第9話 潜む
夕日が秀介達の頬を照らしていた。
「米問屋の息子をあのまま帰して本当によかったんでしょうかね」
「いいんじゃないかな。あの持久とかいう役人がそれで良いって言ってるんだから」
「こんな勝手、上の連中が許すなんて」
「それだけ、持久というあの男に力があるって事だろう」
「芦水さんは奴が何者か知ってるんですか?」
「まさか。だが、新政府にも暗部はあるって事だろう。首を突っ込まないに越した事はない」
「だが、あの若者は友人が心配で見に来たと話していました。しかし、その内容からするに本人も結構、奴らに踏み込んでるんじゃないですかねもう少し締め上げれば…」
「おっ!黒谷君も結構、残酷な人間だね。いいじゃないか。若い命を救ったと思えば気も楽になる」
芦水が吸うたばこの煙が顔をかすめて、せき込んだ。
思わず、眉を顰めれば、揶揄うような芦水の視線とぶつかった。
「なんです?」
「こういうの嫌いかい?」
指に挟んだ、たばこを揺らす芦水。
「まあ、やってる人間は多いですよね。でも、俺はあんまり…」
正直、吸うなら自分の目の入らない所でやって欲しいと思った。
だが、その願いを口に出来ずに俯く。
「はあ。暇だな。あの米問屋の息子の情報はあってんのか?」
壁にもたれかかり、近くを流れる川のぼんやりと眺めている杉山は言う。
「嘘なら、後で捕まえてやればいいだけじゃないか。それに、せがれが反乱士族に与していたなどと知られたら常亀屋は一貫の終わりだ。このご時世、米問屋一つ潰れれば、腹を満たせない人間も溢れるってもんよ」
「芦水もあの役人の味方かよ。反乱分子どもに与した人間の言う事なんて信用してさ」
「あれは簡単に仲間の情報を売った。それだけの奴だよ」
「だからこそだろ?士族に憧れていると簡単に口にする人間。とっ捕まえて現実を見せてやればいいじゃねえか」
吐き捨てるように杉山は言った。
芦水は肩をすくめるだけで、この男を止めない。
明治に世が変わって、もうすぐ十年。
未だ混乱は続いているが、あの頃を美談にする連中が増えてきている気がするのはなぜなのだろう。侍という明治の世には不要な人間に憧れを抱き、進んでその活動に参加する人間がいるのが不思議でならない。
それでも、亀次郎。奴の夢はさっき覚めたはずだ。
「現実なら思い知ったんじゃないですか?友が目の前で切腹したんですから」
秀介は持久に見逃され、泣きべそをかきながら、走り去った米問屋の息子の後ろ姿を思い起した。
家出した友人を心配して蔵に寝泊まりさせていたと話す亀次郎の言葉には確かに矛盾がある。自分の実家の米問屋が所有する蔵に大量の武器を隠していたのだ。
亀次郎も士族どもと行動を共にしていた可能性は高い。
だが、士族に憧れたという着物問屋の息子はすぐに切腹を決行したのに対して、亀次郎は震えて怖がっていた。
それだけで、両者の覚悟の違いが見て取れる。
ああ、胸糞が悪い。
すでに勝負の決着はついたのだ。
秀介達は負けたが、こうして生きて前に進もうとしている。
だというのに、幕末の亡霊は若い命に纏わりつき、その生を奪っている。
そんな風に思えて、怒りが煮えたぎってくる。
「黒谷もお優しい事で。そんな甘ちゃんばかりだから、幕府は負けたんじゃないのか?」
鼻で笑う杉山に秀介は無視を決め込んだ。
獣を抑え込むように。だから、少しでも落ち着こうと、広がる田園風景に視線を移したのだ。
「隅田川沿いって少し歩くだけで全然景色が違いますね」
歓楽街もあれば、忘れられたように並ぶ蔵群。
そして、のんびりとした静けさが胸を染みる木々の揺らめき。
「中心地の開発がまだ途中だからね。すべて整備するには時間はまだしばらくかかるだろう」
秀介の言葉に返答する芦水。
その様子に杉山は明らかに不機嫌になる。
「俺を無視するなよ。芦水も幕府の人間とは…ぐっ!」
いい加減黙って欲しいと言いたげに秀介は杉山の頬を片手で掴み上げた。
「誰が聞いてるか分からないのに、幕府だなんだとうるさいですよ。芦水さんの腰ぎんちゃくかなんかなんですか?」
杉山の嫌味は今に始まった事ではない。
奴にも特技がある事は分かった。
だが、今は虫の居所が悪いのだ。
だから、勢いに任せて、杉山に八つ当たりしている。
これはそう言う事だ。
