第26話 決戦
信二郎は上等な燕尾服を纏い、紳士達をかぎ分けて容易に屋敷への侵入に成功した。
どいつもこいつも馬鹿だと信二郎は思った。
どれほど、警備を厳重にしようとも政府の重要人物を演じてしまえば、誰も止もしない。
もうすぐだ。辰治。お前の人生に影を落とし、何十年もその記憶に残り続けた鬼達は全員始末してやるから。だが、その後の事は好きにさせてもらう。
信二郎は背中に隠し持っていた刀を抜き、この屋敷でもっとも豪華な作りになっている一室の扉に手をかけた。案の定、中には呑気にくつろいでいる燕尾服の男がいた。
宮ノ小路智晴だ。
信二郎は確信の末にその鋭い刀を突きつけた。
――カキン!
だが、信二郎の刀を受け止めたのは予想していなかった人物だった。
「何!!」
秀介は困惑する信二郎をよそに宮ノ小路から借りた燕尾服を脱ぎ捨てた。
「内務卿代理には別の部屋に移動して頂いた」
「ふんっ!昨日、お前を殺しておくべきだったな。はあっ!」
信二郎は秀介のサーベルを何度も叩きつける。
それに答える秀介。
「お前はあの鬼を助けるというのか?随分な正義だな」
「無関係の人間を殺しておいて何を言う!!」
「多少の犠牲は仕方がない」
何の感情もなく言い切る信二郎に秀介の怒りは一気に上がっていく。
「だから、実の姉を殺したというのか?」
秀介は強い力を持って、刀を押し返した。
間近に迫った信二郎の瞳が一瞬揺らめいた事に気づく。
「何の話だ?」
「湯沢高生は冬乃さんの結婚相手だった。俺は見た。あの男のそばで息絶えているあの人を。その刀で斬り殺したのだろう!!何が仇討ちだ!笑わせるな」
怒りに任せて、秀介は何度もサーベルを打ち付けた。
もう、止まって欲しいという思いも込めて。
だが、秀介の願いもむなしく、信二郎の瞳はさらに漆黒に染まっていくだけだ。
「そうか。あの男に寄り添っていた女は姉上だったか」
「言う事はそれだけなのか?」
「あの鬼に肌を許さなくて済むようにしてやったんだ。感謝してほしいぐらいだ」
「ほざけえっ!」
信二郎は刀を放り投げ、手裏剣をいくつも投げてくる。
それらを避け、弾いていく秀介は信二郎に距離をつめ、押し倒した。
「何がお前をそうさせた?辰治と言う男が仇討ちを頼んだのか?」
「いいや。あいつはこの世の不条理を嘆いていただけだ」
秀介は信二郎の首元にサーベルをそわせる。
窓の向こうから怒号と銃声、金属が触れ合う音が響き渡った。
「なんだ?」
「駒たちが動き出したのさ」
「駒?お前が集めた士族達の事か?」
「そうさ。俺の願いを叶えてくれる」
「願い?士族達の世に戻したいというのか」
「まさか。逆だよ。奴らはこの世に混乱をもたらしてくれる。そのために叶わぬ夢を語る連中を集めたんだよ。ははははっ!」
「それは仇討ちとはまるで違うじゃないか!!ただの殺戮だ」
秀介は信二郎の首にぴったりとくっついたサーベルに力を込めた。
「辰治の仇討ちは完遂したからな。次の目的が必要だろう?悲鳴こそが俺の生きる喜び」
秀介は狂ってると思った。
自然と腕は震えていく。
「すべて秀ノ介のおかげだよ。俺を見捨ててくれて感謝する」
「俺も殺したいのか?」
胸の痛みと浅い息に苦しい中、秀介は何とか言葉を絞り出した。
「それも良いな。お前は殺せるか?」
「出来るさ」
この男を殺戮者だと罵った所で自分もまた人斬りだ。
あの頃は幕府を倒そうとする維新志士どもを蹴散らすという大義名分で。
そして、今は警官という身分を与えられ、反乱士族どもを取り締まっている。
だから、鬼の名に相応しい化け物に成り下がったかつての友を始末するぐらい容易いだ。
藤田が語った通りに道は違えたのだから。
「はああああっ!」
秀介は信二郎の肩を強く床に押し付け、サーベルを振り上げた。
なぜか、奴はこちらをずっと凝視している。
その理由の意味に気づかぬままに刃を振り下ろした。
だが、その肌をかすめる事はなかった。
まるで二人を咎めるようにその胸元から投げ出されたのは古びた匂い袋だ。
冬乃が信二郎に贈り、秀介が預かっていた物だ。
――“信二郎”
――“秀ノ助さん”
すでに香りなど残されていないはずなのに懐かしさがこみ上げて来て、無意識に殺意が薄れる。
「ふっ!臆病者が!」
昔の面影を残す信二郎は鼻で笑った瞬間、秀介を押しのけ、西洋椅子の後ろに転がした。
殺られる!!
