みどりはちょっと抜けている‐6
(どうしよう……)
みどりはうろたえていた。
こんなにどきどきするのは高校入試以来だと思った。あの時だって、そこそこ安全圏にいたから、今回みたいな緊張はない。
嫌な感じだった。
ものすごく怖いと思った。
このクラスに――そうとは限らないけれど、多分このクラスだ――みどりを嫌っている人がいる。そして、嫌がらせを仕掛けてきた。
奏ちゃんに相談しようとして、はたと黙る。この間のように冗談交じりならいいけれど、こんな相談をするのは嫌だ。なんだか恥ずかしいし、みじめな気がする。奏ちゃんには知られたくない。
犯人は誰だろう。
脳裏にポンっと浮かんだのは、オタクでメガネ、ちょっと小太りなクラスメイト。
(……まさか、田中くんが?)
彼はあれ以来、何度か妙な動きをしていた。ものすごく挙動不審だった。
けれど、みどりに何かしている証拠はないし、常に別のところを見ていた気がする。でも、それも作戦かもしれない。なんだかよく分からない。
決め手がないまま二時間目が過ぎ、中休みになった。
そして次の時間になり、三度目が起こってしまった。
「……え?」
体育の授業の後、着替えを終えて教室に戻ると、替えの靴下が消えていた。
体育が始まる前、確かにここに入れたのに。
面倒なので更衣室ではなく、教室で替える事にした。椅子に座って履き替えた方が楽だったから、つい不精をしてしまった。ジャージを引っ張り出して確かめたが、やはりない。忽然と消えてしまっている。
「もっとちゃんと確認した?」
「ジャージのポケットは? 鞄の隅も見て」
友達が口々に助け船を出してくれる。ありがたかったけれど、みどりは答えられなかった。
ちゃんと入れたのに。体育袋の上に、きちんと入れたはずなのに。
体育が始まる前は確かにあった。あったはず、なのに。
(……おまけに)
みどりはぞっと身震いした。
体育袋には着替えも入れてあった。
みどりは汗っかきなので、シトラス系の制汗剤とともに、下着の替えも入れておく。その誰かは、みどりのブラとパンツをばっちり見たという事だ。
もしかしたら――触ったかも。
そう思うと気持ち悪くて、今すぐ下着ごと脱ぎ捨てたくなる。
変質者に触られたかもしれない下着。いや、触るだけじゃないかもしれない。その先の想像は気持ち悪すぎてできない。怖い、嫌だ、気持ち悪い。
「……こ……ッ」
その時、背後に人の気配がした。
「こっ、こ……!」
振り向いたみどりは目を見張る。
立っていたのは田中くんだった。
なぜだか息をハアハアさせ、血走った目でみどりを見ている。だらだらと流れる汗をそのままに、彼は一歩近づいた。
「こっ、こここ、これっ……!」
「え?」
自分より体格のいい男子に近寄られ、みどりはビクッとした。腰が引けたのにも構わず、田中くんはもう一歩近づいてくる。清潔とは言い難い体から、むわっと汗の臭いがした。
「これ、こっ、これ、く、くつ、靴下じゃ……っ」
硬直したみどりに構わず、田中くんは体育袋に手を伸ばした。止める間もなく、中から白いものを引っ張り出す。その手に握られたものに、みどりはえ、と目を見張った。
(あれは……)
みどりの、さっき脱いだばかりの。
汗が染み込んでいるはずの。
体温さえ残っているくらい、脱ぎたてほやほやの――。
「キャ―――――ッ!!」
腹の底からの悲鳴に、田中くんはビクッとした。涙目のままひったくり、その勢いでにらみつける。
「あたしの下着よ! 汗かいたから着替えたの! なんなのバカ、サイッテー!」
ストーカー疑惑の上痴漢なんて、どう考えても許されない。これはセクハラだ。現行犯だ。脱いだばかりの女子の下着を手づかみして、ただで済むとは思わないでほしい。
田中くんは驚いたような顔をしていた。呆然と、という方が近いかもしれない。凍りついたように立ちすくむ彼の事を、みんなが冷たく見据えている。
(もうやだ)
じわりと目に涙がにじんだ。
恥ずかしい。怖い。いたたまれない。
その目にたまった涙がこぼれそうになった時、ふいにやさしい声がした。
「違うよ」
小さいけれど、はっきりした声だった。
「田中くん、靴下探してくれてたんだよ」
口を開いたのは藤崎さんだった。みどりとはそれほど親しくないが、話した事は何度かある。地味系だけれど、割と可愛い顔立ちをしている。彼女は隣にいる吉川さんに、「ね、尚ちゃん」と言った。
彼女の親友は吉川さんだ。クラスでも目立つ女子のひとり。美人で、気が強くて、スポーツ万能。彼女の言葉には力がある。
その吉川さんはちょっとだけめんどくさそうな顔をした後、「あーうん、あたしも見てたわー」と言った。
その言葉で、空気が変わったのが分かる。
彼女は続けて、田中くんが犯人だとすれば不自然な事、そんな度胸はない事など、的確かつ簡潔に述べた。めんどくさそうな割に、藤崎さんには甘いようだ。
順序立てて説明されると、みどりも彼が犯人じゃない事は理解できた。
まだ涙目だったものの、みどりは彼に「…ごめんね」と謝った。下着を手づかみされたのは事実だが、それは不問にしておこう。犯人扱いをしてしまったのだから、それくらいは我慢しないと。
田中くんはみどりを許してくれた。泣きそうな顔をしていたので、さすがにちょっと反省する。
(ホントに呪われてるのかもしれない……)
でも峯田くんとお祓いに行くのは嫌なので、それだけは遠慮したいと思う。
彼は「不幸男」と称されるくらいの不幸の権化であり、しょっちゅうお祓いを勧められている、とても残念なイケメンなのだ。
靴下は更衣室脇で見つかった。見つけてくれたのは特徴のない男子生徒だった。
みどりは彼にお礼を言い、彼もうん、と頷いた。
以前にも見た事があるはずなのに、なぜか印象に残らない。彼も主張はしなかった。
こうして、騒ぎはいったん収まった。




