第16話 冬乃の幸せ
代言人の鈴木馨惨殺事件は大里卿を殺した慟哭隊の模倣犯の仕業だと警視庁は正式に発表した。そして、速やかな解決をうたい文句に述べ二十人ほどの警官が捜査に充てられる事になる。
「二十人って少なくないか?」
見回りをする秀介は何気なくつぶやいた。
「仕方ないじゃねえか。大事な催し物が近いんだから」
隣を歩く実井の言う通り、ほとんどの警官は記念式典の警備に持って行かれている。
杉山も山野もその中に含まれているため、忙しそうだ。
秀介はその警備の中に組み込まれず、代言人殺しの担当にさせられたが、何の不満もない。
人一人殺されて、犯人が野放しと言うのはあってはならない。
例え、手がかりが少なくとも、鈴木と親交があった人物達を訪ねるのも必要な手順のはずだ。
だが、その相棒となるべき男がなぜ実井なんだ。
「あっ!美人発見」
この瞬間にもすれ違った華やかな装いの女性の後ろ姿に鼻の下を伸ばしている実井に呆れるしかできない。
「お前な。いい加減にしろよ。志穂さんという方がありながら…」
秀介は咄嗟に彼女の名を口にして、しまったと思った。
だが、すでに言葉になったものを取り消す事は出来ない。
恐る恐る実井の反応を探るように視線を合わせる。
「そういや、あいつと仲良くなったみたいだな」
予想に反して、実井は嬉しそうであった。
兄妹みたいなものだと言っていたのは本当なのかもしれない。
「志穂さんから聞いたのか?じゃあ、ちゃんと会ったんだな」
何度も訪ねてきていたんだ。
これで会わずに放置していたとしたら、他人事ではあるが怒り倒す所だった。
「うん?まあ、そうだな。えっと、黒谷様は我慢強い方だと笑っていたぞ」
「それは褒められてるのか?」
痛む傷に耐えていた事を言っているんだろうか。
だが、擦り傷なんて日常茶飯事だ。いちいち、気にしていたら一日が終わるだろうに。
「ああ、褒めてるぞ。それにしても、まさかお前らがくっ付くとはな」
「くっつくだと!下品な表現はよせ。それは志穂さんにも悪いだろうが!」
面白そうに秀介の肩を抱いてくる実井。
その動きは劇がかっている。
「お前と俺が家族になる日は近いって喜んでるんだろう」
「なぜ、お前と家族になるって事になるんだ?」
「だって、志穂は妹みたいなもんだからな。兄ちゃん嬉しくって…」
秀介は呆れつつ、肩に添える実井の指を叩いた。
「痛いっ!ひどいな。それともあれか?贔屓にしている芸者の方が良いってか?」
「はあ?」
冬乃の事を言っているなら、的外れも良いところだと秀介は思う。
「まあ、男なら女は多ければ多い方が良いって気持ちは分かるぞ」
「俺、何も言ってないだろ」
「皆まで言うな」
実井は秀介の言葉を遮り、手で待ったをかける。
「志穂を幸せにしてくれるなら他に女がいてもゆる……ぐっ!殴るなよ!」
聞くに堪えず、実井の後頭部を引っぱたいた。
正直、自分の手のひらも痛いため、やらなきゃよかったと秀介は思った。
「彼女には傷の手当をしてもらっただけだ。あんまり、揶揄いが強いともう一発、お見舞いしてやるぞ。さっきのよりも強烈なのをな」
「それは、勘弁だな。じゃあ、俺、今から女の所に行くから後よろしく」
「何を考えている!!まだ昼間だぞ。そもそも、報告はどうする?」
「適当にやってくれよ。俺は腹下して厠に籠ってるとかなんとか。もう、聞きまわる所はないんだろ?」
朝から鈴木の依頼者を回ってきたが、返ってくる言葉はどれも褒めたたえる物ばかりで、犯人に繋がる情報は何もない。
“惜しい人を亡くした”
誰もが口をそろえて、その死を嘆き悲しんでいる事だけが秀介の心を揺さぶる。
そして、すでに人込みの中に消えていった実井に腹を立てるのだ。
「あいつは絶対、警官に向いてない」
思わず舌打ちが出る中、様々な屋台の一団が飛び込んできた。
何かの祭だろうか。
きな臭い事件も頻発していると言うのに呑気なものだ。
いや、こんな時だからこそかもしれない。
秀介は行きかう人々を嗅ぎ分けて、進む中、並べられた色とりどりの簪や櫛が目に留まる。
そう言えば、志穂へのお礼を考えなくてはならないなと思い至る。
「おっ!旦那。女性への贈り物ですかい?」
「ああ、いや…。そうだな」
