第8話 緊張
一人、いや、二人だろうか。
石を蹴るその足音に耳を澄ませながら、秀介は膝に力を入れた。
だが、最初に飛び出したのは芦水であった。
その手に握られた刀は鞘から抜け落ち、鋭い刃を持って擦れ合った。
秀介が一瞬の遅れの後に外に飛び出してみると芦水は布で口元を隠した男に刃を振り下ろした瞬間であった。
「ぐはあっ!」
腹から絞り出す唸り声を上げた男がその場に倒れ込む。
「心配するな。死なせはしない。聞きたい事があるからね」
男を見下ろす芦水は冷たく言い放った。
いつもは線の細い瞳で何を考えているのか分からない芦水であるが、今の彼からは鉛のような重たい覇気が放たれている。
その傍にいるだけで吐きそうになった。
だが、それを何とか抑え込み、息を吐き出した。
「さすがは芦水。相変わらず容赦がねえな」
「手加減はしたよ」
芦水に軽口を叩く杉山はその横を通り抜けて、口元が開けた男の腕を縛り上げようとする。
その素顔は思っていたより若かった。
十八か、いや、十五、六かもしれない。
「僕は何も言わないぞ!!」
伸びてきた杉山の手を払いのけた若い男は一瞬の隙をみて、その手に握られていた刀を奪い取る。
「おいっ!」
杉山が奪い返す前に若い男はその刃を自身の首元に添わせた。
その手は震えていた。
「士族に刀を!!」
勢いよく叫んだ男はそのまま首を刃で切り裂いた。
布に染みわたるのは若い男の血だ。
「切腹か?時代遅れも大概にしてほしいものだな」
成り行きを見守っていたが杉山が言う。
「悪かった。油断したよ」
落ち込んだ表情で芦水は肩をすくめる。
「杉山が突っ立ってるのが悪いんだろ?使えねえ奴だよな」
いつもの杉山からの皮肉に言い返す気はない。
その瞳は今この瞬間に息絶えた若い男に向ける。
「この歳なら他の道もあっただろうに」
名も知らぬ少年の儚い人生に胸が締め付けられる。
「そういうのもやめておいた方がいいよ。対峙した人間にいちいち想いを寄せていたら、きりがないからね。若いって言ったって俺達はこれより若い頃には人を斬っていた。黒谷君だってそうだろう?彼がここで死んだのは自業自得だ」
杉山の言葉に押し黙った。
確かに十歳を満たすか満たさないかの年齢で戦に出た人間はこの時代には多いのかもしれない。だが、望んで出たわけではないはず。
少なくとも秀介は違った。
父上に言われるまま、黒谷家の長男として当たり前にその戦いに同行して戦う羽目になっただけだ。
「杉山もいちいち、黒谷君にあたるな。刀を奪われたのはお前の方だろう」
芦水の正論に杉山は押し黙り、唇を噛むだけに留まる。
本当にこの男は芦水の言う事だけはよく聞くと思った。
だが、おかしい。
聞こえてきた足音からするに少なくともあと一人はいると思っていたが。
「まあ、立ち話はここまでにしておこう。すぐにこの蔵を所有している人間を調べた方がいいだろうね。運が良ければ、慟哭隊とやらに繋がるかもしれない」
軽口を叩きつつ、周囲を見渡す芦水の目が一点で止まった。
そして、秀介達に静かにするように口に人差し指を立てる。
その視線の先を追うと路地裏に続く道筋に放置された荷馬車があった。
その後ろには人の気配がする。
というより、尻尾を隠せていない犬のように着物の端が見えるのだ。
芦水に声もなく、隠れた人間を捕まえるように促された秀介は足音を立てずに忍び寄った。
「うわっ!」
子犬のように震えて、見つからないように耐えていた男を秀介は羽交い絞めにして押し倒した。斬りつけられるかと覚悟したが、その心配はなかった。
奴は丸腰だったから。それに身なりからするに商人だろう。
そして、先ほど自決した男と同じ年ごろだと推測できる。
「生きてる人間を捕まえられたか。助かったよ。また死人を出されたら目も当てられないからね」
突然、姿を現した持久はやはり、微笑みを浮かべている。
