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明治警察物語~同心の息子は月欠ける空に手を伸ばす  作者: 兎緑夕季


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第20話 衝突

寄宿舎の廊下の床板が軋むと同時に鋭く尖った夜風が秀介の体を突き抜けて思わず身震いする。政府の子飼いとかいう得体の知れない持久に啖呵を切ったのは良いがこれからどうしたら良いものか分からなかった。悩みだけが頭の中を行ったり来たりするだけだ。

思えば、自分がなぜ実井の無実を証明しなければいけないのかとさえ思えてくる。

それ自体がそもそも間違いだったのではないかと不満だけが募っていくのだ。


「お~い。黒谷。お前もどうだ?」


物思いにふける中、背中にかかった重圧に思わず眉が上がる。


「山野。重い!!」

「悪い悪い」


締りの悪い笑みを浮かべる山野が突っ立っていた。


「まさか、お前酔ってるのか?」

「そんなわけないだろうが。ここは酒禁止だろう?」


その割にはいつもに増して陽気な山野を訝しげに眺めて見ても当の本人は気づきもしない。


「他の連中と花札やってんだ。混ざらないか?」

「花札?」


なぜ、急にと思った。

正直なところ、むさ苦しい奴らしかいない寄宿舎には華やかすぎる。

秀介は花札とはうら若き女性達が楽しむ遊びという印象しかない。


「ああ、その顔。知らないんだな。今は男も嗜む時代だぜ。入門書もほらこの通り」


鼻の穴を膨らませて知識を披露する山野に秀介は驚きのあまり口が大きく開いていく。

どう見ても流行には疎そうな男だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。

いや、山の民ゆえに見知らぬ文化への吸収率が高いのだろうか。

そう思っている時点で山野の事を小ばかにしているのに気づいて、秀介は考えるのを辞めた。


「なぜ、薩摩派の俺がお前達と花札なんぞやらにゃならんのだ」


一室から聞きなれた仲間の叫びが耳を通り抜けていく。


「えっ!杉山も誘ったのか?」

「ああ、近くにいたからな」


昼間も絡んでいただろ。お前!


