田中は山田が気に食わない‐6
その後、騒ぎは無事に収まり――峯田くんが謝罪させられていたが、最後まで山田を逆恨みしていた――教室は平穏を取り戻した。
あの一件で田中が人気者になったかといえば、そんな事はない。
けれど、クラスの何人かには声をかけられた。
「すげえ裏声出るんだなお前」
「あの声ちょっとすごかった。面白ぇな田中」
「また今度やってみて。なんかハマった」
話題のほぼすべてが裏返った声なのは釈然としないが、それでも悪くない心地だった。
山田はいつも通り淡々としている。なぜパスケースが峯田くんの尻ポケットから見つかったのかは分からないが、それはもうどうでもいい。すでに事件は終わったのだ。
午後の授業をこなし、帰り支度をしていると、「田中くん」と名前を呼ばれた。
振り向くと、見覚えのある女子が立っていた。
地味な顔立ちのメガネ女子だ。先ほども発言していたが、その前から知っている。田中を助けてくれた美人の友達で、名前は――そうそう、藤崎さん。
「田中くん、すごいね」
「え?」
「みんなの前で、山田くんをかばったでしょう。カッコよかった」
見ると、藤崎さんが尊敬の表情を浮かべていた。メガネ越しの目がきらきらしている。思ったよりもまつげが長い。
「すごいね。なかなかできないよ、あんなこと」
「え、いや、あの」
「勇気があるね、田中くん」
想定外の出来事に、田中はちょっとパニックになった。用事を言いつけられる以外の事で女の子に話しかけられたのは初めてだし、その内容が自分を褒めてくれるものだったなんて、ほとんど生まれて初めてだ。
あわあわする田中をよそに、「吉田くんと佐々木くんもすごいって言ってたよ」と付け加えて彼女は去った。去り際に笑った顔がチャーミングで、田中はちょっと見とれてしまった。
ちなみに名前が出た二人は、教室に戻ってきた際、田中に声をかけてくれた人物だ。
遠ざかっていく後ろ姿を見つめながら、呆然と立ち尽くす。
(……そういえば)
田中が疑われた時、最初に声を発してくれたのは彼女だった。
美人に目がくらんでしまったが、きっかけを作ってくれたのは藤崎さんだった。彼女は田中が床に這いつくばっていた事を証言してくれた。そして美人に援護を頼んだ。
彼女は、田中の事を見ていてくれた。
よく見れば顔も可愛かった。さくらんぼみたいな唇がキュートだった。可憐と呼ぶにふさわしい、スミレのような少女だった。
ひそかな感動に震えていると、「田中くん」と肩を叩かれた。
「さっき、カッコよかったよ。めっちゃすごかった!」
そこにいたのは三崎くんだった。藤崎さんと同じく、目をきらきらさせている。
「なんか名探偵みたいだった。知ってる? 美少女高校生探偵が出てくる大人気推理アニメ。美少女探偵がドSで高笑いしながら犯人罵倒するやつ」
「あ、ああ……うん、映画は毎年観に行ってる」
「マジで? 面白い?」
「脚本家によるけど、その年によって事件と背景とのバランスが……」
ついオタクなトークに流れそうになり、はっと黙る。だが、三崎くんは首をかしげた。
「何、どうかした?」
「あ……いや」
「今度詳しく聞かせてよ。あ、放課後ヒマ? 今度どっか行く?」
「え……」
「とにかくカッコよかったから。山田くんをかばってくれてありがとう」
にかっと笑い、三崎くんも手を振って行ってしまった。
叩かれた肩がじんわり熱い。胸の奥がポカポカしている。
言葉にならない感情を噛みしめていると、つんつん、と背中をつつかれた。振り向いた田中は目を見張る。
「やっ……」
立っていたのは山田だった。
こんな状況でなければ「山田!!」と叫び出すところだったが、もちろんそんな真似はしなかった。山田は静かな顔で田中を見ている。その顔は思ったよりも整っている。峯田くんとは違うタイプだな、とぼんやり思った。
「ありがとう、田中くん」
「え?」
「さっき、かばってくれて嬉しかった。ありがとう」
「――――……」
「田中くん?」
いや、と田中は首を振った。
信じられないような気持ちだった。
山田が自分を知っていた。
それだけでなく、助けられた事も分かっていた。
口を開いたら泣きそうで、でも何も言わないわけにはいかなくて、ぶんぶんと首を振る。この感情をうまく言葉にできない。ここしばらくの無駄な努力が脳裏によみがえり、大声で叫び出したくなる。
