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友達の山田くんには秘密がある  作者: 片山絢森
クラスメイトも色々ある

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スカーレットの憂鬱-5


    ***



 コンコン、コン。

 ノックをすると、「どうぞ」という返事があった。


「失礼します」


 放課後の英語準備室。そして、古賀教師の個室でもある。顔を出した奏に、彼はメガネの奥の目を瞬いた。


西(にし)(もと)さん? 何か質問かな」

「あ、いえ、そうじゃなくて。あたし、あの、みどりの代わりで」

「宮園さんの?」


 ぱちり、ともう一度瞬きする。そんな顔をすると、少しだけ子供っぽい。


「……宮園さんのはペナルティのつもりだったんだけど、伝わってなかったかな」

「そうじゃなくて、みどりはあの、用事があって、おばあちゃんのお見舞いを忘れていて、それで」

「ああ、そうか」


 なら悪い事言っちゃったな、と頭をかく。よれよれのグレーのニットから見える手首が骨ばっていて、どきんと胸が高鳴った。


「教えに来てくれてありがとう。それじゃあ、また明日ね」

「え、あの、あたし、手伝います」

 そう言うと、古賀教師は苦笑した。


「あれはペナルティだから。西本さんはしなくていいよ」

「でも、あたし、代わりにやるって約束しちゃったし」


 動かない奏を見て、彼は困った顔になった。どうしようかというように首をかしげ、うーんと迷った顔になり、しばらく考え込んだ後、彼は遠慮がちに頷いた。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな。ありがとう、西本さん」

「……はい!」


 奏は目を輝かせて頷いた。

 それじゃあと促され、準備室に足を踏み入れる。通りがかった事は何度もあるが、中に入るのは初めてだ。秘密基地めいた感覚に、なんだかどきどきしてしまう。


「埃っぽくて悪いね。散らかってるだろう?」

「いえ、まあ……はい」

「どうも片づけるのは苦手で。(あん)(どう)先生にはよく怒られてるよ」


 安藤先生はベテランの英語教師だ。いつもきっちりと髪を結い、小ぶりなイヤリングをつけている。年齢は四十代半ばほどだろうか。同じ立場とは言え、若い古賀教師が敵わないのも無理はない。


「いやまったく本当に……在学中から怖かったもんな、あの先生」

「古賀先生もこの学校出身だったんですか?」


 目を丸くすると、彼は当然の顔で頷いた。


「そうだよ。安藤先生はその時の担任だった」

「知らなかった……」


 制服を着ていた古賀教師を想像してみる。

 今より少し若くて、疲れていない十代の顔。メガネはかけていたのだろうか。シャツの上からよれよれのニットを着た、制服姿の古賀教師。いや、古賀生徒?


(……可愛いかも……)


 そんな事を思っていると、「西本さん?」と名前を呼ばれた。


「それじゃ、プリントの分類をお願いします。割と量があるから、ゆっくりでいいよ」

「はい」

「マーカー別に色分けしてあるから、色ごとにまとめてくれるかな。二色以上あるのはひとまとめにしてこっちへ。分からないことがあったら聞いてください」


 そう言うと、彼は机に向き直った。何やら仕事を始めている。

 教師の仕事は、時給に換算すると驚くほど安いのだと聞いた事がある。おまけに残業や休日出勤、反抗的な生徒の相手と、どう考えても割に合わない。最低賃金を絶対割っていると思う。


 彼は、どうして教師という職業を選んだのだろう。


「西本さん?」

「あ」


 ぼんやりと見ていたせいか、ふたたび名前を呼ばれてしまった。

 それをごまかすように、「これ、何の資料なんですか?」と聞いてみる。彼は不審に思った様子もなく、「使えそうな構文の例文だよ」と答えてくれた。


「発音もそうだけど、とにかく量に触れることが一番だから。流し読みでもいいから、目を通してもらえればと思って」


 プリントアウトされているのは、本や新聞の一節だった。必要と思われる箇所にマーカー線が引かれていて、走り書きで解説が添えられている。生徒に出す時には、きちんと清書するのだろう。彼のプリントは勉強になると、担当外の生徒までもらいに来ている。


