第18話 御庭番衆
「お姉さん。俺と茶でもどうです?」
遊び人だと誰が見ても分かるような軽やかな足取りで実井は色鮮やかな着物に身を纏う女性に声をかける。
「あら、う~ん。どうしようかしら」
女性は満更でもなさそうに頬を染め、実井を値踏みする。
だから、実井も目の前の女性を射抜くような熱っぽい視線を向けた。
この顔は男前らしい。
ゆえに、少し微笑むだけで大抵の女性はうっとりと見惚れてくれるのだ。
この女性も後、数秒もすれば、頷いてくれるだろう。
「勇ちゃん。また、やってるの?」
振り返ると志穂が立っていた。
相変わらず、この“妹”は気配を隠すのが上手い。
どこからともなく現れた志穂に女は気分を害したように素早く立ち去っていく。
「ああ、邪魔してくれたな。良いところだったのに」
志穂は呆れたように一息入れた。
「馬鹿言わないで。どうせ、いつものように長続きしないくせに」
「今度は上手く行くかもしれなかっただろう」
「なら、せめて、一日は我慢すれば。目があった女性とお茶だけしてその後、連絡無しな男なんて最悪だわ」
「まあ、お前は俺みたいな相手は選ばねえだろう」
めんどくさそうに実井は髪をかき上げた。
「私の恋愛に首を突っ込んでくる所は相変わらずね」
「そりゃあ、兄としては心配だろう」
「兄ねえ。懐かしいわ。今でもそう言ってくれるの?」
「嫌だったか?」
「いいえ。嬉しいわ。一応、私の事、気にかけてくれてるって分かるから」
「なんだよ。俺を薄情者みたいに言うなよ」
「薄情でしょう?何度も訪ねているのに避けられてはね」
「だって、お前。父上を偲ぶ集まりに出ろだなんて言うから」
いつだって、威厳があり、強かった御庭番衆棟梁、実原八定は血の繋がった父だ。
そして、幼い頃の自分は実井ではなく実原性を名乗っていた。
だが、どう思いだそうとしても八定から肉親の情のような物をかけられた覚えはない。
次期棟梁として、恥ずかしくない男であれと何度も言われ、修行が思うように行かなければ引っぱたかれるのも日常茶飯事だった。
常につらかった。母上だって何も言わない。
ただ、父上の言う事を聞け。
それだけであった。
実井はずっと、辛かった。
唯一、心安らかにいられたのは同年代の辰治や志穂と遊んでいる時だけ。
彼らは実井を棟梁の息子ではなく、忍び仲間の勇大として扱ってくれたから。
しかし、それも迫って来る戦いの気配に長くは続かなかった。
「三周忌よ」
志穂は静かにつぶやいた。
それだけで、時は過ぎ去ったのだと思い知らされる。
厳しかった父上も母上も戦場で亡くなった。
彼らはどこまでも、忍び者として立派だった。
自分には到底無理な事だと実井は思う。
警官という名誉ある職に就いてなお、限界が近いと悟るほどにはこの心は疲弊している。
だが、それを認める事はどうしてもできずに、すべてを覆い隠すように昔馴染みの女に笑みを返した。
「看取ってくれたんだろう。ありがとう」
「他人事みたいに。結局、お葬式には来なかったじゃない。みんな、寂しがってたのよ」
実井は何かから逃れるように歩き出した。
その背中を志穂はしばし眺めていた。
「鬼子面…」
言うか迷いつつも、志穂ははっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
その威力に負けて、実井は無意識のうちに足を止める。
「内務卿を狙ったって言う暗殺。その傍にお面が落ちていたって聞いたわ」
「どうしてそれを?」
「新聞に出ていたの。あれって棟梁の?」
「お前はこの件に関わるな」
「関わるも何も。無関係ではいられないわ」
志穂は過去を映すような虚ろな瞳で実井を見上げる。
「この件に勇ちゃんは関わってる?」
「俺が?」
「だって、殺されたのは…」
「やめろ。それ以上は…」
縋るように実井は志穂の両手を握りしめた。
まるで赤子が母親に強請るように。
「ごめん。でも、あの面は親方様の形見のはず」
志穂がすべての言葉を紡ぐ前に別の気配が現れた事に実井達は気づいた。
