第19話 実井の心音
「昼間から女遊びをしろってか?まあ、俺としちゃ、願ったり叶ったりだがな」
「もう、勇ちゃん!」
このおかしな空気を何とか和ませるために軽口を叩いてみるが、妹に怒られるだけで終わってしまう。
「こら。志穂。お前はまだ…」
「いいんだよ。志穂は“勇ちゃん”呼びで」
苦言を呈する才三を制しすれば、なぜか含みのある笑みを返された。
「そうでありますな。若様も良い年頃だ。連れ合いに志穂は適任。いやあ、ますます、めでたい」
一人で答えを導き出し、満足する才三にとても腹が立ってくる。
御庭番衆の次期棟梁だと敬っているふりを見せて、己の思い通りに事を進めようとしてるのではと勘繰ってしまう。志穂だって迷惑だろう。折角、忍びという血生臭い世界から離れられたというのに。それこそ、己のような不甲斐ない男ではなく、黒谷のようにまっすぐな奴の方が似合いだ。正直、実井の知らぬ所で二人が仲良くなっていた事には驚いた。
だが、最も嬉しかったのは志穂が穏やかに笑っていた事だ。
実井や辰治以外の男の前ではあんな風に気を許しているのは久しく見ていない。
「とりあえず、中へ入りましょう。皆はすでに控えております」
才三に促され、金波亭の裏手へと足を踏み入れた。
それに続く志穂の腕を咄嗟に掴む。
「お前はもう帰れ。いくら才三が義兄にあたるからって付き合う必要はないだろう」
「放っておけって言うの?私は何とかやってるけれど、全員がそういうわけじゃない。今もあの時代に苦しんでる人だっているのよ」
「だが…」
これ以上、話は無用だと言いたげに志穂は才三の後についていく。
薄暗い金波亭の使用人通路をただ、静かに進んでいく。
「これは若様。ご無沙汰しております」
角を曲がった所で出くわしたのは30代半ばの女だ。
「……雪路殿」
「覚えてくださっていたとは光栄でございます」
その女もまた、かつて御庭番衆に属していた仲間であった。
「ここで何を?」
「金波亭の女将をさせていただいております」
緩やかに頭を下げる雪路。
その天井から賑やかな声が漏れてくる。
「申し訳ございません。うちの芸者の縁談が決まった物ですから。お祝いの宴の最中でして」
「それはおめでとうございます」
「ええ。それはもう。お相手はかなりの資産家でしてね」
世間話でもするように雪路は頬を綻ばせる。
こうしていれば、よくいる話好きな女性にしか見えない。
だが、雪路は凄腕のくノ一だ。
幕末の頃は何人も維新志士を人知れず始末してきたと言うのは有名な話だ。
「長話はその辺りにしておけ」
「はっ!申し訳ございません」
才三に叱責され、雪路は真面目な表情に瞬時に戻り、何の変哲もない壁板を叩いた。
すると、隠し扉であったのか、目の前に人一人が入れるほどの大きさの空間が現れる。
「ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
雪路に見送られ、数歩、石畳の通路を通り抜けていくと二つのろうそくに照らされた御堂に行き着いた。そこには十名ほどの男女が佇んでいる。年齢もかなり異なっていた。
だが、その顔には見覚えがある。
御庭番衆の仲間達だ。
「ここは?」
「かつて、キリシタン達が隠れて祈っていた地下空洞でございます」
「東京…いや、江戸にか?よく幕府に知られなかったな」
「江戸幕府の中にも隠れキリシタンはいたと言う事でございますよ。その話は結構。すべては過ぎた過去でございます。さあ、若様。前へ」
才三は実井を御堂中央へと導いた。
「今日は私の呼びかけに答えてくれて感謝する。ついに動く時が来たのだ。憎き新政府を潰し、江戸の世を復活させるのだ。大久保卿暗殺はその手始め。そう言う事でよろしいですな。棟梁」
才三は大げさに頭を垂れる。
実井はついには吐き気すらしそうになった。
祭り上げられるとはこういう事を言うのだろう。
そもそも、この一連の事件にはまるっきり関わってもいない。
ここに集まった人間達も才三と同じ気持ちだというのか。
本気で江戸の世に戻せると信じているのか。
薄暗い視界の中、顔ぶれをよく見た。
そして、気づいたのだ。
集っているのは皆、才三の手ほどきを受けた人間ばかりだと。
師匠の呼び出しを無視できなかったと言う所かもしれない。
その証拠に表情は硬い。
ならば、自分に出来る事は一つだ。
剣術も体術も人の輪に溶け込むのも同年代の中では何かも下手だった。
御庭番衆棟梁の器には程遠い。