それは自分でも理解していた。
だが、その手を止める事は出来ず、殺気立つ。
瞳には杉山の困惑した表情が写り込んでいた。
「悪かったよ。言い過ぎた」
杉山も秀介の態度に何かを感じ取ったのか普段は絶対に口にしない発言を口にした。
その謝罪が本心からなのかどうかは気にならなかった。
もう、黙ってくれるならそれでいい。
秀介は一息を入れてから杉山を解放した。
「おっかねえな」
腰を抜かした杉山はわざとらしく自身の首回りをさすっているが、もちろん無視だ。
「それにしても、あそこに見える廃寺が士族どもの会合場所って言うのは本当なんでしょうかね?」
江戸の頃だって、辺鄙な場所に忘れられたような廃寺が点在していたが、そのほとんどは戦のどさくさで潰されたと思っていた。
まだ、残っていた事も驚きだが、反乱士族どもの根城になっているのに今まで気づかなかったのも不思議でならない。
「それにしても、誠太だっけ?着物問屋の息子は馬鹿だったんですかね。友人を士族どもの仲間に引き入れようなんざ、正気の沙汰とは思えない」
「はっ!友人だからだろう?己が信じている物に共感してほしいって言うのは人間の性だからな」
杉山の減らぬ口に今度はいら立ちではなく、感嘆に似た感情が湧き上がってくる。
「さすがは杉山さん。芦水さんしか友人がいないから寂しい人間の気持ちが分かるんですね」
「お前はいちいち、癇に障る野郎だな。さすがは軽薄な実井とつるんでるだけの事はある」
「また、その口塞いでほしいんですか?」
冗談だろと思った。
どこをどう見れば、実井と仲が良いように見えるのか。
秀介は別のいら立ちに眉間に皴が寄っていく。
「落ち着けよ。二人とも見張もまともに出来ないのかい」
「芦水さんが落ち着き過ぎなだけですよ」
「経験が違うんだから当たり前だろうが」
なぜ、杉山が反論してくるのかと疑問が湧いてくる。
「それにしても、持久さんは本当に援軍を連れてきてくれるんですかね」
あの男を信用して、三人だけで見張をしている状況に不安感も募っていく。
その最中、風に乗って人の気配が漂ってくる。
一瞬、緊張感が走るが、物陰から姿を現したのは数人の警官達。
だが、実井の姿はない。
あの男、ちゃんと庁舎に戻って来たのだろうか。
杉山のような奴にも仕事もまともにこなさない実井と仲が良いと思われるのも心外でならない。
沸々と煮えたぎる負の感情を押し殺しつつ、秀介は仲間達からサーベルを受け取ったのであった。そして、木陰から現れるのは持久だ。
「仲間を連れて来ていただいてありがとうございます」
「いやいや、これぐらいはね」
「警部は何かおっしゃられていましたか?」
「いや、特には。情報の出どころがどこであるのかも気にもとめてはいませんでしたよ。あの人は大らかな所が長所ですね」
それは褒めているのだろうかと持久の発言に疑問が湧いてくる。
明らかに馬鹿にしているとさえ思えるが、それ以上は何も言わない。
「では、後を頼みますね」
「おや、見られないんですか?」
たばこの火を消した芦水が持久も本心を探るように言った。
「見張は専門外だからね。では、よろしく」
そう言って闇夜に消えていく持久に得体の知れない恐怖が募っていく。
だが、身なりを整えて、秀介は物陰にしゃがみ込んだ。
警官というのは地味だ。隠れて、踏み込んでの繰り返しなのだから。
嫌気が差すが辞めるわけにもいかない。
息を殺して、ただひたすらに待つ。
いつものように。
そうして、どれだけの時間が経ったのか。
廃寺に無数の人が集まって来たのに気づく。
どこにでもいそうな特徴のない男達だ。
その数は一人、二人、三人と増えていく。
だが、まだ動かない。
芦水の合図をひたすらに待つのだ。
こういう瞬間は何度経験しても慣れない。
喉の奥に息が上手く流れず、浅い呼吸を繰り返す。
汗ばむ手をどうにもできなくて、思わず拳を作ったその時、
その男は現れた。
目撃情報にあった片目に額に傷を持つ謎の刺客。
廃寺に吸い込まれていったどの男達よりも異質な気配を漂わせている。
長く伸びた竹達に囲まれて、佇むその容貌は狼も彷彿とさせる。
この男、実力者だ。
そして、眼光鋭い片目がこちらを射抜いたのだ。
気付かれた!!
声を発する前に秀介は危険を察知したのであった。




