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明治警察物語~同心の息子は月欠ける空に手を伸ばす  作者: 兎緑夕季


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第23話 刺客

秀介は実井の血を吸った制服を着たまま、夜道を走っていた。

なぜ、そうしているのか自分でもよく分からなかった。

虫の息の実井をたまたま通りかかった煮立ち屋の主に任せた事も正しい判断だったのか考えられぬほど、心臓は冷たく脈打っていた。


そもそも、まだ冬乃が湯沢の屋敷に入ったかどうかも定かではない。

婚姻の意思を示したと言うだけだ。

だから、こうして、湯沢高生の安否を確認しようとしている行為自体こそが無意味なのかもしれない。それでも、やらなければならないと思った。

例え、過去に口にも出せぬほどの大罪を犯した男であったとしても確かめなければならないという強迫観念に支配される。


秀介は息をするのも忘れて東京の街をひたすら駆け抜けた。

幸いなのは湯沢邸の住所はこの頭に入っていると言う事だけだ。


そして、飛び込んできたのは大きな洋館。夜道の中では不気味な装いでそびえたっている。

秀介は上がる息を抑えて、呼び鈴を鳴らそうとした。


だが、その時、


「きゃあああっ!」


どこからともなく、女性の悲鳴が上がった。


秀介は事件が起きたにに気づき、門を飛び越えて、敷地内に降り立った。

血にまみれたサーベルを握りしめて。

だが、扉は空いていない。


仕方なく、秀介はすぐそばに、はめ込まれているステンドグラスを割り、中に侵入した。

屋敷内はとても真っ暗で人の気配がない。

いや、使用人達は息を殺して隠れているのだ。


廊下を曲がった所で蹲っていた数人の使用人達に制服の紋章を見せ、警察である事を示す。すると、一人の使用人が奥の部屋を指さした。


「そこにいろ」


小さな声で命令した秀介はサーベルを強く握りしめ、指指す部屋の前に立つ。


「ま…待て!金ならいくらでも…あっ!」


部屋の中では湯沢が何者かに懇願していた。

だが、相手は一言も発せず、持っていた鋭い刀で湯沢の体を八つ裂きにする。


「そこまでだ!!」


秀介は思いっきり扉を開け、犯人の顔を拝もうとした。

侵入者の手には鬼子面が握りしめられている。


「雄勝辰治だな」


秀介はゆっくりと実井の友の名をつぶやいた。

だが、背を向けている男の顔は見えない。


「もう、やめるんだ。復讐…いや、あえて、仇討ちと呼ぼう。気持ちは分かる。だが、それであんたの心は救われるのか?実井はお前が行動に移した事で苦しんでいるぞ」


秀介自身もなんと、ありきたりな言葉の羅列だろうと思った。

それでも、言わずにはいられなかった。


そして、男は振り返った。

その顔には鬼子面が付けられている。


「すべて壊れてしまえばいい」


喉を鳴らして、音のない言葉を発する男は秀介めがけて、刀を振るう。


――カキンッ!


