第25話 狂気
「一体何をしてるんです?」
藤田は秀介が断わりもなく、地下に降りた事を咎めるでもなく拷問部屋へと足を踏み入れた。
「奴の取調だ」
額から血を流し、羽織の下から汗がにじみ出ている男の髪を掴み上げる藤田。
「その男は?」
「芦水の死を招いた慟哭隊の死にぞこないだ。まだ、息があったからな。延命処置の末にここに引っ張り込んだってわけだ。なあ、十六治。楽しいだろう?」
藤田に十六治と呼ばれた男には確かに見覚えがあった。
茶色い小袖を着て倒れていた反乱士族。
てっきり、死んだとばかり思っていたが生きていたのか。
「いいんですか。こんなの違法じゃあ…」
「こいつは明治に生きちゃいねえからな」
そんな理由がまかり通るのかと秀介は思った。
「俺だってやりたくてやってるわけじゃねえよ。だが、戦の世じゃあ、手段は選んでられねえからな」
「戦中だなんて、幕末は終わったじゃないですか」
「これのどこを見て戦が終わったって言えるんだ。それにこれは上も容認している」
「上層部が?」
「こうした野蛮な手段は元新選組なら軽くこなせると思ったんだろう。全く嫌な役回りを押し付けるもんだ。そう思うだろ」
ぐったりとしている十六治の頬を藤田は軽く叩いた。
このくぐもった空間には血の匂いが充満している。
それだけで、今まで何が行われていたのか想像できて秀介は気分が悪くなる。
「はあ。新選組三番隊隊長も腕が落ちたもんだな。やはり、かつて同じ側で戦った人間を痛めつけるのは苦しいのか?」
ゆっくりと視線を藤田に合わせた十六治の瞳は獰猛な牙を剥きだしたような色をしていた。
「まだ、話す余力が残っていたのか?さすがだな」
「褒められても嬉しかねえよ。政府の傀儡に成り下がった男にはよ」
秀介は藤田と十六治が知り合いである事に気づいた。
それも口ぶりからするにかつての仲間だ。
だが、藤田はどこまでも冷たく感情の読めぬ表情で取調と言う名の拷問を行っている。
「俺は何も話さねえよ。分かってるだろ?」
余裕のある響きで吐き捨てた十六治は覚悟が決まっている。
死すら甘んじて受け入れるだろう。
だが、それでいいのか?
「あの、藤田さん。慟哭隊の次の狙いは明日の式典ではないかと思うのですが?」
早くこの野蛮な取調を終えて欲しかった。
平気な顔をしていたって知り合いを痛めつけるのは堪えるはずだ。
そして、案の定、十六治の瞼がわずかに揺らめいているのだから。
「そうか。お前達の次の狙いは式典会場か。政府の要人どもを殺せば士族どもの扱いは変わると本気で思っているのか?」
「ふん。さあな。本気でそう思ってる人間もいるんじゃないのか?だが、俺は違う!!」
その瞬間、十六治は鎖に繋がれたままにこちらに突っ込んできた。
「藤田さん!!」
秀介が動く前にその刃は十六治の首を切り裂いていた。
秀介が何が起きたのか気づいた時にはすべてが終わっていた。
ただ、満足したように十六治は息絶え、床に倒れていた。
「そんな…。早く手当を」
「血迷ったのか?もう、死んでいる」
「でも…」
普段なら、おそらく平気な顔が出来たのだろう。
だが、今回は違う。
ここ数日、本当に多くの血を見たのだ。
これ以上はもうたくさんだ。
例えそれが見知らぬ人間であったとしても。
肩を震わせる秀介の肩に藤田がそっと手を置いた。
「お前は優しすぎる。お父上そっくりだな」
「藤田さんは私の父と面識がありましたね」
「同じ流派だからな。手合わせをした頃が懐かしい」
今まさに友を斬り殺したばかりだというのに藤田は昔話に花を咲かせている。
何とも異質な空気感に秀介は思わず眉をひそめた。
「実井は間者ではありませんでした。御庭番衆も関係ない」
「確証があるのか?庇っているだけなら政府の子飼いどもとは納得しない」
「死の淵を彷徨っている仲間にそんな言葉をかけるんですか?」