 すごいな、と思う。

 いつも当たり前のように受け取っていたけれど、こんなに準備していたのか。これからはもう少し気合いを入れて読もうと思った。


「西本さんは、英語が得意だよね」

「え」

「宿題もきちんとやってくれるし。助かるよ」

「いえ――そんな」


 照れたようにうつむきながら、奏の心は弾んだ。


 ほら、やっぱり真面目にやっている人間は報われるのだ。

 みどりみたいに、しょっちゅう宿題もノートも忘れて、やっつけ仕事の子なんかよりもずっと。ちゃんとやっていればこうやって、誰かがきちんと見てくれる。先生がこうして認めてくれたように。


 やっぱり自分は間違っていなかった。

 堅実に生きていれば、正当に評価されるのだ。

 そう、きっと、あの子よりも――。


「宮園さんも、西本さんみたいに熱心だといいんだけどなぁ」

「……え」


 一瞬、反応が遅れた。


「西本さん、宮園さんと仲が良かったよね? どうしたら彼女が英語を好きになってくれるか、一緒に考えてもらえないかな」

「え……と、その」

「毎日どうしようかと考えてて、頭が痛いよ。僕の授業、そんなにつまらないのかな。宿題もいつも殴り書きだしなぁ」


 西本さんは見てるよね、と苦笑される。ぎくしゃくと頷いたが、奏の頭は真っ白だった。


 愚痴っぽく言いながらも、古賀教師の目はやさしい。出来の悪い子供を見守る年長者の目だ。手のかかる子ほど可愛い、という使い古された表現が頭をよぎる。そう、みどりは手がかかる。厄介で面倒な――だからこそ、人の記憶に残る子だ。


「もっと雑談した方がいいのかな。それとも例文を多くする? 宿題は……これ以上減らせないし。どうしたもんかなぁ」

「……クイズでも出したらどうですか? それか、推理物とか」

「クイズか。それも悪くないね」


 でも英語のクイズって難易度高いかもしれないな、と苦笑する。西本さんならできるかもしれないけれどと言い添えて。


「推理物はいいかもしれないな。今の子って、相変わらずミステリーとかサスペンス好きなのかな?」

「さあ、よく知らないです」

「宮園さんだけじゃなくて、みんなが興味を持ってくれるといいな。まあもっとも、目下の課題は宮園さんなんだけど」


「…………」

「悪い子じゃないんだよね。いっそ(みね)()くんくらい突き抜けてるといいのかもしれないけど、それもちょっと問題だしなぁ」


 あれこれ考える古賀教師は、とても楽しそうだ。みどりのために何ができるか、どうすれば彼女の興味が惹けるか、試行錯誤を重ねている。きっと今までもこうやって、ひとりで考えていたのだろう。


(……先生も)


 先生まで――そうなの?


「その点、西本さんは安心だよね。見ていなくても心配ない」


 優等生だ、と軽く微笑む。

 褒められているはずなのに、ちっとも嬉しくなかった。むしろ、見捨てられたような気持ちになった。


「西本さんはしっかりしてるし、頼りになるよ。おかげで宮園さんの宿題が、今のところはパーフェクトだ。これからもよろしく……っていうのは、さすがに申し訳ないから言わないけどね」

「……そんなんじゃないです」

「西本さん?」

「あたし、そんなんじゃないです」


 そう言うと、奏は猛烈な勢いで仕分けを始めた。唇を固く引き結び、雑談を撥ねのけるように背中を向ける。頑なな表情を浮かべたまま、奏は下唇を噛みしめた。


 何よ、と思った。

 どうしてという気持ちになった。


 なんで――なんで、あの子ばっかり。


 奏には確かな予感があった。

 おそらくここにみどりがいても、奏の話題は出ないだろう。話の中心はみどりの宿題と忘れ物、それから授業態度くらいのはずだ。賭けてもいいが、そこに奏の存在はない。


 奏にはみどりの話題を出すのに、その逆はない。

 みどりはそれだけで話題になるのに、奏はならない。

 それは噛みしめるほどに苦い――屈辱だった。


「終わりました。もういいですよね? あたし、失礼します」

「え? あ、ああ……」

「それと、今回はみどりを許してあげてください。あたしが代わりにやったので」


 そう言うと、ぺこりと頭を下げて準備室を出る。「あの、西本さん?」という困惑した声は、聞こえなかったふりをした。

 胸の中にどろどろしたものが詰まっていて、熱くて痛くて苦しかった。

 校門を出る時、携帯に連絡が入っているのに気がついた。


 ――無事合流。奏ちゃんのおかげ!


 イェイ、という絵文字が躍る。

 いつもならすぐに返事をするはずなのに、なぜだか少しイラっとした。

 奏はそれをポケットに突っ込み、家に着くまで返信しなかった。

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