秀介はその刃を受け止めた。

男の刀はとても重かった。


何度と打ち付けるサーベルと刀は火花を上げ、無機質な音を生み出す。

だが、一向に決着はつかない。

秀介は不思議に思い始めていた。

目の前の男の刀にはなぜか懐かしさを感じる。

雄勝という男と面識はないはずなのに。


疑問が湧き上がる中、二人に割って入るようにクナイが飛んでくる。

秀介と男は後ろに飛びのいた。と同時に脱げた鬼子面。

その素顔が露わになり、秀介は驚愕のあまり、言葉を失った。

その場に突如現れた第三者たる才三の存在すらも忘れて。


「慟哭隊の新の主。ここでお会いできるとは光栄な事でございます」


だが、才三は秀介のそんな様子には気づかず、男に自己紹介を始める。

それでも、男は才三に視線を向ける事なく、刀を振り上げた。


「やめろ!!」


何をしようしているのか秀介は察したが、反応を起こす前に男は才三の胸めがけて、刀を振り下ろした。ほどなくして、才三は力なく、その場に倒れ、間もなく息絶える。

呆気なく命が奪われる瞬間をここ数日、何度も見た。

こっちこそ、いい加減にしてほしいと思った。

そして、また、幕末へと意識を戻される感覚に陥る。

それもこれも、すべてはこの場に親友の顔を見たせいだ。


「なぜ。お前がいるんだ?信二郎!!」


鬼子面を被っていたのは雄勝ではない。十年前。戦で亡くなったはずの奥崎信二郎であった。

その顔には無数の傷があり、かつての面影はほとんど残っていない。

それでも、秀介はその正体にすぐに行き着く。


「随分と懐かしい名だ」


どこか劇がかった口調で秀介を凝視する信二郎。

その言動一つが秀介を苛立たせ、困惑させる。


「お前が?どうして、鬼子面を?それは雄勝辰治という御庭番衆が持っていた物だろう?」


何より、この友が実井達の復讐を実行しているのも解せない。


「そうだ。これは辰治のためだ。唯一の友…」


信二郎は軽蔑の瞳で秀介を射抜いた。


「お前は俺を置いていったよな。あの冷たい地に!!」

「違う。そうじゃない」


だが、あの混乱した戦場で見失ったのは事実だ。大切な友を…。

その事実を突きつけられて、鈍い痛みが募っていく。

そして、この惨劇はお前のせいだと突き付けられたようで苦しい。


「まあ、いいさ。そのおかげで俺は辰治に出会えたのだから。あいつは欠けた月から降りてきた」


欠けた月?


秀介の中にもかつての情景がよみがえっていく。

死を覚悟した瞬間に見た人影を…。

あれは雄勝辰治。実井の友人だったのか。


「辰治さんが助けてくれたのか?」

「そうだ。あいつは俺を戦場から連れ出し、傷の手当をしてくれた。それからはずっと一緒だった」

「どうして、冬乃さんの元に戻らなかったんだ?あの人はお前の帰りを待っていたのに」

「すべてを忘れたかったんだよ!!血の匂いも。銃弾も!怒号ももうこりごりだ。辰治もそうだった。すべてを忘れたがっていた。この男どもにされた事もな!!」


信二郎はすでに息絶えている湯沢の下半身部分を刀で強く刺した。


「なら、慟哭隊を指揮しているのはお前なんだな?」

「そうだ」


信二郎は悪びれる事なく答えた。

その淡々とした様子すべてがこれは夢なのではないのかと思わせる。


「雄勝辰治は?」


秀介もまた、何の感情もない声で問う。


「とっくの昔にくたばったさ。流行り病だ」

「だから、変わりに殺したっていうのか?」

「そうだよ。文句はないはずだ。これは鬼退治なんだから」

「これが鬼退治だって言うなら、なぜ、反乱士族を巻き込んだ?」

「だって、新政府軍も鬼だろ?」

「何を言っている?」

「お前には分からねえよ」


小ばかにしたように信二郎は笑う。


「どうでもいい。詳しい話は捕まえてからだ」


秀介はこの瞬間も抉られる感情に蓋をするように信二郎との距離をつめようとする。


「悪いが。捕まる気はさらさらねぇよ」


秀介は再び、刀を向けられる事を予想した。

だが、飛んできたのは鬼子面だった。


忍びに転身って奴か。

実井の友に教わったのだろうか。


秀介は迫って来た鬼子面を叩いた。

その一瞬の隙をみる事もなく信二郎は空いた窓から逃げていく。


「待て!!」


庭先を見渡すがすでに信二郎の姿はない。


「くそっ!」


思わず飛び出した悪態と共に強い拳が上等な屋敷の壁に響く。

そして、高級な調度品が並ぶ部屋内に屋敷の中へと視線を戻した時、西洋椅子に腰かけ眠っている女性の姿を見つけた。


「そんな、まさか!!冬乃さん!!」


秀介はもう一人の友。幸せになるはずだった女性に駆け寄った。

青白いその顔に覇気はない。そして、その肩はとても冷たかった。

それだけで、秀介には十分だった。


最も残酷な現実が押し寄せてどうしようもなく崩れ落ちた。


「ああ、そんな…。どうしてだよ」


西洋ドレスがよく似合っている冬乃は返答を返してはくれない。

その膝にすり寄っても同様だ。


全部、俺のせいなのかと秀介は唇を噛みしめた。


「こんなのあんまりだ」


秀介は救いのない結末に悲鳴を上げたのであった。

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