田中は山田が気に食わない‐5
(……や、やるぞ)
山田の机の前で、田中は息を呑んでいた。
ごくりと、汗ばんだ喉が上下する。
――田中が選んだのは、第三の選択肢だった。
すなわち――「何もなかった事にする」。
宮園さんのパスケースがなくなった事も、それを峯田くんが拾った事も、山田の机に放り込んだ事も、全部なかった事にするのだ。
そのためには山田の机を開けなければならない。そして宮園さんのパスケースを取り出す。
正確に言えば、手を突っ込むだけでいい。机に引き出しはついていない。なのに、どうしてこうもためらうのか。
(落ち着け……落ち着け。大丈夫だ……)
ちょっと山田の机に手を入れて、パスケースを取り出すだけ。なんなら床に落としたって構わない。ぶっちゃけ、山田の机になければいいのだ。後は野となれ山となれ。たったそれだけの簡単なミッション。
それなのに、手が動かない。
遠くで何かが破裂したような物音がして、ビクッ!! と全身が硬直する。すぐに息を吐き出したが、指先はぶるぶると震えていた。
(怖い……)
これは余計な事だろうか。
放っておいた方がいいんじゃないのか?
先日向けられた氷のような視線が、田中の決意を揺らがせる。
もしもう一度あんな目に遭ったら、自分は登校拒否になる。精神力がゴリゴリに削られるようなしんどさと恐怖。二度と体験したくない。証言者が現れてくれなかったら、田中は「女子の下着を手づかみで触った変質者」として、隣のクラスまで名前をとどろかせた事だろう。
もうあんな目には遭いたくない。
危ない橋は渡りたくない。女子にあんな目で見られたくない。男子にもだ。
そう、別にこのままだっていいんじゃないか?
後で証言したっていい。山田は何もしていないと。だって自分はそれを目撃していたのだから――ああいやいや、そうすると峯田くんに自分が見ていた事がバレる。そして確実に恨まれる。なんだあのイケメン。イケメンなだけで人生イージーモードなくせに、田中をここまで困らせやがって。
もういっそあのイケメンは将来ハゲてしまえばいい。そうだハゲろ。ハゲてしまえ。一本残らず抜け落ちろ。そして後悔に慄くがいい。
そう思うと少しは胸がすいたが、目の前の問題が片づいたわけではなかった。
(山田は、僕のライバルだ……)
ごくりと、ふたたび喉が上下する。
ライバルは好敵手と書く。ただの敵ではなく、味方でもなく、特別なたったひとり。
そう、山田はライバルだ。
――ライバルが不当な手段で貶められる事を認めてはならない。
(……よし!)
意を決して机に手を突っ込もうとした時、どやどやと人がやってきた。
「やー、なんだったんだろうな、さっきの音」
「花火工場でも爆発したんじゃね?」
戻ってきたクラスメイトが、田中を見て首をかしげる。
「どうしたのお前、顔色悪いよ?」
「保健室行くか? なんか土気色じゃん」
「い、いや……」
そっかと頷いて彼らは去った。その間も次々にクラスメイトが戻ってくる。どうやら近くで何かの騒ぎがあったらしいが、そのせいでみんな遅れていたようだ。
もっと早くに行動するべきだったと思っても、もう遅い。
今さら他人の机の中に手を突っ込めるはずはなく、田中はとぼとぼと自分の席に帰るしかなった。
もう山田を助けられない。山田はクラスの英雄ではなく、卑怯なコソ泥となってしまう。最後の望みの糸を断ち切ったのは自分だ。
山田よ、すまない。
こんな無力な自分がライバルですまない……!
内心で滂沱の涙を流していた田中だが、「あれ、ない」という言葉にぴきんとした。
「あれ、あれ? なんで、どうして」
おろおろと鞄を探す宮園さんに、周囲はさすがに「またか」といった顔だ。いくらなんでもなくしものの回数が多すぎる。
そんな中、峯田くんが自信満々で現れた。
「おう山田、お前の中に入ってるだろ。宮園のパスケース」
「……なんで?」
「なんでもだよ! あるんだよ!」
後ろの二人は若干引いた顔だったが、「なんかいつものことだから山田」とか、「なんつーかもうさ……山田、なぁ」と、どっちの味方か分からないセリフを口にしている。それを気にもせず、峯田くんは言った。
「俺は、山田が盗ったのを見た!」
ざわ、と教室がどよめく。
「その証拠に、この机には宮園のパスケースがあるはずだ。ほら、見せろよ山田」
「えー……」
「見せろっつってんだろ!」
半ば強引に山田くんをどかし、峯田くんは余裕綽々で机に手をかけた。
どうしよう、と田中は思った。
あと少しで、山田が窮地に陥ってしまう。
これは冤罪だ。捏造だ。作り上げられた犯罪だ。
けれど、それをどうしたらいのか。
田中は陰キャだ。根暗でオタクだ。そんな自分の言う事を、果たして誰が聞いてくれる?
