取らずに家に上がったわ」
「上がっちゃダメなら、鍵の隠し場所を変えてます」
今はわざわざ確かめませんでしたが、きっとそうだろうと思いました。
きっと裏口近くの水瓶の下の、合鍵は今はあなたの手の中にあるのでしょう?
「たくさん酷いことも言った」
「私を思ってのことでしょう、ありがたかったですよ」
そりゃあ、確かに一度は傷つきましたけど、後から気付けたわけですから。
あなたが私に向ける優しさが、いつだって不器用なことくらい、元からわかっていましたよ。
「……あなたと違うって言いたくて、パーティーを見せつけたりもした」
「それは確かに、ショックでしたね」
「じゃあやっぱり――」「でも、それは」
そんな風に、私が言葉を遮ってしまって、あなたはどんな顔をしているのでしょうか。
ひょっとすると今、あなたのことを傷つけてしまったのでしょうか。
それでも、どうか、私の本心を、今伝えようと思った私のわがままを、今だけはそこで聞いていてください。
どうか私の心の内を、もうしばらくだけ、聞いてください。
「私がショックだったのは、あなたの異変に気付けなかったこと、です。
上手く言ってたなら良かったですけど、そういうわけじゃなかったんですもんね。
あなたの強がりに気付けずに、こちらへ向けて伸ばしたその手に、
気付けなかったことが、ただただショックだったんです」
私がそうやって言葉を紡いでいくにつれ、何か言いたげに息を漏らして、
それでも何も言えないあなたは、やっぱり少し不器用ですね。
思えばそんな振る舞いに、心を乱されてしまったこともありましたが……。
今の私なら確信を持って、あなたと一緒に居たいって、叫べるような気がしています。
「話してください、ハロウェ。あなたの言いたいことを、全部」
そうやって、私が促してから十数秒。
扉越しでもわかる息遣いで、声を詰まらせたあなたは、ゆっくりと語り始めてくれましたね。
「私とひと月パーティーを組んだ後、ギルドで何と呼ばれているか知ったわ」
「それは……どんな風に呼ばれてたんです?」
「別に、いろいろだけど……お嬢様気取りとか、高慢娘たちとか、そういうのよ」
「なるほど……それは嫌ですね?」
「でしょう。私も嫌だった。でも、何よりも嫌だったのは……」
そうやって、苦し気に息を呑みこんだあなたは、酷く苦しそうな声色でうめいて。
「私の性格がきついせいで、あなたの評判を下げたってこと……!」
それでも私に伝えようと、向き合おうとそう言ってくれたあなたは……。
「……あなたは、やっぱり底なしに優しい人なんだって、私は今、確信できました」
「そんなこと……!」
「あるんですよ、ハロウェ。私はあなたの……もしかするとあなたすらも気付いていない優しさに、気付いているのかもしれませんよ?」
ひょっとして、あなたは何か言い返したかったのでしょうか。
それとも……言い返したくなかったのでしょうか。
なんにせよ、私はあなたの言葉が欲しいのです。
相槌や返答ばかりじゃない、あなたの中から湧き出た言葉が。
「……仲間ができたって聞いて、悲しくなった」
「私も同じ気持ちでした」
「……でも、あなたが一人でやっていけるって知って、嬉しかった」
「私も、そうでしたよ」
「……そう」
思い返せば、あの広間で仲間たちを紹介してくれた、貴方に対する反応は少しズレてしまっていたでしょうか?
