第4話 暗殺
「ああ。眠っ…」
早朝の神田川沿いは少し肌寒い。
東京警視庁庁舎につくまでには目を覚ましておかなければ、先輩警官達に喝を入れられかねない。お小言を言われるだけならまだ良いのだがとも思った。
走り込み五十周か、はたまた素振り三百か。先輩警官達の気分次第でいくらでも罰の内容は決められてしまうのだから。そうならないためにも気合いを入れなくてはならない。
そう思い、秀介は大きく背伸びをした。陰る太陽に薄っすらと霧が出ていた。
だが、川を挟んだ反対側に二つの影が浮かび上がっているのに目ざとくも気づく。
その片方には見覚えがあるからだ。
「……実井?」
何かとこの胸をざわつかせる同僚だ。
奴も外出許可を出していたのだろうか。
少しの疑問は湧くが、実井と話し込む同じ年ごろの女性の姿が目に入ったため、何の不思議も湧いては来ない。
あれが実井の良い人かと思った。いや、あいつは口を開けば、女と遊ぶという発言ばかりである。それを体現するかのように、首元に紅を付けて庁舎に帰って来た事など一回や二回ではない。警官の職務は忙しいというのに、いつ楽しんでいるのが疑問でならない。
さらに実井から飛び出す女性の名は毎回違うと来ているから色男と呼ぶには少し嫉妬も湧いてくる。もしかしたら、今、仲睦まじげに寄り添っている彼女も一夜の関係ぐらいにしか思っていないかもしれない。
全く、あんな軽薄な男のどこが良いんだか、女心はさっぱり理解出来ない。
それでも、同僚が連れ立っている女性の顔も拝んでみたいという下世話な好奇心があるのも事実だ。だが、残念ながら、ここからでは女性の表情はよく見えない。
それでも、艶やかな黒髪を三つ編みにして後ろ手にまとめ上げている細身の彼女は新しい明治を象徴するようだ。そして、揺れる牡丹の簪が朝日に照らされて幻想的に輝いてもいる。
何より、彼女と談笑する実井の表情はどこか柔らかい。
一夜の相手だと揶揄したばかりだが、案外、本命の女性なのかもしれない。
我ながら単純だと思いながら、秀介はそっとその場を離れたのであった。
いくら、あいつが気に喰わないとはいえ、逢瀬を盗み見するほど落ちぶれてはいないのだから。そして、自分にああいう色恋事はこの先も無縁であるなと少しの寂しさも募らせるのだ。
その心を落ち着かせるように、歩く速度を早めれば思いの他、早く庁舎へとついてしまった。
東京警視庁。新しい響きの集団に属してはいるが、その総本山は旧津山藩邸を改修されて設置されているため、江戸の雰囲気が色濃く残っている。
それでも、そこに集まるのは武士ではない。西洋から持ち込まれた黒き制服を纏う者達だ。
気合いを入れ直すように帽子を被り直した秀介はすっかり、眠気はひいていた。
しかし、いつもは静かな庁舎内が妙に騒がしい事にすぐに気づく。
慌ただしく駆け巡る同僚達の表情はどこか硬く、目に入る人の数も多い。
一体、何事だ。
異様な空気感に自然と緊張感が走る中、何度と歩いた庁舎内の廊下を進んでいくと前方から現れた藤田を見つけた。
「良いところに来た。お前も来い!」
視線が合った途端、有無も言わせない勢いの藤田の威圧感に返事もまともに出来ずについていくしかできない。
「あの、何があったんですか?」
何とか絞り出した質問を述べ、慌ただしくすれ違う同僚達に更なる不安が募る。
「藤田さん。本当ですか?内務卿が暗殺されたというのは!!」
秀介の疑問に答えてくれたのは慌ててやってきたのは実井だ。
明治政府の実質的な代表者の暗殺という文言に秀介も緊張感が走る。
現れた実井の逢瀬の光景などすっぽりと抜け落ちていく。
「それはつまり、大久保利通卿が殺されたと言う事ですか?」
秀介も思わず、その名を口にした。
だが、すぐに失言だと気づき、己の口を手で覆う。
戊辰戦争の頃、新政府軍側の大物として暗躍した大久保利通が亡くなったと言う事は警視庁中どころか政府中枢が震撼する事態だ。
誰も彼もが神経を尖らせるのは当然だろう。
「詳しい話は現場に付いてからだ。行くぞ!!」
返事もそこそこに秀介は付いたばかりの庁舎を後にして、東京の街を走り抜ける。
たどり着いたのは内務省のある霞ケ関に続く道沿い。
