第7話 探索
かつて、幕府の者達から辰巳と呼ばれた隅田川を要する一角は水運の要所として様々な品が運ばれてきた。そのため、今も忘れられたように蔵がひしめき合っている。
だが、それも後少しで様変わりするだろう。
新政府にとってもこの辺りは東京にとって重要地点。近いうちに開発を始めるのでとささやかれている。
腐った匂いを立ちのぼらせる小袖をつまみ上げて、秀介は眉をひそめた。
全く、これは誰のだと悪態をつきたくなる。
いくら何でも埃がかぶりすぎだ。
所々、血が滲んでいる所をみるともしかして、警官の誰かが斬った士族の物かもしれない。
秀介は庁舎の倉庫になぜか積み上がっていた小袖を借り受けて、どうにも落ち着かない様子で辺りを見渡す。以前はこの格好の方がしっくりきていたというのに今はそんな事もない。慣れというのは本当に恐ろしい物だと思った。
「なんだよ。制服を脱がされてご機嫌斜めか?この辺りは未認可の遊郭も多い。士族どもが隠れるのに適している。警官だって知られたらすぐさま逃げられるぞ?」
「別に怖がってるわけじゃないですよ。ご心配なく。むしろ、杉山さんの方は大丈夫なんですか?そんな真新しい小袖に袴なんかはいてきて。警官というかむしろ、金持ちの坊ちゃんだと思われて強盗どもに身ぐるみはがされるんじゃありません?」
「はあ?お前は毎度毎度可愛くねえ奴だな。そこは大人しく震えてれば、可愛いのによ」
よりにもよって、杉山と探索とはため息を付きたくなる。正直、実井と一緒にいるのと同じぐらい最悪だ。なにせこの幼稚な皮肉に付き合わなければならないのだから。
すべてはあの持久とかいう謎の役人のせいだ。
「人様に媚び売って、ご機嫌を取るような人間が警官なんかになりませんよ。大体の人間が泥水すすって生きてるんですから。ああ、お坊ちゃんの杉山さんには分かりませんよね。すみません」
「このっ!年下風情が…」
秀介の煽りに乗っかり殴ろうとしてくる杉山の腕を掴み、無理やり引っ込めたのは芦水だ。
「もう、こんな時に若手にちょっかいをかける事もないだろうに。本当にお前は昔から口が悪いね。ああ、すまないね。黒谷君。杉山も悪気はないんだよ」
悪気の無い悪意と言うのが一番質が悪いと思う秀介。
破れかかっている小袖を着こむ芦水は表情の読めぬ笑みを浮かべていた。
「だが、確かに杉山は潜入には向かないよね」
「そんな誰が着たかもわからぬ物を着れるか。俺は肌は敏感な方だからな」
昼夜逆転するような仕事に付いている人間の言葉とは思えない。
「だからって、私物を引っ張り出してこなくてもいいのに。能天気なのか馬鹿なのか分からんな」
「芦水!同郷だからって、あまり過ぎた口を叩いていると父上に言いつけて飛ばしてやるぞ」
「はいはい。それは恐ろしいな。ほら、持久さんが戻って来た」
路地から顔を出した持久に手招きされ、三人は酒瓶を片手に徘徊する人々の横を素通りしていく。
「あの、芦水さん。杉山さんのお父上って結構な力をお持ちでらっしゃるんですか?」
隣を歩いていた芦水に秀介は囁いた。
「あいつの父上は新政府軍に金の援助をしていた豪商でね。今も政府には多額の寄付をしているから、方々に顔が聞くのさ」
なるほど。坊ちゃんと言うのはあながち間違いではないらしい。
昼間だというのに、蔵に挟まれた路地はどこか薄暗い。
そして、これまた、士族の恰好をした待田は役人というにはあまりにも、ここにいる誰よりもその空気に馴染んでいる。
幕末に戻されたような気持ちにすらさせられるのはなぜだろう。
「あんたの事は聞いてるよ。例の方々はこの奥の蔵を出入りしているのを他の女の子が見たってさ」
待田の肩にしなだりかかるのは四十そこそこの女であった。
表通りを歩く女性達とは異なり、肌の露出が多く、薄い着物を着こんでいる所をみると、この辺りを縄張りにしている遊女だろう。
彼女は持久に強請るように手を広げた。
「嘘ではないだろうね」
「この仕事長いのよ。世は変わったからって簡単に裏切るわけないでしょう?ここ数日、確かに片目に額に傷を作る男を目撃している。だから、早く…」
催促するようにほっそりとした手を揺らす女に持久は小袋を手渡した。
女が袋を開くと無機質な金属の音がかすかに鳴る。
銭か。
それを確認した女はほくそ笑みながら、素早く昼間の隅田川に消えていくのであった。
