第21話 古傷
頬にかすかな痛みが走り、秀介は無意識に指でぬぐえば、微量の血が流れている。
咄嗟に天を仰ぐと月が半分、暗闇に隠れていた。
なんだ?
目を細める秀介。
その影はだんだんと大きくなり、こちらに迫って来る。
「逃げろ!!」
その影の正体を確かめるまでもなく、実井の叫び声と同時に体を強く押し出された秀介。
次の瞬間、さっきまで立っていた場所に手裏剣が突き刺さっていた。
そこでようやく影の正体が人である事に気づく。
そして、無数に飛んでくるのはやはり、手裏剣だ。
まじかよ。
舌打ちと同時に秀介は地面を転がりながら、それらを何とか回避していく。
かたや、実井は懐に隠し持っていた忍び刀で手裏剣を叩いていく。
その手さばきは鮮やかそのものである。
くそっ!
サーベルはどこだ?
腰に刺さっていたはずの武器の感触がない事に今更ながら思い至る秀介。
手裏剣の攻撃を寸前の所で避けつつ、地面に転がっていたサーベルを掴み上げ、倒れた状態で襲い掛かる手裏剣を叩き落とした。
「何者だ?」
しばしの攻防の末、静かになる周囲。
「囲まれてるな」
サーベルを構えたまま、実井と背中を合わせる秀介。
無数の足音がこちらを窺うように近づいてくる。
「誰だ?」
「政府の子飼いどもだろうな」
どこか他人事のようにつぶやく実井。
そして、姿を現すのは六人の黒き装束を身に纏った連中。
その素顔も布に隠され、性別すら判別できない。
「なぜ?こいつらが?」
「そりゃあ、慟哭隊の頭だと思ってる俺を始末しに来たんじゃないか?」
「くそっ!持久にはしばし猶予を貰ったというのに」
「待久?」
「政府の子飼いの男だ」
「ふ~ん。そうなのか」
楽しそうに頬を綻ばせる実井。
この状況には不釣り合いなその表情に秀介は苛立ちを募らせる。
「なんだ。その顔は…」
「いやあ。もしかして、俺の事助けようとしてくれたのかと勘繰っただけだ」
「お前はいちいち、鼻につく物言いばかりだな」
「それはそっちだろ。真面目ぶってるくせに俺よりも好いた女の数が多そうだ」
「なぜ、お前の口からは女性がどうのこうのとかいう言葉しか出てこないんだ?忍びってみんなそうなのか?」
「忍びが吐く戯言を信じちゃいけねえよ」
確かにそのようだ。
待田がこの中に交じっているのかは不明だが、秀介に猶予を与える気など最初からなかったのだろう。だが、一つ確実に分かった事はある。
今度は秀介が悪だくみでもするように口を大きく広げて不気味に笑いだすのであった。
「認めたな。自分が忍びだと…」
「今更、隠したって意味はねえだろうが」
「そうだな」
黒装束の忍びの一人が操る鎖鎌が凄い速度で飛んでくる。その鎖は秀介のサーベルに巻き付き、その重みに耐えかねて、サーベルは地面につく。
その隙を突いて、別の忍びが秀介の首めがけて吹き矢を飛ばしてくる。
その向きを忍び刀で変える実井。後ろに回り込み吹き矢を持っていた忍びを斬り捨てた。
「お前は逃げろ。忍び同士のごたごたに巻き込まれるこったねえよ」
「うるせえっ!」
「忍び、忍びと言うが、お前は今もそうなのか?慟哭隊を率いてるのか?」
「だから、違うっつってんだろ?が!」
地面に落ちていた手裏剣を投げる実井。
「そうか。なら、いい。この不届きな連中の相手をするだけで済むからな」
鎖鎌が絡まるサーベルを手放した秀介。そのまま、鎖を握りしめ、思いっきり引っ張った。
そして、鎖鎌を忍びからふんだくる秀介。
めいっぱい、振り回して威嚇も試みた。
半ば、投げやりである。
「お前、御庭番衆入らねえか?」
「何を馬鹿言っている?俺は同心…じゃなかった。警官だぞ!!」
「冗談じゃねえか」
「こんな時、言う事か?さっさとこいつらをとっ捕まえて突き出してやる」
「警察にか?辞めとけよ。例え、出来たって数分もしないうちに跡形もなく消えるぜ」
「なら、全員斬り捨てるしかないのか?」
「一人二人はいけるだろうが、全員は難しいだろうな。こいつらは侍と違って、隠れるのが好きな奴らだ。いくら秀介が強くたって分が悪いだろう」
実井の言う通りだと思った。
さっきから、サーベルで相手をしているが、時々奴らの気配が一瞬消え、思ってもいない方向から攻撃が出てくる事がしばしあった。
真正面から戦う事に慣れている黒谷が順応するにはもうしばらくかかるだろう。
「どうしたらいい?」
「そうだな。おい。こっちにこい」
実井に促され、その横に立つ。足元には先ほど、斬られたばかりの忍びが転がっている。
すると、実井はその忍びの体を起こした。
「何をする気だ?」
不安な様子の秀介をよそに実井は意識のない忍びの懐に手を突っ込んだ。
「絶対持ってると思ったぜ」
次の瞬間、その場に大きな煙が立ち登った。
目がくらみ状況が分からぬ秀介。
実井に腕を引っ張られ、煙の中を走り抜けた。
「あれは煙玉か?」
「逃げるのも忍びの常套句だろう」
「そんなの知らねえよ」
息を切らせて、両ひざに手を付く秀介。
一体、どこまで走ったのかと不思議に思う。
煙がほとんどなくなり、辺りを見渡すと川のせせらぎが聞こえてきた。
自分が今、どこに立っているのか正確に把握できないが、神田川のどこかかもしれない。
「まけたか?」
荒い息を立てる秀介。
「おそらくな。悪かったな。巻き込んじまって」
「全くだ。いい加減説明してもらうぞ」
「何も知らないってのは、やっぱり駄目だよな」
「当然だ」
実井は諦めたように真面目な表情になった。
「俺は殺された奴らがなぜ死んだのか。その理由を知っている」
意を決したように実井は静かに言う。
「理由?内務卿の人違いじゃないって事か?」
「そうだ。大里という次官補補佐と代言人の男。あいつらは維新志士。そして…」
実井はすべてを語るには勇気がないと言うように自分の腕をさすり、蹲った。
「大丈夫か?おいっ!」
「ああ。ずっと、忘れたかったのに。なぜ、今更…」
いつもの軽薄な態度から想像出来ぬほど、弱々しく泣きじゃくる実井に黒谷は困惑した。
「彼らと何があったんだ?ゆっくりでいい。話してくれ」
黒谷は実井の背をさすろうとした。
だが、肩を震わせる同僚の様子に何かを感じ取り、手を引っ込める。
「俺達は十年前。京であいつらに合った」
「戊辰戦争の頃だな。それなら、俺もいた」
「なら、どこかで会ってたかもな。お前があいつらの餌食にならなくてよかったよ」
「どういう意味だ?」
実井は力なく息を吐き出したのであった。




