第27話 最後の戦の影
内務卿代理暗殺という事件はそれなりに世間の関心を引いたが、その後も頻発する士族反乱の知らせの中で埋もれていき、一か月も経てばほとんど話題にすら上らなくなった。
「母上。それでは行ってまいります」
晴れた日の朝、夏の長屋に顔を出した秀介であるが、当の母はずっと無口で背をそむけたままだ。東京を離れる前に挨拶をと思ったが、仕方がない肩をすくめて秀介は靴を履き始めた。
最初は靴擦れを起こして痛い思いもしたが、今となっては笑える思い出だ。
「秀介さんがやらなきゃならない事なんですか?」
唐突に背後から告げられた母の言葉にうんざりという感想も今日はなぜか湧いては来ない。
「上からの命令ですから」
西郷隆盛を慕って集まった不定士族達の動きが活発になっているという情報を掴んだ政府は臨時の政府軍を編成。大久保利通卿を総裁として警官達もその軍に加えられる事になったのだ。
「警官なんてお止めになればいいじゃない」
「母上!!」
夏の感情を爆発させたような声に思わず振り返る。
だが、やはり、こちらを向いてはくれない。
「もう侍ではないのよ。他の道を生きたっていいの。何だってなれるのよ。商売人や料理人、記者にだって…。それなのにまた戦に行くような真似をするとは。母のせいですか?私が厳しくしたせいで…」
母はずっと同心で無くなってしまった黒谷家が不満なのだと思っていた。
かつての敵の元で働いているのも許せないのだとも…。
だが、それは違った。
母はただ、この身を心配していただけだったのだ。
「いいえ。母上のせいではありません。俺は同心ではなく警官にはなりましたが、選んだのは自分の意志です。それに戦に行くのではありません。まだ、幕末が終わっていないんです。それを終わらせるのもあの時代で戦った者の役目ではありませんか」
治安維持なんてものは平和な世でなきゃ、意味はなさない。
世が乱れれば人の悪意は増大すると知ったのだから。
子どもの頃の実井達がその餌食にされたように。
「理解していただかなくても結構です」
「そうですか。では、母も勝手にします」
「……はい」
今日、始めて見た母上の顔はいつもより血色がよかった。
だが、その目には薄っすらと涙が溜まっている事には気づかぬふりをする。
「それでは失礼します」
今度こそ、秀介は長屋を後にする。
そして、寄宿舎へと戻ってみると杖をついた実井と鉢合わせした。
「大丈夫なのか?」
「ああ、まだ本調子じゃないが歩けるだけましだ」
「そうか」
秀介は実井の肩にかけられた荷物を見やった。
「やっぱり、辞めるのか?」
「ああ。もう、俺には無理だ。すまない」
「いいんじゃないか。今は何にだってなれるんだ。あてはあるのか」
「もう少し考えるかな」
実井は物寂しげに視線を伏せた。
「その…志穂さんは?」
「俺の所にも顔は出していない。きっと、この先も現れないだろう。あいつと違って、俺は強くはないから。こんな事になるなら、俺があの鬼どもを殺ればよかった」
「俺が言うべきではないのかもしれないが、それは違うと思うぞ。お前は耐える事でふりかかった悲劇と向き合おうとしていた。それなのに、その傷を抉ったのはお前の友を名乗った慟哭鬼だ。きっと、そのせいで、志穂さんの心も乱されて…。すまない」
「どうして、黒谷が謝る?」
「いや、まあ…」
あえて、“どうして”と言われてしまったら、明確に返事を返せないのが歯がゆい。
慟哭鬼を生み出したのは俺だと告げるのは違う気がしたから。
「俺が言うのもどうかと思うが、志穂はお前に惹かれていたと思う」
だからこそ、残念だと言いたげに実井は表情を曇らせる。
「そこまで仲良くはなかったよ」
「こういうのは時間じゃねえからな。“兄”としての直感だ」
だとしても、勝手に彼女の心を代弁するのは違う気がする。
所詮は推測なのだから。
「俺も志穂さんの事は多分、忘れないと思う」
今も彼女への贈り物たる櫛は懐の中に大事に仕舞われている。
それが本人に届く事は一生ない。
「じゃあ、行くよ」
「ああ…」
実井は寄宿舎を後にしようとして立ち止まった。
「お前は生きて帰ってこいよ」
それは実井から友への激励だと理解した。
「まあ、頑張る」
「なんだよ。煮え切らねえな」
二人はお互いの顔を見合わせて笑い合った。
秀介はその心で覚悟を決めていた。
実井のような被害者を生み出さないために平和な世が来るまで戦い続けると。
警官が同心に変わる新しい治安維持の象徴となれる日が来る日まで。
そして、今回の戦で終わってくれたらと願いながら、戦いに赴くのだ。
「おい。黒谷。さっさと行かねえと、上に怒られるぞ!!」
塀を乗り上げる山野がこちらに手を振っていた。
「おい。貴様は空気も読めないのか?本当に嘆かわしい」
杉山の声も聞こえる。おそらく、塀の下で山野を見上げているのだろう。
「あの二人、仲良かったか?」
「ここ最近はよく一緒にいるな」
「へえ~。意外と馬が合うのか」
不思議な組み合わせに実井は驚いているようだが、秀介からしたらすでに慣れ親しんだ光景だ。こうして、日常も変わっていくのだろう。
「山山だしな。案外、前世じゃ夫婦だったのかも」
「誰が山山だ!!」
塀の向こうで杉山の憤慨した声が響く。
「地獄耳。だが、事実だろう。杉山と山野だから。山山組」
揶揄うように秀介は言う。
「貴様。妙な名を付けるな」
「山山組。良い響きだ」
「なぜ、お前は受け入れている!」
不満な様子の杉山に対して、山野は気に入ったように頷いている。
その様子に秀介はやっぱり、前世夫婦だろうと思うのであった。
――ゴロゴロッ!
「げっ!雷様!」
ついさっきまで笑っていた山野だが素っ頓狂な声を上げ、塀の上から姿を消した。
おそらくあの壁の向こうで盛大に尻餅をついている事だろう。
「山の民にしちゃあ、格好のつかねえ姿だ。哀れだな」
そして、それを呆れた様子で見てる杉山の姿も手に取るように分かる。
あいつらは、これから戦いに行くとと分かっているくせに能天気な態度すぎる。
いや、あれぐらいでなければ、やってられないかとも秀介は思い直した。
そして、人の本質というのは見た目で判断するだけでは駄目だとも学んだのだ。
軽薄だと思っていた目の前の男にも秘密はあり、悲しみを抱えていたのだから。
「一雨来そうだ」
「不気味なこった」
不穏な影を感じ取りつつ、秀介と実井は天を見上げ、覆い隠された太陽を探すのであった。
間もなく、侍達の最後の戦、西南の役が始まる。




