第14話 二人目の被害者
翌日早朝。
寄宿舎に鳴り響いたのは、事件の発生を知らせるベルの音であった。
「なっ…なんだ?」
まどろむ秀介の横で素早く起き上がったのは同僚の山野十次郎である。
年齢は二十三。大柄な体格で毎朝、筋肉を育てるために腹筋を欠かさない真面目な男だ。
「痛てっ!」
「おい。山野。また俺の所まで侵入してるぞ」
秀介の布団を押しつぶすように投げ出された大きくて毛深い足を蹴飛ばした。
「ああ、悪い!」
全く悪びれる様子のない山野は大きな欠伸を隠しもせずに披露する。
この光景もいつもの事だ。
そして、ようやく意識がはっきりとしてきた事で、腕の痛みが消えているのに気づいた。
志穂に塗ってもらった薬が効いてきたのだろう。
彼女は気にしなくていいと言っていたが、やはり、何かお礼をした方が良いだろう。
だが、近頃の流行りには疎い。
「ああ、それにしてもよく眠れなかったのに西洋ベルかなんかで起こされるとか最悪だな」
大きな声で悪態をつく山野に思わず呆れた。
少なくとも、志穂へのお礼の品の助言はこの男には求めない。それだけは確実だ。
「良く言うぜ。地響きを起こすぐらい巨大いびきをかいて寝ている男がよ」
「そんなにうるさくないだろ?」
「いや、すげえ~うるさいから」
他の同室連中が耳を塞いで布団に潜り込む光景ももはや見慣れている。
それでも、山野に強い文句を言えないのは威圧感が凄まじいからだ。
要はみんな怖いのである。
だが、嫌味も苦言を言われても一時間もすれば、すっかり忘れている事が多い山野に最近ではただの馬鹿なのではと秀介や他の同僚達は思い始めてもいる。
「山の民にとっては東京はうるさいんじゃないか」
「まあ、そうだな。でも、慣れた」
山野は東北の山を渡り歩いて猪や鳥を狩って売り買いしていた一族の出らしい。
よくも悪くも大雑把な山野の性格はきっと、雄大な山々によって育まれた稀有な物なのだろう。
「どうして、降りてきたんだ?」
「ああ、住んでた土地を追われちまってよ。近代化するために必要なんだと」
新政府が各地にある土地を二束三文で買い占めているというのは本当だったかと思った。
出なければ、急速な西洋化は難しい。
「つらくはないのか?故郷を離れる羽目になって」
「仕方ねえよ。おらはまだいい方だ。こうして、職に付けてるからな。言葉を覚えるのに苦労してる連中はしんどいだろうな。まあ、しいて文句を言うなら、サーベルじゃなくてこん棒を握らせてくれって事ぐらいだ」
どこか他人事のように語る山野との会話は寝起きにするには少々、胃もたれもする。
だが、見聞を広めるには役に立つ。
きっと、江戸の世であったなら、山で生きていた山野とこうして交流を持つ事は出来なかっただろうから。それは、杉山や農民の出だと吹聴する実井も同様だ。
身分という概念を越えて、警視庁には様々な人間が寄せ集められている。
そこだけは新しい世が来たと思わせてくれる。
だからと言って、いびきに悩まされるのは別問題だ。
秀介は山野との軽口を嗜みつつ、美しい手さばきで布団を片付けていく。
その間もベルは鳴り響いていた。
無数の足音が廊下を慌ただしく行きかっている。
秀介はもたついている山野を追い抜いて、その足音の中に加わろうとした。
「うわっ!」
隣の一室から飛び出してきた実井とぶつかりそうになり、声が漏れた。
「お前。戻ってたのか?いつ?」
いつもは整っている髪は寝ぐせで飛び跳ね、青白い顔の実井に不満よりも先に心配が襲って来る。
「大丈夫か?」
「ああ…。昨日、激しくてさ」
女の話だと直感して、呆れと怒りが交互にこみあげてくる。
「ああ、酒くせえ。これ、咎められるんじゃねえ?」
犬が飼い主の匂いを嗅ぐように山野は実井の首や背中を嗅いでいた。
「匂うか?そんなに飲んでねえんだけどな。山野はいける口だっけ?」
髪をかき乱しながら、実井は山野に問いかける。
「おうっ!飲むぞ。今度、一緒にどうだ?」
