第10話 鬼代兵馬
「兵馬。今朝のお役目、ご苦労様だったな。越後高田藩剣術指南役は伊達じゃない」
荷台の上に寝そべっていた鬼代兵馬は荷馬車を引っ張る三十代半ばの男を見やった。
「おいっ!どこで誰が聞いているか分からないんだぞ」
「大丈夫ですよ。こんなのどかな場所で誰が聞いているって言うんだ?」
周囲は田園風景がどこまでも続いている。
だからはいえ、安全とは言えない。
「甘いな。何のために農夫に化けて、荷台を引いているか忘れたのか?」
暗殺は一応は成功した。
それでも達成感はない。
「どこから足が付くか分からんのだから。それに失敗した」
「何を言ってる?政府の高官をやれたんだ。上々だろう?」
「楊太郎。お前は昔から短絡的すぎる。俺達は大久保利通の首を取りに行ったんだ。それがどうだ?言われた場所にいたのは別の男だった。大久保の腹心を殺したとて我々の怒りが新政府に届くと思っているのか?笑わせる」
鬼代は煮え来る思いを絞り出すようにうねる。
そうすれば、視力を失った左目が疼き、思わず手で押さえた。
「少し休むか?」
「良い。荷台を押しているのはお前だろう」
「まあ、確かにな。だが、無理はするなよ」
荷台を引く速度を上げる荒木楊太郎は鬼代と同様に越後高田藩の藩士だった。
だが、北辰一閃流を極める剣術馬鹿な鬼代とは違い、荒木は藩の財政を司っていた勘定方だ。
同じ藩内にいても接点はなかった。それが変わったのは幕末の動乱期。
高田藩は早い段階から新政府側に付き、先鋒として戦いを繰り広げたのだ。
鬼代はその剣の腕を見込まれて、激戦地へと何度も送られた。
多くの同胞が傷つくのを見てきた。そして、名前も知らぬ幕府軍の人間も斬って来た。
武士たる者、藩主の命令は絶対だからだ。己の気持ちは二の次だった。
だから、片目を付かれ、額に受けた傷が元で死んだ所で本望だった。
「おいっ!しっかりしろ!生きてるぞ!」
あらゆる場所から黒煙が上がる中、鬼代を抱えて、安全地帯まで一緒に逃げてくれたのは荒木だった。
「お前、頭脳担当だろう?戦の最前線に出すとは上も見る目がねえな」
「頭脳だなんて、そろばんが早いだけの男。戦に放り出すぐらいしか使い道はない。それに恥な事だが、俺の家から多くの脱藩藩士が出て、幕府側に付いたからな。疎まれてるのさ」
それが荒木との最初の会話だった。
鬼代を手当する間、荒木は笑っていた。己の境遇を飲み込むように。
だから、鬼代もそれ以上は何も言わなかった。
同じ戦場で戦う同胞。それ以外に理由はいらなかった。
藩主の命令ももちろんあったが、故郷に残した妻や娘の未来も案じながら、鬼代は刀を振るい続けた。仲が良かった者も親戚連中の死にざまを映した左目に焼き付けながら。
そうして、生き抜いたのだ。ようやく、終わる。その安堵感と共に疲れ切った体をいたわりながら、荒木と連れだって越後の地を踏み入れた時にもたらされたのは妻と娘が流行り病で亡くなったという知らせだった。
すべてが無意味だった。だとしても、鬼代は侍だ。
人前では泣けず、己の心は二の次だ。
すべては藩のために命を捧げる。
それが人生だと言い聞かせ、やり過ごした。
だが、どうだ?
