第17話 裏切り者?
秀介は冬乃と別れ、庁舎へと歩みを進めていた。
彼女にもう会いに来るなと言われたというのには心は穏やかであった。
いや、そう思っているだけで実際は違うのかもしれない。
それでも、人々のざわめきが耳を通り過ぎてなお、何の感情も湧いては来ない。
ただ、いつ手渡せるのか分からぬ志穂への贈り物を握りしめていた。
そんな中、庁舎の庭先で多くの同僚達が整列を組んでいる所に出くわした。
おそらく、式典の警備の準備の一環だろう。
そして、そのすぐそばではサーベルを振るっている一団もいる。
「おい、山野。たるんでるぞ。これだから山育ちは…」
山野の喉元にサーベルを突き付ける杉山は相変わらず悪態をついている。
「隙アリ!」
杉山の持っているサーベルの先を素手で掴み、その手から引っこ抜く山野。
その怪力を目の当たりにして周囲からは感嘆の声が上がっている。
「それは無しだろ!ありえん!」
「戦いになったら、何でもありだろう?俺はこの腕で猪や狼と渡り合ってきたんだ。杉山のおっさんこそたるんでるんじゃねえか?」
「まだ、おっさんって歳じゃねえ!」
憤慨する杉山を見て、なぜか山野は笑っている。
「じゃあ、杉山の坊ちゃんはどうだ?」
「なぜ、そうなる?」
「だって、道楽息子だって聞いてんぞ」
「誰にだ?お前か?お前か?」
二人を見守るように輪になる同僚達は杉山の鋭い視線から逃れるように明後日の方向に体を向けていく。
「このっ!お前ら、薩摩派だろうが。山育ちに味方するなど言語道断だぞ!」
さらに怒り狂う杉山を落ち着かせるように山野はその肩に手を添える。
「無理言っちゃいけねえぜ。例え、同郷じゃねえ奴らでも同じ釜の飯を食べれば仲間ってもんだ。俺もそうやって、山賊どもと仲良くなってきた」
山野から飛び出してくる話はどれもこの国での出来事とは思えない。
杉山も考えるのを辞めたようである。
「はあ。お前とは話にならん。こんな時、芦水がいてくれたら…」
無意識のうちに口走った名に杉山自身が痛みを伴ったかのように押し黙る。
その姿に同僚達も口元を固く結び、帽子を深々と被り直すだけだ。
「心配するな。あの人みたいに強くはねえが、悩み事があったら、俺が聞いてやるから」
「なんで、お前と友人みたいな扱いをされにゃならんのだ。薩摩派でもないくせに」
杉山はまだ、芦水の死を引きずっている。
まだ、一か月も経っていないのだから当然だろう。
だが、よかったとも思った。
皮肉屋の杉山は他の連中に嫌われているのではと思っていたが、気遣ってくれる人間が傍にいるのだ。きっと、それは幸運な事だろうから。
「じゃあ、今度、一緒に狩りにでも行こうぜ。なんなら、黒谷と実井も誘うか。あいつらもここ最近、ぎくしゃくしてるからな」
己の名前が出た事に咄嗟に気づいた秀介は素直に迷惑だと思った。
そもそも、近代化が進む東京で狩りが出来る所などあるのかも疑問に感じる。
話を振られる前にあの山男な山野の視界から消えるように庁舎の裏手へと秀介は逃げ込んでいく。
「全く、山野の野郎は気が利くんだか悪いんだからよく分からん」
それでも、何かと人の懐に入り込むのが得意だった芦水と同様にあの男の周りにも笑いが増えていく。それだけは確かだろう。
きっと杉山の心も少しは癒されるかもしれない。秀介はそう思った。
「政府の子飼いが俺と取引か?」
一息つき、屋内に入ろうとした矢先、茂みの中から密談するような男の声が漏れてきた。
それは藤田の物だとすぐに気づく。
「そんなに嫌わないでくださいよ。“斎藤”さん」
話の相手たる持久の心が読めぬ言葉に藤田は明らかに不機嫌そうにサーベルの柄に指が降りていく。
「明治には不釣り合いな名で呼ぶとはいい度胸だな。斬り殺されたいか?」
「まさか。私は新選組の愛好家ですよ。むしろ、こうして話をしているだけで心躍っているというのに」
「いちいち、気持ち悪い奴だな。こんな所に呼び出しやがって」
「庁舎の中では話せないでしょう」
「ここも“庁舎の中”だが?」
「一室で話すよりはずっと、人の目を気にせずにいられるんじゃありません?」
「まあ、良い。それで要件はなんだ?」
楽しそうな持久に対して、藤田の眉間の皴が増えていく。
秀介は盗み聞きする形で庁舎の壁越しに身を隠しながら、固唾をのんだ。
そして、二人はやはり顔見知りだったかと思うのだ。
「一言、申し上げて置こうと思いましてね。実井勇大君。彼は私が頂きますよ」
静かに告げられた同僚の名に秀介は動揺して近くにあった石を踏みつけてしまう。