という感想を秀介は抱いたが、口には出さなかった。

大雑把ではあるが、あくまで芦原を亡くして落ち込んでいる杉山を心配しての行動だろうから。


「お前ら、式典の警備で忙しいんじゃないのか?」

「当日はな。でも、今は待機だしよ。ちょっとぐらい羽目外したって罰は当たらねえよだろうよ」


なんとも豪快すぎる。

その大らかさに多少の嫉妬すら湧いてきそうになる。


「俺はやめておくよ。そういや、実井は戻ってるか?」

「いいや。また、芝口辺りで飲んでんじゃねえか?」

「またって?」

「あいつ、ここ最近、あの辺りで寝込んでるのよく見るぜ」

「初耳だ」

「あっ!これ言っちゃいけねえやつだった」


“まずった”っと言いたげに山野はふさふさの髪をかき乱す。


「他に知ってる事は?」

「ねえよ。実井の野郎は秘密主義だろ。本音は好いた女にしか話さねえんじゃねえか」

「だよな」


秀介も同意するように頷いた。

女性と言えば、実井の事を聞くにはやはり志穂を訪ねるべきだろうかと秀介は思った。


「なんだ?実井がどうした?お前ら、仲直りしたんだろ?」

「仲直りって。大人の対応をしてるだけだ。大体、おかしいのは向こうの方だ」

「まあ、そうだな。泥酔して道端に転がってるぐらいだからな」

「そんなに飲んでるのか?」

「酒に弱いんだったら飲まなきゃいいのによ。でも、不思議と庁舎が見えてくると酔いが覚めるから不思議な男だ」

「今日もその辺りにいると思うか?」

「まあな。あの感じじゃ女の所って言うより馴染みの煮売り屋に入り浸ってるんじゃねえか?」


秀介は山野の両肩を強く握りしめた。


「どうした?やっぱり、花札するか?」

「今度埋め合わせする」


素早く走り去っていく秀介。


「よく分からねえが、頑張ってこいよ」


残された山野はなんとなくその背中に手を振った。


レンガ造りの壁が目立つ銀座を抜け、秀介は芝口へと走り抜けていく。

この辺りは店屋が多く立ち並び、賑わっている。


「ここから、実井を見つけるのか」


山野にもっと情報を聞き出しておけばよかったと後先考えない自分に腹を立てた。

そもそも、今日もあの女ったらしが飲んでいるとは限らない。

女の所に行くと言っていたぐらいだ。


屋台や立ち飲み屋の中から実井がいないか確かめていると、煮魚の香りが鼻をかすめた。

振り返ってみるとそこには目当ての男がいた。


「お巡りさん。また来たんですかい?酒もそこそこにしとかないといくら何でも毒だぜ?」

「いいじゃないか。良い女よりおじさんの酒を飲みたくてやって来てるっていうのによ!」

「へいへい~」

「おっ!いらっしゃい。初めてですかい?」


秀介がその探し人たる実井の元に歩み寄っていくと気のよさそうな主が笑みを浮かべる。


「すまねえな。そこの男の回収に来た」


何十本と開いた酒瓶の傍で出来上がっている実井を一瞥した。


「あれ。黒谷君じゃないですか。どうしたんだい?」


まさに酔っぱらった口調で赤く頬を染めた実井は秀介をみやげた。


「帰るぞ!!」

「全部でいくらだ?」

「ああ、今日は付けで結構ですぜい」


実井に腕を回す秀介。


「ああ。そりゃあ、いけえね。ここにお代置いとくから。またな」


実井はおぼつかない手で金を主に手渡した。


「じゃあな」


秀介はその様子をしばし眺めつつ、主に頭を下げて実井を引きずって夜道を歩き始めた。


「良い夜だね。はははっ!」


上機嫌な実井。

秀介はしばし、沈黙しつつ屋台の明りが遠くになり、人の気配がまばらになったのを確認した。そして、突如として持っていた実井の腕を振り解いたのであった。


「痛てっ!ひでえな。黒谷君」


尻餅をつき、その場に寝そべる実井。

黒谷君だなんて、いかにも酔った男が言いそうな言葉だ。


「お前、酔ってないだろ」


射抜くような視線を実井に向けた。

それを焦点の合わない瞳で眺める実井。

だが、それはおのずとまっすぐな物へと変わっていく。


「どうして分かった?」

「山野が言ってたんだよ。どんなに酔ってても庁舎が見える頃には覚めてるってな。

あんなに飲んでてそんな事あり得るかよ」

「ああ、山野か。あいつ、単純馬鹿だと思ってたんだが、よく見てんだな」

「ふん。人の事あんまり見下さない方が良いぞ」


諦めたように大きなため息を付いた実井はお尻に付いた砂を払い落しながら立ち上がった。


「それで何の用だよ。さぼった事、今更叱りに来たのか?」

「それも良いが…。お前、政府の子飼いとかいうのに狙われてるぞ」

「まさか、黒谷からその名称が出てくるとは思わなかったな」

「その口ぶりからすると、知ってたのか?」

「まあな。今日はその話ばかりだ」

「はあ?」

「こっちの事情だ。気にするな」


まるで何事もなかったかのように歩き出す実井に苛立ちが募って来る。

思わず秀介はその襟元を掴み上げ、冷たいレンガの壁に打ち付けた。


「お前のせいで、俺も危ない橋を渡ってるんだ。事情は話してもらうぞ。御庭番衆!!」


秀介の問いかけに一瞬、実井の瞳が揺れた。

その素性まで知られていた事に驚いたのであろう。


「お前が慟哭隊を率いているのか?」

「また、その話をぶり返されるのかよ」


うんざりしたように実井は肩をすくめる。

だが、秀介には何のことだか分からない。


「どういうことだ?」

「ああ、もういい。お前はこれ以上関わるな」

「そうはいかない。関わっているというなら、お縄にして突き出してやる」

「どうして、そうなるんだ。少しは融通を効かせろよ!!」

「悪党にかける情けはねえよ!!」

「悪党ねえ!さすがは同心様の息子は言う事が違うね」

「どういう意味だ?」

「お前みたいな奴が嫌いって事だよ!!」」


声を荒げる実井。それに答えるように秀介の怒りも高まり、一食触発の空気が流れていく。


――ダンッ!


なんだ?

咄嗟に掴んでいた実井の胸元を放し、後ろに飛びのく秀介。


すべてを切り裂くような殺意が充満し、緊張感はさらに高まるのであった。

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