それでもいいと思います。
だって私、あなたが幸せだって思えたら、間違いなく嬉しいに違いないんですから。
問題は、それが丸きりうまくいっていなかったことですが……。
それはもう、いいのです。
「ほんと……ばかみたい。どうして行っても私はどうせ、ひとりぼっちがお似合いなのに」
それはきっと、ようやく聞けたあなたの心の内。
それでもまるで、本心とは似ても似つかない、正反対な言葉遣い。
「……あなたがそれを望むなら、そうかもしれません」
「っ……。そうよ、私は一人で居たいのよ。だから――」
「でも、ダメです」
また遮ってしまって、申し訳ないとは思いますが。
私はあなたのそんな嘘を、否定しなくてはいけません。
嘘つきであべこべなあなたの優しさを、強く肯定して見せるためには。
「私はそんなの嫌ですから」
こちらから踏み込んでいくしかないでしょう。
この手に持った鍵を差し込んで、このドアを開いて見せるしかないでしょう。
「だめ! 開けないで……!」
「……私はハロウェと一緒にいたいです」
「私は……わたしはそんなの……!」
……やっぱり。そこで私は違うとか、そんなこと望んでないだとか、
そう言ってしまえない貴方はやっぱり、どこか諦めきれないんですよね。
「覚えていますか、初めて二人で依頼を達成した日のこと」
「……まあ」
「プレーンスライムの討伐なんていう、簡単そうな依頼の中で、現れた巨大スライム相手に、二人で逃げたりしましたよね」
「……そうだった、わね」
「それでもなんとか依頼をこなして、報酬もかなりよかったから、ふたりで商業区に行ってから、一番いいと思ったものを贈り合いましたよね」
「……知らないわ」
それは、間違いなく嘘ですね。
何よりも分かりやすい嘘じゃないですか。
「私、あの時にあなたから貰ったもの、今でも欠かさず身に着けてますよ」
「知らない……!」
「あったかくって好きなんです。冬の寒さは堪えるからって、まさに読み通りじゃないですか」
「知らない……っ!」
「あなたもそうでしょう? あなたもいつも私と同じように――」
「知らないっ!! 知らないってば……!」
ああ。あなたはきっと、一度嘘をついてしまったばっかりに。
それを最後まで貫こうとしてしまっているのですね。
「これっきりでもう、ずっとひとりぼっちで良いって思えてたのに、そんなことばっかり思い出させないでよ……!」
ハロウェ。それだってきっと、あなたの本心じゃないでしょう。
貴方はそんなこと、望んではいないでしょう。
私には、わかりますよ。分かってしまうんですよ、ハロウェ。
だからこそ、もう一度、何度でもあなたにこう言わせてください。
「あなたがそれを望むなら、あなたはずっと、ひとりぼっちかもしれません。
あなたが受け入れてくれなければ、これも無意味な行いかもしれませんが……」
「……なに」
「それでも。なんですよ」
私たちの間に心地よく流れる沈黙、読闇に響く木の葉の擦れる音。
リンリンと虫の無く音に紛れて、鍵の開く音が響きます。
私はただ、その場で立ち上がって玄関へ向き直り、押し黙ったあなたに耳を傾けても、何も聞こえないと言うのなら――。
それでも何も言ってくれないというと言うのなら。
「例えあなたが望まなくても、私はそばに居たいと言います。
あなたが一人で生きたいと言うのなら、私は勝手にあなたを追いかけ続けます
あなたがずっとひとりぼっちで、その寒さに耐えられるというのなら……。
それならばせめて。私に。勝手に。そばに居させてはくれませんか」
それもこれも迷惑この上ない、私の自己満足に過ぎない傲慢な行いかもしれませんが。
あなたにとって何の実りもない、お節介であるのかもしれませんが。
それだけではないと信じているから。
こうしてぶつけた言葉の一つ一つが、後からあなたの心を救えたらいいと。
心の底から思っているから……だから。
「どうかお願いです、ハロウェ」
私は今からドアの中へ行って、そうしてあなたに向かい合って。
それでもきっと眼を向けてくれないあなたの顔を覗き込んで……。
それでも顔を合わせてくれないというのなら。
それならば、せめて。
「ひとりぼっちで凍えるあなたの、隣で寒いねって言わせてください」
そうして開いた扉の中へ、私は一歩踏み出しました。