「そうだな。配慮が足りなかった」
藤田のごく当たり前の謝罪に秀介は口が過ぎたという意味を込めて、小さく頭を下げた。
実井が今どういう状態なのか秀介にも分からない。
怖くて見に行けないのだ。
いや、どんな顔をして会いに行けばいいのか悩んでいると言うべきか。
あいつはこの瞬間にも友が復讐をしていると思っているというのに。
「私は相まみえたんですよ。この拷問部屋に籠ってたって情報は入って来るんでしょう?湯沢邸の惨劇。その犯人とサーベルを交えたのです。奴の狙いは内務卿ではなかった。最初からその補佐たる大里卿と代言人鈴木と言う男。そして、湯沢殿を仕留めた今、最後の一人となる男、宮ノ小路智晴を狙っている」
「その根拠は?」
藤田の問いに秀介は実井の事を話すべきか迷った。
余所者たる自分が軽々しく話題に出来るほどの真実ではない。
「慟哭隊を率いている人間は反乱士族どもの思想に感銘を受けているわけではない。これは復讐ですよ。かつて、この四人は混乱する世に乗じて、罪を犯した。その報いを受けさせようとしている」
「ほお~。それは興味深ないな。その罪とやらを話す気はあるか?」
「恐れながらありません。これは友が明かした秘密ですから。墓場まで持って行きます。大事なのは奴が仇討ちに飽き足らず無関係の人間まで殺した事ですから。これは世を乱す行為です。それだけ分かればよろしいのではありませんか?」
「そうだな。式典についてはそこで転がっている男から聞いた事にする。お前は他言するな」
藤田からの申し出に正直驚き、思わず目が見開いた。だが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「ありがとうございます」
そして、敬意を込めて、今度は深々と頭を下げたのだ。
「あの、一つ聞いても?」
「なんだ?」
「かつての友を死なす羽目になって、苦しくはないのですか?」
一瞬の間があったような気がした。
秀介は再び出過ぎた真似をしたかもとその発言を後悔した。
「すでに道を違えた仲だからな」
きっぱりと言い切る藤田に安堵した。
だが、同時に自分には同じ事が出来るのかと不安になる。
藤田のように冷酷になれる自信がない。
しかし、秀介はそれが間違いであるのにすぐに感づく。
なぜなら、一瞬、十六治を見下ろした元新選組の男は複雑そうな表情を浮かべていたから。
その心中を本当の意味で理解するのは自分には無理だ。
藤田と十六治がどれほどの仲だったのかも秀介には踏み込めぬ世界なのだから。
ゆえに、何も言い返さずに背を向け出ていく藤田の後に続くのだ。
すでに運命の日の朝を迎えていた。
過去に生きる者との最後の戦いの瞬間は刻一刻と近づいて来ている。
奴がどれだけの戦力を有しているのか正確には理解できぬままに。
かたや、式典の準備に大忙しの屋敷の一室では宮ノ小路智晴が念入りに髭の手入れに勤しんでいた。この催しの主賓である湯沢が殺されて中止の声も上がったが、明治9年を迎えて、その繁栄を願う大事な機会を失うわけにはいかない。
今もって、各地では不穏な動きを見せる連中は多い。
内務卿が京に出向いているのもその動向を探るためでもある。
何せ、九州に引っ込んでいるはずの西郷隆盛も反乱を起こす士族達に合流したという噂話まで出回っている。
このまま、何事もなくこの職を全う出来れば、内務卿の後釜に座るのも夢ではない。
過去を隠し、ここまでなり上がったのだ。
宮ノ小路は小窓の向こうに集う紳士淑女を見下ろした。
その栄光たる道を照らしてくれるのは彼らのような著名人に顔を売る事だ。
この機会はそれに相応しい。
上等な燕尾服に袖を通しながら宮ノ小路は自らの野望に浸っていた。
その命、狙っている者がすぐ近くに迫っている事にも続かずに。