ゴキブリは駆除されるが、空き缶は放置される。無害な空き缶。自分の立ち位置はそれくらいでいい。
空き缶が自分で動き出したら、それは目障りだ。捨てられる。駆除される。だけど。
――だけど。
峯田くんが山田の机に手を入れる。そして――……。
「ちょおおぉぉぉぉっと待ったあああぁぁぁぁぁあっ!?」
緊張のあまり声が裏返ってしまったが、突然の闖入者にクラス中がぎょっとした。
「そ、その言い分には若干の疑問が残る! ひとつ、彼にそんな動機はない。ふたつ、犯行を行う時間もない。そしてみっつ、なぜ盗んだ品物を自分の机に入れたままにしておくのか! 不自然じゃないですの!? いや、ないですか!」
脳裏に美少女探偵推理アニメのセリフが浮かび、言い回しが不自然になってしまった。案の定、みんなぽかんとしている。
(しまった……)
空気を読まないにもほどがあった。
田中は身の程を知っている。自分の立ち位置を理解している。
こんなスポットライトが当たる役割は許されていない。
いくら我慢できないからといって、これは無謀だ。無茶だ。いやむしろ蛮行だ。
やってしまったかと思った時、
「おー……」
ぱちぱちぱち、と拍手の音がした。
「まあそうだよな、普通に考えて」
そう言ったのは、先ほど田中に声をかけてくれた少年だった。保健室に行くかと聞いてくれた彼である。顔色が悪いと指摘してくれた方も頷いている。
え、と田中は思った。
……自分の話を、聞いてくれている?
「そもそもなんで山田なんだよ、意味分かんねーよ」
「だよなぁ」
うん、と頷き合う。
そして彼らはふたたび田中の顔を見た。
「なんかよく分かんねーけど、すげえな田中」
「うん、名探偵みたいだった」
「てか、ちょっと笑った」
くすっ、と笑われる。
「……あ、あのね? ちょっといいかな」
そして、ものすごくためらったように口を開いた女子がいた。
「山田くん、さっきまで私と話してたの。移動教室の前は、三崎くんと一緒にいたから、後にしようと思ってて……。教室にはいなかったと思う」
ちょっとつっかえながら、山田の無実を証明する。メガネ越しの瞳は緊張していたが、並々ならぬ使命感にあふれていた。
「あっそうだ、俺、前の時間は山田くんと一緒にいたよ」
三崎くんが思い出したように頷く。彼は山田の友達だ。そして、味方も多い。
「で、後の時間は藤崎さんと一緒だから……どっちにしても違うよね?」
「三崎てめぇ!」
峯田くんが吠えたが、三崎くんはまったく動じなかった。
「やめなよ峯田くん、それはよくない」
「そうだぞ峯田、やめとけって」
「ギリアウト」
左右の友人にも諭されて、峯田くんが顔を真っ赤にする。恥ずかしさではない、怒りのためだ。
「うるせえよ!!」
引っ込みがつかなくなったのか、それとも砂粒ほどの罪悪感はあったのか、峯田くんが大声でわめく。
「いいんだよ、あるんだよ! 全部山田のせいなんだよ!」
「そういうとこだぞ峯田……」
「女の子に迷惑かけんなよ、山田はともかく」
「うっせえって言ってんだよ! オラ見せてみろ机ェ!!」
そのまま山田の机を持ち上げ、派手に中身をぶちまけて――彼はえ、と目を見開いた。
そこには宮園さんのパスケースどころか、何も入っていなかった。
「……今日は中身出すの忘れて、みんな鞄に入れてあったから」
山田が平然とした声で傍らの鞄を指す。そこには確かにずっしりとした重量がある事を予感させた。
それよりも、と首をかしげる。視線は峯田くんのお尻の上。
正確に言えば、ちょっとだけふくらんだポケットに。
「……ん? 峯田尻ポケットに何入れてんの」
それにつられるように、クラスメイトが戸惑った顔で注目する。
「あ? なんも入れてねーよ、ん……あ?」
そこにあったのは見覚えのあるパスケースだった。ご丁寧にも、MIYAZONOとデコってある。
「な、なんでだ!? ちゃんとコイツの机に入れたはずなのに……あ」
「え、今なんて言った?」
「い、いや、違う! そうじゃなくて、ただ俺は、山田が犯人だって言って、いや知って……!」
「峯田くん」
とても申し訳なさそうに――けれどこのままでは峯田くんがさらに墓穴を掘るだろう事を理解したらしく、藤崎さんがとどめを刺す。
「そもそも、なんで宮園さんがなくしたのがパスケースだって知ってたの、峯田くん?」
「……あ」
語るに落ちた瞬間だった。




