スカーレットの憂鬱-7
そんな事はあったものの、その日は何事もなく過ぎた。
さすがに奏も反省して、財布は教えてあげようと心に誓った。元々、ひとつくらい減ったところで大差はない。みどりは感謝していたが、おっちょこちょいは変わらなかった。
今日も奏の教科書を間違えて持って行ってしまい、わざわざ机から取り戻す羽目になる。あまりにも回数が多いせいで、勝手に持って行っていいと言われている。
みどりの教科書は使われていないロッカーの片隅にあった。
大方、いつものように何かを落とし、拾う際に置いたのだろう。みどりはしょっちゅうそういう事をする。フォローするのは奏の役目だ。
いつもなら机の中に放り込んでおいてやるところだが、そこまでしてあげる気にはなれなかった。目をそらし、見なかった振りを決め込んでおく。
明日気がついたら教えてやればいい。それまでは知らない。
気づくとみどりの世話を焼こうとしてしまう自分を、馬鹿だなぁと思う。
これだから脇役扱いなのだ。そんな自分が嫌なのに、どうする事もできない。
みどりみたいになれたらいいのに。
そうしたら、きっと。
そんな時だった。
体育の授業が始まる前の更衣室、奏はみどりの体育袋から落ちかかっている靴下に気がついた。反射的に戻してやろうとして、その手が止まる。
みどりの靴下は真っ白で、染みひとつなかった。
靴下を取り上げたまま、奏はしばらく立っていた。
戻す事も捨てる事もできずにいると、更衣室に他の人が入ってくる。反射的にポケットに押し込み、奏は急いで着替えを終えた。
体育の授業をこなし、ふたたび着替えて更衣室を出る。みどりは靴下がなくなっている事に気づかなかったし、奏もそれを忘れていた。
更衣室を出る時、靴下がすぐそばの廊下に落ちた。奏はそれに気づかなかった。
それは結構な騒ぎになったのだが、その時の奏は知る由もなかった。
***
***
――あたしって、ものすごく性格悪いんじゃないかしら。
自分の部屋で、奏はひとり悶々としていた。
靴下がないと分かった時、奏は青くなった。おまけに、田中くんがみどりの下着を手づかみする事件まで起こってしまい、収拾がつかなくなってしまった。
田中くんには申し訳なさすぎて、今でも顔が見られない。
そもそも、田中くんは悪い人じゃないと思う。
みどりの靴下を見つけるために、彼は力を貸してくれた。この間だって、這いつくばって財布を探してくれたという。見た目がオタクでも、彼は紛れもなくいい人だ。「おいコラ山田ァ!!」とか叫ぶ人よりずっと、彼の方が魅力的だ。
それから、みどりの財布と靴下を見つけてくれた男子もいた。
おとなしくて目立たないけれど、彼もきっといい人だ。
世の中にはそんな人がたくさんいる。主役ではないけれど、悪役でもない。いないと物語が回らない、そんな人々。
――そして、奏もそうかもしれない。
奏はヒロインじゃなかった。けれど、スカーレットでもなかった。
それを認めるのは苦しかったが、仕方がないとも思った。
そう思った翌日、奏はみどりに謝られた。
「ごめんね、奏ちゃん」
みどりは純粋に申し訳なさそうな顔をしていた。
「……は? 何が?」
「奏ちゃんはオタクじゃないよ。イケてる女子だよぅ」
「――――……」
何か言い返したかもしれないが、よく覚えていない。
みどりはますます申し訳なさそうな顔をして、続けて言った。
「奏ちゃんはキモくないし、オタクでもないし、田中くんとは違うから」
その瞬間――感じたのは、純粋な怒りだった。
あんたがあたしにそれを言うの。
悪気もなく、無邪気な顔で、残酷なセリフを口にするの。
みどりは物語のヒロインだ。彼女にはその資格がある。
明るく天真爛漫で、人を惹きつける魅力の持ち主。ちょっとドジでうっかりしていて、放っておけない頼りなさ。たまにちゃっかりしているし、イラっとする事もあるけれど、奏には分かる。彼女はヒロイン側の人間だ。
この先きっと、彼女は自分だけの物語を紡いでいくのだろう。そうなる事に、みどりは何の疑いも持っていない。
当たり前のように奏の手を借りて、当たり前のようにいくつもの物を踏みしめて、彼女はスポットライトの当たる場所へ駆けていく。
彼女の目には王子様しか映っていない。
だから気づかない。彼女が踏みつけてきた多くのものに。
田中くんはいい人だ。
みどりのために、わざわざ声をかけてくれた。真似できないくらい素敵な人だ。
山田くんもいい人だ。みどりに名前を忘れられても、ちゃんと力になってくれた。
――それなのに、あんたはその人たちを下に見るの。
「そうね」と奏は頷いた。胸の内でごうごうと炎が燃え盛っていた。
「田中くんとも、山田くんとも違う。……それから多分、あんたや桐生くんとも違うんでしょうね」
物語の中心はヒロインで、彼らはそうじゃない人達だから。
取るに足らない、脇役だから。
それを噛みしめるように、ゆっくりと口を開く。
「あたしね、あんたに嫌がらせした犯人を知ってるの」
「……え?」
みどりはぽかんとした顔をしていた。
何を言われているのか分からなかったのかもしれない。間抜けなその顔に、こんな時なのに笑いそうになった。
「あんたもよく知ってる人よ。でも、あんたには言わない。絶対にね」
少しくらい悩めばいい。
あんたの友達はあんたの敵で、あんたが困っているのに知らんぷりしたの。
あんたに見下されるのが悔しくて、意地悪したの。
そんな自分は皮肉にも、悪役のスカーレットのようだった。それに気づいて、かすかな自嘲が込み上げた。
「それじゃあね、みどり」
目をやると、みどりはまだぽかんとしていた。
その日は結局、みどりと目を合わせなかった。