多くの死人を出し、誕生した明治の世には侍はいらないと言う。
なんと皮肉な事か。
この手で唯一残った誇りを葬り去ってしまったとは…。
こんな事は許されて良い訳がない。
だから、まだ戦うのだ。
今度は新政府という闇を切り裂くために。
同じ思いの人間は各地にいる。
勝てない戦いではないはずだ。
しかし、ここ最近、不安感が募って仕方がない。
「慟哭隊なる者どもに加わったのは時期尚早だったかもな」
「何を言う。俺達二人だけで何が出来るって言うんだ?」
「だったら、熊本辺りで暗躍している奴らと手を組んだ方がよかったんじゃないだろうか。噂によれば、近々、大きな事をやると言ってると聞く」
「あっちに知り合いでもいるのか?信用されるまでに時間がかかるぞ。慟哭隊の連中には越後、いや、今は新潟だったか。とにかく、俺達の同郷の連中も多い。何より、佐賀の乱で一足早く新政府軍に戦いの狼煙を上げた奴らもいるんだ。心強い限りだろう?」
「佐賀の乱か。牙を剥いたのは良いが、早々に負けを認めた奴らだろう」
主導した人間はことごとく、捕まり、集団としての機能を失った。
そんな奴らの生き残りを集めて、なんになると言う。
「そういうなよ。みんな、良い奴らじゃないか」
確かに面白い連中だ。
先に散った仲間達を思い起すぐらいには馴染んでる。
だが、そんな中にいても荒木は異質だ。
刀を持つ道しか興味のない鬼代とは違う。
今、愉快そうに笑っている戦友は侍でなくたって生きられるだろうに。
あの時だって…。
兵馬は空を見上げ、数か月前の記憶を思い起した。
久しぶりに訪れた妻と娘の墓参りの道中。
その男は兵馬達の前に現れた。
ひょろりとした体格に血管が浮き出そうなほど青い顔。
一瞬、亡霊か何かかと思った。
歳を推測するのは困難だ。
若そうにも見えるが、鬼代達よりも上かもしれない。
「新政府軍に一矢報いる気はないか?」
地獄からの囁きだった。
「私は忘れられた者達の代弁者。血を流した者達の努力を無視してすべてを取り上げる新政府も肥え太った幕府と同じだ。潰さなければならない。その誕生に加担したあなた方の手で…」
足音一つ立てず、歩み寄る謎の男に右目が疼いた。
「我々を愚弄するか!!」
言い返したのは荒木だ。
「まさか。私はお二人の力を見込んで頼みに来たのです。すでに耳に挟まれているでしょう?各地で行動を起こす英傑達の噂は…。鬼代兵馬様。怒りに燃える鬼の同胞としてその名に相応しい人間はいない」
「鬼の同胞?」
「私の事は慟哭鬼とお呼びください」
手を取れと言いながら、自らの本名を名乗らぬ人間を信用するほど、馬鹿ではない。
「兵馬。やろう。俺は入るぞ」
先に声を上げたのは荒木だった。
だから、鬼代は何も言えなかった。
そして、引きずられるように慟哭隊に入ったのだ。
慟哭鬼と名乗った男は様々な手段で仲間を集めていた。
ある時は自ら赴き、または元士族達が思い出話に浸る集まりに潜り込む。
一体、何人いるのか、兵馬も把握していない。
だが、よく顔を合わせる者達はせいぜい、三十人ほどだ。
鬼代は慟哭鬼と出会ってから数か月。
その正体に一つの推測を得ていた。
そして、最近姿を見せぬ事にも不信感が大きくなる。
「慟哭鬼。奴を信用していいのか?最近は士族でない人間も引き込み始めている」
「誠太の事か?大きな事をするには金が要るからな。商人を引き込んでおいて損はあるまい」
「しかし、この集団のまとめ役たる奴が姿を見せる機会は少ない。今回の事だって、大久保卿暗殺というから、皆は歓喜したのだろう」
「だが、暗殺の場にはちゃんと来たんだろう?」
「まあな」
気配もなく、風のごとく現れた慟哭鬼は一突きで、内務卿の副官を刺殺した。そして、表情一つ変えずにおかしなお面を放り投げたのだ。
“自分がやった”と世間に知らしめるように。
鬼代達はその手伝いをしただけだ。
「これでは、奴一人ですべて片付けられるんじゃないのか?」
「我らが主とて、万能ではないさ」
荒木は軽やかに言う。
その事に今更ながらに違和感が募っていく。
「なあ、お前はどうして、慟哭隊の計画に乗っているんだ?刀を持つ以外の道だってあっただろう?」
鬼代の問いに荒木は沈黙した。
「そろそろ、見えてきたな」
荒木は荷馬車を止めた。
木々は不気味に揺れる。
その先には時代から忘れされたように放置された廃寺。
慟哭隊の根城の一つ。
「ああ、来たか」
出迎えてくれたのは仲間の木村十六治だ。
その茶色の小袖は土で汚れている。
だが、鬼代の関心は軽い足取りで歩いていく戦友だけだった。
「荒木?」
「どうした?」
ゆっくりと振り返った荒木の瞳には熱がこもっていた。
高揚感にも似た殺意だ。
かつての荒木にはなかった色だ。
だからこそ、鬼代はすべてを悟る。
生き残ったはずの荒木の心は幕末に取り残されているのだと。
死に染まり過ぎたその体は血を求めていると言う事に。
近くにいたのに全く気付かなかった。
いや、知らないふりをしたのだ。
自分もまた同じであるから。
だからこそ、その場に隠れていた招かれざる客の気配も敏感に肌を伝っていく。
まるで、導かれるように片目は一点を向くのだ。
この中で、もっとも強い男に。
静寂の中、戦いの幕が静かに開ける。