屋台の主に目を付けられて、内心、めんどくさいという感想が広がっていく。
だが、牡丹の花が目に入り、思わず小さな声が漏れた。
彼女は牡丹が好きなのだろうか。
その美しい髪に刺さった白い牡丹の簪が頭をよぎった。
しかし、並ぶ簪の牡丹は赤だ。
「そちらをお求めですかい?」
「ああ、はい。じゃあ…」
満面の笑みの屋台の主に見送られ、秀介は赤く色づく牡丹の花の櫛を手の中で転がした。
衝動的に買ってしまったが櫛をお礼の品にするには重すぎるのではと後悔し始める。
悶々とする中、前方から歩いてくるのは冬乃だ。
なぜか、秀介が立ち止まるとゆっくりとその視線は合わさっていく。
彼女もしばし、足を止め、そして、秀介が握る簪を眺めた。
「女性への贈り物?」
「あっ…いや。その…ええ。まあ…」
なぜか、しどろもどろになる秀介。
冬乃とも恋仲でもなんでもないと言うのに浮気を目撃されたような感覚に陥る。
「そう。秀介さんもそういう年頃なのね」
どこか寂しそうにつぶやく冬乃。
「あの、冬乃さん?」
「ねえ。ちょっと、付き合って…」
「えっ!」
だが、すぐに無邪気に微笑んだ冬乃は秀介の腕に手をまわし、甘味処の旗が揺れる屋台の前に連れていく。
「かりんとうをくださいな。秀介様も食べるでしょう?」
「えっ…ええ。まあ」
いつも見せる態度とは異なり、無邪気な冬乃の態度にただただ、困惑する秀介。
こうして、お座敷以外で会話をするのは初めてなため、なぜか緊張してしまう。
だが、流されるわけにもいかない。
「あの、冬乃さん。申し訳ないのですが、俺はまだ職務中でして…」
野外に設置された長椅子に腰かけた冬乃は食べようとしたかりんとうを袋に戻した。
「ごめんなさい。迷惑をかけるつもりはなかったのよ」
「冬乃さん?あの、どうされたんです?」
こうして、俺を連れまわす事なんてなかったのにと秀介は不思議に思う。
「……私、結婚するの」
「えっ?」
冬乃は少しの間をおいてから、秀介から顔を背けて静かに語り始めた。
「大富豪の湯沢高生様をご存じかしら?」
「もちろん…」
今度、開かれる式典の主賓の名をここでも聞く事になるとは。
「あの方の後妻にと望まれているのよ」
「そうですか」
秀介の中に得体の知れない感情が蠢いていく。
それは寂しさとも悲しさとも親愛の情とも付かぬ物だ。
「お受けするんですか?」
「ええ。そのつもりよ。だから、もう、お座敷には来ないで」
それは冬乃からの拒絶のように感じる。
「もしかして、迷惑でしたか?」
「冷たい事言うのね」
「すみません」
冬乃の表情は見えない。
「私は幸せになるの。だから、秀介さんも私にかまけてないでその櫛の女性とお幸せになって頂戴」
「彼女はそういうのでは…」
なぜか、秀介の声はか細く小さくなっていく。
「秀ノ介さん!」
冬乃の掛け声とともに秀介の口の中には甘いかりんとうが広がっていく。
彼女に放り込まれたのだ。
そして、目の前にある冬乃の表情はかつて、信二郎と共に遊んでいた頃の幼い少女の姿と重なっていく。
「冬乃…ちゃん」
思わず、秀介はかつて呼んでいた名をつぶやいた。
「すみません」
冬乃は秀介の謝罪に優しく微笑み、そして距離を取りながら、口にかりんとうを放り込む。
「信二郎の事は貴方のせいではないわ。だから、私を気にかけなくてもいいの。もう、過去に縛られる必要はないんだから」
「そうですね。でも、俺は…」
何を言いたいのか秀介自身もよく分からなかった。
だが、今、渡すのが一番良い時だとは思う。
「これを…。ずっと、返したいと思っていたんです。でも、どう切り出したらいいか迷ってたんです」
秀介は信二郎の匂い袋を冬乃の手に握らせた。
「ずっと、持っててくれたの?ありがとう」
冬乃は匂い袋を愛おしそうにされど、寂しそうに握りしめた。
だが、すぐにその匂い袋を秀介に返す。
「持っていて。私にはもう不要な物だから」
静かに告げた冬乃は意を決したように強い瞳で秀介を射抜いた。
「じゃあ、さようなら。黒谷様。御達者で」
賑わう人々行きかう中でも冬乃の言葉ははっきりと聞こえてくる。
そして、去っていく彼女の後ろ姿を見えなくなっても追っていた。
さようならの言葉を心の中でつぶやきながら。
なぜか、目頭が熱いのに気づかぬふりをして、庁舎に戻るのだ。