「若様。ご立派になられまして」
五十そこそこの男は涙で濡れる眼鏡を袖でぬぶっていた。
「才三…」
「覚えておいでで。やはり、志穂に頼んで正解だった。さあ、参りましょう」
「おいっ!待てっ!」
軽やかな足取りで才三は実井の肩を抱きかかえ、歩き出す。
その強い力になすすべなく、連れていかれるしかない。
才三は御庭番衆棟梁たる父上の従弟に当たり、その側近として仕えてくれた腕のある忍びだ。
「おいっ!行くから。少し、落ち着け」
憤慨する実井の意見を無視して、才三は待機していた馬車に放り込む。
志穂もその後に静かに続けば、馬車は速度を上げて走り出した。
こっちはまだ職務中だと柄にもなく思った。
だが、その言葉は喉を通らなかった。
そもそも、さぼっていたのは己自身だ。
かどわかされたなどと黒谷辺りに知られれば、きっと呆れられる事だろう。
「どこに連れていくつもりだ?」
「隠れ家ですよ」
「隠れ家とは大それた物だな。今は不要であろう。お前だってただの商人…」
「へい。そうです。今は簪や櫛なんかを売りさばいております。全部、私の手作り。若様も好いた女子にいかがですかな?」
商人の顔した才三の洒落に付き合えるほど、実井は正常ではない。
「馬鹿はよせ。俺になんの用がある?若様と呼ばれたって、困るだけだ」
ただ、親が御庭番衆をまとめ上げていたと言うだけの理由で明治の世になっても担ぎ出されたくはない。
「酷い言い様だ。折角、命からがらお助けしに来たというのに」
「どういう意味だ?」
「政府の子飼いどもは慟哭隊なる不穏分子を操っていたのは勇大様。貴方だと突き止めている」
「はあ?」
一体、何の話だと実井は思った。
思わず、隣に座る志穂に視線を向けるが何の返事もしない。
仕方がない。志穂は才三の命令には絶対に従う。
なぜなら、彼女の亡くなった姉と才三は夫婦だったから。
「私は嬉しゅうございます。若様がやっと、忍びになられたのだと思うと…」
大げさに泣いて見せる才三に実井はさらに混乱する。
「ですが、今は時期がお悪い。どうか、ほとぼりが冷めるまで身を隠してくださいませ。好機の時はいずれ来ます」
「馬車を止めろ。話にならん!」
実井は馬車の壁を強く叩く。
「才三様。勇大様はこの件に関わっている事を否定されております」
助け船を出すように志穂は言う。
「うんうん。さすがでございます。例え、気を許した女であろうともそう簡単に真実を告げぬのは良い心がけでございます。それでこそ、御庭番衆の棟梁として相応しい」
この男、これ程に話が通じぬ相手であっただろうかと実井は気持ち悪くなってくる。
記憶の中ではもう少し茶目っ気のある気さくな人物だと思っていたのに。
「心配無用でございます。若様の意図はすでに分かっております。心意気ある士族を味方に付け、徳川の世を復活させるのも夢ではありますまい。その時こそ、新しい御庭番衆棟梁として若様、いえ、勇大様がお父上様の後を継ぐ瞬間となりましょう。実に楽しみな事だ」
才三の細い瞳は怪しく光っていた。
まるで獰猛な獣を飼いならすように。
この男も血に飢えているのだと実井は直感する。
平和な世となるべき、明治にはそぐわぬほど強い殺気を隠しきれていない。
「鬼子面。あれは、貴方のお父上様が丹精を込めて作った代物。それを宣戦布告の場に置いたのは洒落が効いておられる」
鬼子面。
御庭番衆とは心に鬼を飼い、幕府のためにその手を汚す名誉ある者達。
それが父上の口癖だった。
そして、その言葉を体現するように夜な夜な面を彫っていた。
恐ろしい形相の面達が出来上がる様は子供ながらに身が震えた。
しかし、そのほとんどは戦乱の中、炎の中に消えていった。
あれは確かに父上が作った鬼子面に似ている。
だが、実井は知っている。
あれが何を意味して置かれた物であるかと言う事を…。
「勇大様。付きましてございます」
馬車が止まり、扉が開いた。
実井の前に飛び込んできたのは豪華絢爛な西洋風の門構えを持つ待合茶屋、金波亭であった。