きっと、この場に優秀な辰治がいたなら、別の道も見いだせるのかもしれない。
だが、あいつはいない。
すべてを終わらせる覚悟を決めるように実井は大きな息を吸い込んだ。
「まずは、懐かしい顔を見れて嬉しく思う。だが、聞いて欲しい。俺、いや、私は巷を騒がせている事件とは無関係だ。慟哭隊なる者達を率いた覚えもない」
「何を!この期に及んでまだ、認めてはくださらないのか?」
「大体、大久保卿は生きている。亡くなったのは次官補補佐だ」
「それは、人違い…」
「はあ…。甘く見られた物だな。仮にも先代から仕込まれた私がそんな失敗をすると思っているのか?」
才三は昔から父上に心酔していた。その名を出すだけでひるむほどに。
「それぞれ、別の道を進んでいるというのに迷惑をかけた」
実井が予想した通りに集まった者達が安堵の色を見せているのは視界が悪くても伝わってくる。誰も戦いなど望んではいないのだ。
多くの親族や友人達を戦で亡くしたのだから。
「才三もありもしない夢を見るのはよせ。世は変わったのだ」
「何を馬鹿な。政府の子飼いは貴方に目星をつけている。捕まりでもすれば、私達どころか彼らの身も危ないんですぞ」
「政府の子飼いとは誰の事を言ってる?」
「ふんっ!政府の犬に成り下がっておいてそんな事も知らぬのか?政府が飼っている忍び連中さ。奴らに後れをとって良いのか?我々の方が上だと示さずして生きながらえろと言うのか!!恥を知れ!」
才三は短刀を抜こうとする。だが、それを止めたのは集った同胞達だった。
「おやめください。勇大様の言う通りにございます。俺も庭師として生活を立て直したばかり。騒動に巻き込まれるのがごめんだ」
「このっ!軟弱者が!!お前達を心底見損なった。勝手にしろ!!」
勢いよく飛び出していく才三。
「……義兄様!!」
「志穂。やめておけ」
才三の後を追うのを辞める志穂。
「皆ももう帰れ。ここで会った事は内密にな。政府の子飼いどもには気を付けろ」
実井の言葉に促されて、仲間達は次々と御堂を後にする。
残されたのは実井と志穂だけだ。
「ごめんなさいね。こんな事に付き合わせて」
「いいさ。お前も大変だったな。だが、もうあの男に関わるのは寄せ。こう言っちゃ悪いとは思うが、あの人は過去から抜け出せていない」
「それは私達もでしょう?」
「そうだな。だが、志穂は違うだろ。ちゃんと幸せを見つけた。黒谷ならきっとお前を…」
「何の話?」
不満の色を隠さず、眉を顰める志穂。
その様子にしまったと実井は思った。
「ああ、いや…。その」
「私と黒谷様の事、監視していたの?」
「そうじゃない。たまたまって言うか。すまない」
物騒な事件が続いているからその身が心配だったとは言えなかった。
「だが、楽しそうだった」
「あの方は辰治君にどこか似てるから」
「そうか…」
「ええ。真面目で、少し抜けてる所がね。そう思わない?」
「どうだろうな。辰治は俺をよく褒めてくれたがあいつには怒られてばかりだからな」
「それは大体、勇ちゃんのせいでしょう?きっと…」
「そうだな」
静かでひんやりとした御堂が少しばかり温かくなった気がした。
「そろそろ出ましょう。いえ、勇ちゃんはここに隠れていた方が良いかもしれないわね。話が本当なら政府の子飼いどもが居場所を探しているはず」
「いや、俺は隠れるつもりはない。捕まった時はその時考えるさ」
そうは言っても、心臓は締め付けられ頭痛は酷くなっていた。
やはり、弱いな。
実井は己を呪いたくなった。
「なあ。志穂」
「何?」
「鬼子面。父上が作った物はほとんど紛失したんだ」
「そうなの。なら、どうして?勇ちゃん?」
押し黙る実井の様子に志穂はなぜか胸騒ぎが募っていく。
「あれは父上が作った物じゃない」
「えっ?才三様はあれが八定様の物だと思ったから、貴方が首謀者だと思ったんでしょう?じゃあ、たまたま?」
「いいや。あれは、俺が作ったんだ」
「なら、やっぱり、勇ちゃんがこの事件を?」
困惑する志穂。実井は力強く首を横に振った。
「違う。あれはまだ、江戸城にいた頃。父上を真似して作った物だ」
「本当に?」
「ああ、自分が作った物の区別ぐらいはつくさ」
吐き捨てるように実井は言った。
「それは今どこに?」
「辰治が面白がって持って行ったよ。十年以上も前の話だ」
「でも、それならおかしいわよ。だって、辰治君は…」
志穂はさらに不安な瞳を揺らす。
雄勝辰治。
実井達にとって、大切な友だった少年は幕末の戦場で若い命を散らしたのだから。