集う群衆を嗅ぎ分けて、やっとの思いで目に止めたのは無残に壊された車輪に横転した馬車だ。
「そっちに行ったぞ!!」
突然、上がった叫び声に振り返ると気が動転して暴れ回っている馬がこちらに向かって突っ込んでくる所だった。その鼻息は荒く周りが見えていない。
秀介は咄嗟にその手綱を掴み、体を持っていかれそうになりながら、馬をなだめようとした。
「おおっ!どうすりゃいい?」
馬の扱いに慣れていない秀介も慌てふためき、大声を上げる。
「そのまま、馬の背に乗れ!!」
簡単にいうなよ!!実井の無神経な助言に腹が立ってくるが、こうなったからにはどうにでもなれと半ば投げありに足を蹴り勢いよく馬の背にまたがったのであった。
「落ち着け!!大丈夫だ」
いつ落とされてもおかしくないほど、体は揺さぶられるが手綱は絶対に離す事なくやり過ごしていれば、落ち着く素振りを見せなかった馬の息が整っていく。
そして、数秒の後に規則正しい蹄の音を鳴らして、立ち止まる。
「良い子だ!」
その毛をひと撫ですると、赤い液体が秀介の指に付着した。
だが、この馬が流した物ではない。
おそらく、大久保卿から流れ出たものだ。
「うまいものだな」
見上げてくる藤田を前にして苦笑いを浮かべるしかできない。
「舌噛むかと思いました」
「すげえな。乗馬の才を隠していたか」
笑う実井に手綱を手渡し、秀介は地面に降り立った。
「馬を乗りまわす才があるのはお前の方じゃないのか?助言する暇があるなら、自分でやれよ!!」
少しの不満と咎める視線を向ければ、実井は肩をすくめるだけだ。
その反応はどういう意味なんだと殴りたくなる。
「黒谷の方が近かったからな」
「馬に乗ったのは初めてだ。死ぬかと思った」
「良かったな。生きてて!!」
他人事だと思ってと叫びたくなる。
「おいっ!」
さらなる苦情を言おうとするが、藤田に一括されて押し黙る。
そして、馬車に足をかける藤田の背後からその中を覗き込んだのであった。
横たわるのは一人の年老いた男。上等な燕尾服は無数に斬りつけらえ、服の体裁を取っていない。特に酷いのは下半身部分で、真っ赤な血が今も滴り続けている。
殺されて、それほど時間は立っていないのかもしれない。
「この方が大久保卿で?」
だが、写真とかいう異国の技術で写された内務卿の姿とは似ても似つかない。
もっとほっそりとした体形の印象を受けていたが、目の前の男は逆でふくよかだ。
「違う。どうやら、情報が錯綜しているな」
「えっ!」
隣で膝をつき、遺体を隅々まで観察する藤田を思わず見やる。
「この方は大里孝三郎殿。内務卿の側近たる次官補佐だ。酷いな。御者も巻き添えとは…」
馬車のすぐそばで倒れ込む若い男にも斬られた後があった。
それらの事実を淡々と答える藤田に思わず驚いた。
だが、それは殺されたのが内務卿ではなかったという理由だからではない。
「あの、恐れながら藤田さんは政府の役職に付かれている方の名前を全部覚えているんですか?」
「当然だろう。敵味方を区別するためにも情報収集は怠るな」
「……はい」
当たり前のように語る藤田に安易に質問したのを後悔した。
さすが、幕末の獅子。同じ巡査扱いとはいえ、言葉に重みはある。だからといって、同じ力量を求められても困る。
実井も似た気持ちかと思い、視線を向ければ、ただ、押し黙り被害者となった男を見下ろしている。その感情は読み取れない。
「見てみろ!!」
藤田が手に取ったのは息絶えた大里孝三郎の傍に落ちていた不気味なお面だ。
「子供をかたどった面ですか?」
「いや、鬼だろう」
その面は赤い顔の子供に角が生やされた見慣れぬ物だ。
「彫りが甘い。素人かもな」
藤田は嘗め回すようにお面を凝視する。
「なぜ、そんな物が?」
「殺した人間が置いていったのだろう。旗印を掲げ、犯行を知らしめる反乱士族は多いからな。だが、これは始めて見る」
「噂の過激な反乱士族の仕業でしょうか?」
「もしかしたらな。これはしばらく忙しくなるぞ。覚悟しておけ」
鬼の面を残す反乱士族か。
こんな往来で犯行に及ぶとは…。
無関係な人間も巻き添えとは万死に値する。
魂を宿したかのように不気味に微笑む小鬼に怒りと名前の分からぬ不安に苛まれる秀介であった。