「俺は女性と飲む方が好きだからな」
「さすが、色男。なら、黒谷はどうだ?」
並んで靴を履きながら、山野は秀介に言う。
「ああ、駄目ですよ。こいつも先約があるんでね」
変わりに答えたのは実井だ。
「何の話だ!」
また、冬乃さんとの事を揶揄うつもりかと秀介は身構えた。
「なんだよ。街の連中はつめてえな。仲間と飲む日があったっていいじゃねえか」
「そうだよ。実井も余計な事言うなよな」
「俺はお前の事を思ってだな」
いつものように軽薄な雰囲気に戻る実井の膝を小突いて、寄宿舎を飛び出した。
「お先に!」
「ずりぃっ!」
悪戯っぽく笑う秀介に実井は不満を漏らす。
志穂さんという女性がいながら、別の女に現を抜かし、遊び惚けていた罰だ。
秀介はそう思いつつ、朝日を全身に浴びる。
つい昨日、死闘を繰り広げ、仲間を目の前で殺されたわりには涼やかな朝だ。
山野への軽口も実井との小競り合いもなぜか、昔通っていた寺子屋の一幕を演じている気さえしてくる。そう思い至って、考え直した。
あの時は信二郎と冬乃がいた。
山野と実井とでは何もかもが違う。
なぜなら、今、追い抜いていった二人は友ではないのだから。
そして、自分は無邪気な子供ではなく警官なのだと緩みきった心に喝を入れる。
だから、詳しい状況も知らされぬままに神田に赴く頃には妙な童心は引っ込んでくれていた。
「公式の発表では政府高官暗殺事件は収束したんですよね。これはどういう事です?」
旧武家屋敷が多く残る神田の辺りは普段はもっと静かなはずだ。
だが、今は東京中の新聞記者が集まって来てるのかと言いたげにうるさくて仕方がない。
人の数だけで言えば、大里卿が暗殺された時よりも多い。
ざっと数えただけで百人は超えている。
その中でひときわ、大きな声を上げるのは聡次郎だ。
「慟哭隊は思っている以上に大きいんじゃないですか?また、戦になるんでしょうか?答えてくださいよ」
江戸の頃、誰の持ち主だったか分からない旧武家屋敷に入っていく警官達に聡次郎は手を伸ばす。そして、その視線は実井の後に続く実井へと向けられて、意味深な笑みを浮かべる。
かたや、秀介はめんどくさい奴に見つかったと頭を抱えたくなったのであった。
「山野。瓦版…じゃなかった新聞記者どもの対応を頼む」
「ああ、良いぜ」
山野は大きな体を生かすように両手を大きく広げ、聡次郎とその周囲にある人々を後ろに下がらせていく。
純粋な奴がいると非常に助かると秀介は自分が思っていた以上に腹黒くなっているのに気づき少々胸を痛めるのであった。
とはいえ、それも一瞬ですぐに忘れてしまう。
なぜなら、一足早く、現場に来ていた男に意識が持って行かれたからだ。
しゃがみ込む藤田と話し込む政府の役人、持久は用が済んだとばかりに立ち上がり、秀介に手を振って来た。まるで、仲の良い友人にするように。
「どうも…」
本音の分からぬ笑みと得体の知れない瞳に不気味さを感じつつ、秀介は頭を下げた。
颯爽と旧武家屋敷を出ていく持久の気配がなくなったのを確認して、藤田に駆け寄った。
その傍らで死体となっていたのは大里卿と同年代の紳士。
その光景は大里卿殺しの現場とよく似ている。
「慟哭隊の仕業ですか?」
記者たちが騒いでいたのはこのためか。
事態は収束したと発表した直後にこれでは誰も納得しない。
だから、待てば良い物を…。
「模倣の可能性は?」
静かに問いかける実井の声は小さい。
「模倣か。なら、そうとうに情報を持ってる奴だな」
藤田は実井の質問を否定するように絶命してる紳士の傍らに落ちていたお面を拾い上げた。
「大里卿暗殺の現場に落ちていたお面と一緒だ。これはどう見ても同じ人間が作ってる。実井。そう思わないか?」
実井の何かを探るように藤田は語りかける。
なぜか、秀介はその空気感に入れない。
「あの、この方がどなたかなのかはもう分かってるんでしょうか?」
そんな妙な感覚から逃れるように秀介は言葉を絞り出すのであった。