しまった。背筋に冷たいものが伝っていく。
「黒谷。出てこい」
藤田はため息をこぼし、こちらに視線を向ける事なく呼び付けた。
すでにここにいた事は見抜かれていたようだと肩をすぼめて、二人の元に歩み寄る。
「何が人の目を気にせずだ」
藤田の悪態に持久は笑みをこぼすだけである。
「いいじゃないですか。彼にも聞かせてあげれば。友人だと思っていた人間は間者だったとね」
「おいっ!まだ、そうと決まったわけでもあるまい。まさか、実井を捕まえて、拷問でもする気か?」
「必要ならば。藤田さんでよくやっていたでしょう。いや、今もですかね」
両者に殺伐とした空気感が立ち込め、秀介は自分は場違いなところに出くわしたと気分が悪くなってくる。これなら、山野に絡まれた方がよかったとさえ、思うほどに。
「実井が間者?何かの間違いでは?」
女性を追っかける事にしか興味のない男だ。
「慟哭隊。その男の一人の命を奪った物が何だったか覚えているかな」
持久はまるで、赤子にでも語りかけるように優しい口調で問いかけた。
それが酷く耳ざわりで腹の辺りがざわつく。
「クナイですか?」
「これだよ」
持久の手にはあの夜見た物と同じ形のクナイが握られていた。
「おいっ!それは重要証拠だぞ。持ち出したのか?」
「ご心配なく。これは私のなので」
何の不思議もないと言いたげな持久にどうにも状況が読み取れずにいる秀介。
「この男は古くから薩摩藩に仕えている忍びだ。その昔、新選組に忍び込んだ事があってな」
「えっ!」
これまた、世間話でもするように藤田は言った。
「あの時は楽しかったですね」
「ふん。裏切り者が何を言うか。土方さんがお前の正体に気づかなきゃ、どんな事になっていたか、想像するだけで吐き気がする」
「まあまあ、昔の話じゃないですか」
「今は政府の汚れ仕事を引き受けてる人間が何を言う。時代が変わったというのに、貧乏くじ引かされたな」
「得意な事を仕事にしてるだけですよ。今だって情報は重要でしょう。それに表向きは高官ですから。やりやすいですよ。大体の人間は頭を下げてきますからね」
忍びか。
その存在だけはなんとなく知っていたが、明治の世になってからも暗躍していたとは。
なら、反乱士族側に味方している忍びがいると言う事だろうか。
「黒谷君は分かったみたいだね」
「ですが、それと実井とどう関係が?」
「彼は私の同業だよ」
「そんな馬鹿な。だって、あいつは農民の出だと…」
「黒谷君は純粋だね。身分を偽るのは忍びの常套句だよ」
確かに実井の動きは農民にしては手際が良かった。
だが、忍びだって。なら、女好きも嘘なのだろうか。
「ふん。それをお前がなぜ知っている?」
聞き返したのは藤田だ。
「ああ、同業者ってどうしても分かってしまうんですよね。特に彼は先代にそっくりだからね」
「先代?」
「維新の敵。御庭番衆棟梁、実原八定殿にね」
――御庭番衆。
長らく徳川に仕えた忍び集団。
明治の世になり、彼らがどうなったのかはよく知られていない。
「たとえ、実井が御庭番衆であったとしても、それで間者というのは決めつけが過ぎるのでは。他に証拠でも?」
「それはこれから見つければいい話だ。それに御庭番衆の連中は反乱士族同様に居場所を奪われた存在だ。彼らに手を貸したっておかしくはない」
「なおさら、その仲間の命を奪うのは違うのでは」
「何か大きな企みがあるんじゃないかな。情報漏れを防ぐために仲間の命を取る事ぐらいよくある話だよ」
秀介は呆気に取られて、押し黙った。
「というわけで、藤田さん。邪魔しないでくださいね」
「俺に言わずに勝手に進めても良かったんだろう?何を企んでいる」
「だから、愛好家なんですってば…」
持久は不気味な笑みを浮かべて煙草に火をつけた。
「待ってください。あいつがたとえ、御庭番衆であったとしても、今は明治の世です。己の過去と決別して新しい人生を歩んでいるのかもしれない。証拠もないのに決めつけるのは見過ごせません」
「おおっ!仲間思いな若人だ。うんうん。いいねえ。だが、君に何が出来る?理想論だけでは国は回らないんだよ」
持久の瞳に殺気が立ち込めていく。
それは見えない糸でも張り巡らせたように秀介に向けられる。
「俺が確かめます。実井が間者かどうか」
「おいっ!」
藤田の制しを振り切り、持久の前に一歩出た。
「俺は警官です。もし、実井が反乱士族に通じているならこの手で斬ってやる。それで文句はないはずです」
秀介の決意に持久は満足したように頷いた。
その傍らで藤田が頭を抑えている事には気づかぬふりをするのであった。