そうする代わりに息を吸い、ひとつだけ聞いてみた。
「な、なんで……パスケース、峯田くんのポケットに」
「ああ、それは」
そう言うと彼はちょっと面白そうな顔になり、しいっと指を唇に当てた。
「秘密です」
***
***
こうして事件は無事に解決した。
だからといって、田中の日常が劇的に変化したわけではない。
相変わらず山田の影が薄い事を羨み、目立てば目立ったで嫉妬して、ぎりぎりとハンカチを噛みしめる日々。けれど、そこに変化が加わった。
「おはよう、田中くん」
「……藤崎さん」
藤崎さんを見かける回数が増え、挨拶を交わすようになった。隣の美人女子もめんどくさそうに声をかけてくれる。たまに。ごくたまに。でも、それで十分だ。
さらに。
「ねえ田中くん、あのトリック意味分かんないんだけど、倫理的にアリなの?」
すっかり有名美少女推理アニメにハマった三崎くんが、ちょくちょく声をかけてくれるようになった。
「アリかナシかっていえばナシだけど、この場合はしょうがないというか」
「あーもう!! でも面白い!!」
あまりにハマりすぎて過去作の映画を観たいと言い出し、全話ブルーレイで持っている田中の家に遊びに来てくれる事になった。なんと、山田も一緒にだ。
それを聞きつけた峯田くん達もなぜか参加しようとしてきて、家が壊れそうなので止めた。峯田くんはものすごく吠えていた。
峯田くんはともかく、藤崎さんにはぜひ来てほしいところだが、それはさすがに無理だろうか。
あの日以来、彼女は田中の心に咲く一輪の花として、ひっそりと存在している。
田中の日常は劇的に変わったわけではない。
けれど、小さな変化は確かにあった。
日曜日、宣言通りに三崎くんと山田がやってきた。
朝から夕方までほぼノンストップで映画を鑑賞し、たまに感動して鼻水をずびずび言わせながら、買い込んだスナック菓子でわいわいする。田中の母親は突然やってきた友人達に驚いていたが、同時に嬉しそうだった。
「あー……、なんか目がちかちかする」
最後の一本を観終えたころには、日はとっぷりと暮れていた。
「お邪魔しました」
「遅くまですみません」
礼儀正しい男子高校生に、母親も好印象を持ったようだ。いいのよ、またいらっしゃいと言われて、二人はそろって頷いた。三崎くんは嬉しそうだった。
せっかくなので途中まで送っていく事にして、連れ立って外に出る。
「今日はありがとう、田中くん」
「いやそんな、僕も楽しかったから」
山田は端を歩いている。何気なく顔を見ると、ばっちりと目が合った。なぜだか、うん、と頷かれる。
「あ、山田くんも楽しかった?」
「ものすごく」
え、楽しかったのか? 最初から最後まで無表情で観続けていた気がするのだが。号泣シーンも無言で微動だにせず、一切表情筋を動かしていなかったと思うのだが。
でも、嘘じゃない気がする。
「なあ今度一緒にカラオケ行こ? そんで過去作の主題歌メドレーぶっ通しで歌おう」
「か、カラオケ?」
「山田くんも一緒に。山田くん、歌上手いよ」
そうか山田は歌が上手いのか……と思うと同時に、めらめらと闘志が湧き上がる。
「行く。歌う」
「そうこなくちゃ。そうだ、吉川さんと藤崎さんも誘おっか。峯田くんは……なんか、うん、会いそうな気がするなぁ……」
微妙な顔になりながらも、三崎くんは笑った。
「田中くん、今度の日曜日ヒマ?」
「え……」
「一緒に遊ぼう。まずはカラオケ!」
屈託なく笑う三崎くんに、山田も無言で頷いている。どうやら異論はないらしい。
映画を観て、カラオケをして、新しくできた友達と一緒に遊ぶ。
信じられなくて固まったが、「田中くん?」と呼ばれて我に返る。
「……うん、そうしよう」
田中は目立たない人間だ。泣きたいくらい平凡で、地味で普通で取り柄がない。個性はほとんど死んでいる。
でも、近くには友達がいる。
悪くないなと田中は思った。
ものすごく清々しい気分だった。
了
お読みいただきありがとうございます。新しい友達ができました。
*このあと田中くんはもっとみんなと仲良くなって、佐々木くんや吉田くんとも親しくなります。ちなみに、宮園さんとも仲良くなります。
みんなと行ったカラオケで田中くんの裏声が炸裂し、大爆笑&大盛り上がりになるのは、もう少しだけ先のお話。
「田中の裏声マジで癖になるわー」
「オレちょっとときめいた」
「田中くん、歌すごく上手いんだねぇ」