「あの女は?」
杉山は汚物でも見るように女の後ろ姿を嘗め回す。
「江戸の頃より情報を売り買いしている女さ。商人だろうが士族だろうが、男っていうのは女に口が軽くなるものですから」
「へえ。政府のお役人さんというのは案外泥臭い物なんですね。我々のような若輩者とは違い、経験豊富でいらっしゃる」
芦水の誉め言葉とも皮肉とも取れる言葉にも持久の表情はけして変わらない。
「おやおや、明治はあなた方のような警官がいてこそ平和は守られるのですよ。自身を持ってくだされ」
これまた芦水の言葉に皮肉で返す待田に何やら居心地が悪くなる。
「とりあえず、誰もいないようですよ。後は頼みますね」
「おや、持久さんは来られないので」
芦水の発言に持久は肩をすくめるだけである。
危ない橋は若い警官達に押し付けると言う事だろうか。
ますます、底がしれない。
だが、疑問は湧き上がっても、今は仕事に従事するしかできない。
得体の知れない役人をその場において、秀介たちは先ほど、女が目配せした蔵へと直進する。
「閉まっている」
蔵に手をかけるが、当然のように鍵がかかっていた。
「任せろ。こういうのは得意だからな」
杉山の挑発的な言葉に秀介も芦水も何も返さない。
南京錠を一瞥した杉山は懐から小さな針を取り出し、鍵穴を器用に弄り始めた。
そして、物の数秒で音を鳴らした南京錠は役目を終えたかのようにだらしなく垂れさがる。
「不穏分子どもが使っているわりには守りは手薄だな」
指先で針を回す杉山はどこか楽しそうだ。
なぜ、そんな技を心得ているんだと秀介は思った。
始めて、杉山という男に興味が湧いたのだ。
「杉山家は豪商だが、戦国の頃は刀鍛冶職人でね。江戸の頃はその力を鍵に転用して売りさばいたのが始まりなんだよ。その能力は明治の世になってもそこの男に受け継がれているってわけだ。歴史だよね」
秀介の疑問に答えるように芦水は言った。
「あの、杉山さんの事情に詳しすぎません?」
同じ派閥派とはいえ、豪商の息子と元士族である芦水がつるんでいる理由が分からなくなってくる。
「ただの腐れ縁だよ。彼とは同じ道場に通った先輩後輩だからね。なんだか、放っておけなくて。俺達の世代で生き残っているのは少ないから」
芦水のそのひと言ですべてを理解したような気がした。
見知った仲間が死んでゆく光景をこの男もいたいほど知っているのだ。
秀介が信二郎を失ったように。
例え、性格に難があるとはいえ、生き残った友人を気にかけるのは当然の事なのだろう。
それに杉山だって、薩摩派に属する豪商の息子と揶揄できない能力を持っている。
そうでなければ、いくら何でも警官にはなれないはずだ。
人を見た目で判断してはいけない。
秀介は人知れず、視野の狭さを自覚するのであった。
「米蔵でしょうか?」
杉山が開けた南京錠の先に待っていたのは薄暗い空間だ。
三十俵にも上る米俵が積み上がっていた。
正直、何の変哲もない。
だが、こうした米蔵ではよくある酸っぱい香りが漂ってこない。変わりにかすかな鉄っぽい匂いが鼻をかすめていく。
秀介は自分の背丈ほどの高さに積まれていた米俵を転がり落とす。
「何やってんだ?」
杉山の反論と同時に米俵は米が入っているにしては重たく、無機質な大きな音を立て、中身をぶちまける。床に投げ出されたのは大量の刀だ。
「これはっ!」
芦水と杉山は散らばった日本刀の一本を拾い上げ、その刃で他の米俵を裂いていく。
中にはやはり刀が収められていた。
「こっちには弾薬もありますよ」
秀介は淡々と言葉にした。
「思っていたより、収穫だったな。まさか、このご時世にこれだけの武器をこの街に持ち込んでいる奴らがいるとは」
ここは反乱士族達の武器庫だったと言う事だ。
奴ら、東京を火の海にでもする気だろうかと身震いする。
幕末の頃とて、江戸に火の手が上がる事はなかったというのに。
「どれだけの被害が出ると思ってるんだ!」
秀介の頭には炎に燃える東京の街がありありと浮かび上がっていく。
そして、逃げ惑う人々の悲鳴に耳を塞ぎたくなる。
思わず、体を震わせる中、物音が聞こえて、思わず気を静める。
足音だ。
サーベルは庁舎に置いてきている。
もし、この気配が反乱士族どもだとすると分が悪い。
秀介達は目配せをして、その場にある刀にゆっくりと手を伸ばしたのであった。