秀介は死を覚悟した。
だが、信二郎は仁王立ちのまま、出口を向く。
「俺は慟哭隊の頭、慟哭鬼だ。この首取れるか!!」
高らかに宣言した後、入口近くから無数の銃の弾が飛んでくる。
「信二郎!!」
秀介の悲鳴は銃声にかき消され、ただ茫然と見守るしかない。
その弾は信二郎の体を貫通し、血が壁や床に飛び散る。
「止めっ!」
信二郎を狙った銃撃隊を鎮めたのは待田であった。
そして、静かになる部屋の中、信二郎はゆっくりと膝を付き、倒れた。
すでに息絶えていた。
秀介はその光景をただ見下ろしていた。
「ご苦労だったね。黒谷君」
待久は笑っているがその腹の底はやはり読めない。
秀介もまた本音を隠して待田の肩にサーベルを置く。
瞬間、銃撃隊は秀介に銃口を向けた。
「構わない」
しかし、待久に諭され銃撃隊は銃口を降ろし、部屋を出ていく。
「実井を殺そうとしたな」
「捕まえようと思っただけさ。君との約束は命を取らない事であって、それ以外は含まれないからね」
「屁理屈だ」
「大丈夫。もう、彼に用はないよ。そこの男を始末できただけで十分だ。政府もそれで許すだろう。君だって、これ以上探られるのは本望ではないはず」
それは秀介と信二郎の関係を指しているのか、実井の秘密を語っているのか。
おそらく、両方だろう。
そして、持久はそれらの話題を公にする気はないとみる。
ならば、この男とこれ以上話す理由はない。
秀介はゆっくりとサーベルを鞘に戻した。待田もそれを見届けた後に部屋を出ていく。
残されたのはかつての友だった者の成れの果て。
秀介は動かぬ信二郎の背中に手を添え、その死を悼んだ。
多くの混乱を招いた男だ。本来は許されぬ行為だが、そうしたいと思った。
遠くでなだれ込んだ士族達が藤田や山野、杉山、他の警官達に捕まっている様子が目に留まる。この騒動も終わりに近づいている。
秀介は消失感と安堵感という相反する感情に浸っていた。
「ぎゃあああっ!」
だが、それもつかの間、どこからか断末魔が響き渡ったのだ。
「なんだ?」
慟哭隊の残党がまだ残っていたのか。
秀介は信二郎をその場において、廊下へと飛び出した。
周囲は大勢の警官達でごった返している。
「内務卿代理が殺された!!」
誰かの叫び声にさらに奥へと走り出れば、窓際にもたれかかり絶命している宮ノ小路智晴がいた。
信二郎は死んだのになぜだ。
秀介の中で困惑が広がっていく。
その最中、薬草が混じった香りが鼻をかすめた。
志穂に縫ってもらった薬と同じだ。
振り返ると慌てふためく警官達の中に支給姿の彼女が気配もなく立っていた。
その懐には血の付いた小刀が握られている。
彼女が宮ノ小路を殺したのだと感づいた。
そして、志穂も被害者であるとを察する。
「志穂さん……」
秀介の問いかけもむなしく、彼女は跡形もなく人の波に消えていく。
「待って!」
秀介はその後を追いかけた。だが、もちろんどこにもその気配はない。
実井が忍びだったのだ。
その仲間たる彼女も当然忍び。逃げるのはたやすい事だ。
気付いてあげればよかった。
いや、知った所で何が出来たというのか。
不毛な自問自答を繰り返す。
信二郎は仇討ちに託けて、新たな悲劇をもたらしただけだ。
だが、志穂は違う。
明治の世では許されなくても理解を示せる。
だから、秀介は彼女の残り香を探すのを辞め、天を仰いだのだ。
そして志穂への贈り物たる櫛を取り出し、眺めたのであった。
「渡せなかったな」
なぜ、俺の周りは死が付きまとうのかと秀介は思った。
誰も彼もが、幸せになりたかったはずなのに。
今もなお、混乱の中だ。