「おや、隠れてらっしゃらなくてよかったのですか?でしたら、手助けしてくださればよろしいのに。政府お抱えの貴方の腕前、とても興味があります」
芦水は芦水を一瞥した。
「悪いですね。私も人を斬るのは得意ですが、捕まえるのは苦手なものでね」
やはり、持久もかなりの実力者だ。
芦水もそれに気づいており、物騒な会話が飛び交っている。
それでも、軽口と呼ぶには笑えないと思う自分の感覚がおかしいのかもしれない。
戦帰りの人間って言うのはどいつもこいつも血生臭い連中ばっかりなのだろうか。
その中に加わるのはなんだか癪に障る。
「おっ…お助けください。私は関係ございません」
秀介に抑え込まれた青年は涙目で持久達を見上げる。
「俺達が何者か知らないのに関係ないというのかい」
「うっ!」
歴戦の猛者と予想される持久に睨まれて、青年は喉を詰まらせた。
刃など握った事すらないのだろう。
全身に駆け巡る恐怖が伝わってきて同情してしまう。
「そ…それでも知りません。私は常亀屋が主、亀之助の次男、亀次郎であります」
常亀屋と言えば、老舗の米問屋だ。
「ほうっ!米問屋の息子がなぜこんな場所にいるんです?」
「わっ…蔵に保管している米の状態を見に来ただけでございます」
「その蔵というのはどれかな」
「………っ!」
「言えないのか」
持久は切りそろえられた青年の髪を掴み上げた。
「あの蔵じゃないのかい?米俵に亀の文字が書かれていた。その中から何が出たか教えてやろうかな」
米俵に亀の字なんて書いてあっただろうか。そもそも、持久は蔵の中には入っていない。
語った事実が嘘である事に気づくが秀介は何も言い返さず、亀次郎を掴む力を強めた。
「まさか常亀屋の主が反乱士族と通じているとは世も変わった物です。あそこの米は俺もよく食べていたというのに」
「ち…違う。父さんは関係ない。これは俺の一存……」
思わず、漏らした本音が命取りになると気づいた亀次郎は押し黙るが後の祭りだ。
「反乱士族に与したと認めるのか」
持久は仰々しく、落ちていた刀を鞘から抜き亀次郎の前に突き付けた。
「ならば、あそこで転がっている男と同じように切腹でもするか?」
そのひと言で亀次郎は抑え込んでいた恐怖が押し出されるように涙を流し始める。
その姿に杉山は明らかな軽蔑の色を示した。
「そんな…俺はただ、誠太が心配で…」
「誠太?」
亀次郎の視線が先ほど死んだ若い男に向けられる。
「あの男か?」
「あれは着物問屋、桐嶋屋の長男です。士族に憧れて家出したので、うちの蔵に匿ってたんですよ。あいつは幼馴染でしたから」
「ふ~ん。その話を信じろっていうのか?警官を舐めるなよ」
「舐めてません。本当に俺は関係ないんです!本当なんです。ですから、親父には言わないでください。お願いします!!」
頭をこすりつけて懇願する亀次郎。
「何も知らないって言っても、誠太だっけか?あの男とは幼馴染だったんだろう?なら、何か聞いていないのか」
「えっ!」
「反乱士族について、有益な情報を教えてくれたら我々はあの男の遺体だけ持って去ろう。この意味、由緒ある米問屋の息子なら分かるな」
亀次郎をまっすぐに見つめる持久の顔は地獄の門番のごとく、不気味だ。
地獄を潜り抜けた秀介とて、そう思うのだ。亀次郎は更なる恐怖を味わっている事だろう。だから、落ちるのも時間の問題である。
しばしの沈黙がその場に広がる。
気付かぬ間に日は陰り始め、夕暮れ時を覗かせていた。
人通りは相変わらずない。
亀次郎はゆっくりと頷いたのであった。
「俺は士族どもには関わってない。誠太は会わせたがっていたけれど」
それを合図に持久は余所行きの笑顔を浮かべる。
だからって、安堵は出来ない。
どちらにしても怖いに越した事はないのだから。
「放してやってくれ」
「逃げるなよ」
持久の指示に従い、秀介は亀次郎に最後の脅しを返してその手を離した。
亀次郎は体勢を整えて、座り直す。
その額には汗がにじみ出ている。
その第一声を警官と役人は待つのであった。




