第13話 甘い香り
「実井に会いに?」
秀介は声をかけたのは良いが、どう会話を続けて良いのか迷い、とりあえず笑みを浮かべる。
「ええ。おられますか?」
「いやあ。どうだろう」
無意味に探すふりをするが、この間に実井が帰っているという事実はない。
「いないみたいですね」
「そうですか。最近どうです?実井様は上手くやっていますか?」
さすがに殴られましたとは言えない。
「ええ。俺の目には上手くやっているように見えましたが…。本心まではちょっと」
「そうですよね。ごめんなさい。ここ数日、会えていないので心配で」
「じゃあ、川辺で一緒だった時が最後…」
「えっ!」
「いえ、何でもないです」
逢瀬を盗み見していたなんて、知られたら気持ち悪がられてしまう。
言動には気を付けなくてはと思う秀介。
「何か心配事がおありで?」
「いいえ。大した事では…。えっと、度々失礼いたしました」
寂しそうに肩をすぼめて、立ち去ろうとする志穂。
「待ってください!」
「夜も更けてきました。送りますよ。以前よりは落ち着いたとはいえ、女性一人で歩くには夜は危険ですので」
「ふふふっ!お優しいんですのね」
「えっと。邪心はありませんので。ご安心を。お家にはお邪魔いたしませんので。あくまで警官としてですね」
「分かってます」
やはり、面白そうに笑みを浮かべる志穂。
遠くで同僚達の話声が聞こえて、背筋が伸びた。
こんなところを見られたら、揶揄われるのは目に見えている。
「では、行きましょうか。こっちですか」
「ええ~」
秀介と志穂は並んで東京の街を歩いていく。
「住まいはこの近くで?」
「ええ。歩ける距離です」
生暖かい風が二人の体をかすめていく。
そして、流れる沈黙。
志穂との会話が続かずに秀介は唯々困惑していた。
今さらながら、送ると言った事を後悔し始めていた。
それもこれも、どこかで油を売ってる実井のせいだ。
「あの、実井とは長いんですか?」
回らない頭でひねり出した問いは結局当たり障りのない物である。
「そうですね。同じ村の出身なので生まれた時からでしょうか」
実井の野郎。
身近に慕ってくれる人間がいるのに色んな女にちょっかいかけてやがるのかと秀介の中で怒りが込み上がって来る。
羨ましい!!じゃなくて、許せんなと素直な感想が口をついて出そうになり何とか押しとどめた。
「なら、あいつの事よく知ってるんですね。昔からあんな感じで?」
「あんな感じと言うと?」
「えっと。人付き合いが上手いというんですかね。それとも行動的か。すみません。こっちから話を振りましたが実井の事を説明できるほど俺は詳しくないみたいです」
「どうして、黒谷様が謝るんです?」
「なんとなく…」
自分でも何を言いたいのか分からず手持ち無沙汰なのを装って己の頭を触ってやり過ごした。
「志穂さんから見た実井はどんな感じなんです?」
「う~ん。そうですね。悩み症かしら」
「悩み症?実井が?」
驚いて思わず声を上げてしまい、秀介はしまったと思った。
「すみません。あいつがですか。なんだか、想像できないな」
女の後ろ姿ばかり追いかけている所しか見た事がない。
いや、刀の腕が立つのは認めるが…。
「あの、実井は農民の出だって聞いたんですが、生まれはどこで…」
「ここです」
「えっ!」
「私の住まい」
志穂が入ろうとする長屋の佇まいは母、なつの住処とよく似ている。
「では、俺はこれで…」
「待って」
志穂は秀介の手首を握りしめた。
「怪我、痛むんじゃありません?」
その視線が昨日、斬られた腕に向けられていく。
「大丈夫ですよ。ちょっと刀が掠っただけですので」
「もうっ!どうして、男の方ってみんな、傷を甘く見るのかしら。どうぞ。手当しますから」
「そんなお手間は…」
「ご安心ください。これでも薬の知識はあるんです。勇ちゃん…実井様の大切な友人をこのまま返したら、我が家の恥です」
言い過ぎではと思った。
それに勇ちゃん呼びも気になる。
それだけで、二人の仲の良さが伝わってくる。
「では、お言葉に甘えて」
長屋に足を踏み入れた秀介の鼻を駆け抜けていくのは様々な薬草の香りだ。
「独特ですね」
「すみません。匂いがきつくて」
「いいえ。薬師なんですか?」
「そんな大層な物では。ですが、まあ、父の代までは似たような事はしておりました」
「ご家族はご健在で?」
「いいえ。父も母も先の戦で…」
「すみません。余計な事を」
「気になさらないでください。幸い、親戚は生きておりますから。なんとか手を取り合ってやっています」
「ご苦労されたんですね」
「まさか。このご時世。何の傷も負わず、生きてる方なんていませんわ。それに幸福なことに私には一族が受け継いだ知識がある。これのおかげで女の身ではありますが、なんとかやってますよ」
明るく振舞っているが、きっと、想像も出来ぬほどの苦難を乗り越えてきたのだろう。
もしかしたら、実井も。
ああやって軽薄を装っているのもそうしなければ、痛みに引きずり込まれるからかもしれない。表面的にしか実井を見ていなかった事に気づき、自分もまだまだだと秀介は思った。
そして、この間に、傷が隠された腕の包帯を解いていく志穂。
「やっぱり、膿んで来てる。もうっ!ちゃんと、医師には見せたんですか?」
母親に叱られた子供のように視線を逸らす秀介。
「いや。でも、幕末の頃はこれぐらいの傷。ごまんと…」
負った傷は数日も経てば痛みも消えている事もほとんどであるのだから。
今回もそうだと確信しての発言だったが、志穂の咎めるような瞳にこれ以上言い返せない。
「すみません」
「謝ってばかりですのね。待ってください。今、薬を塗りますから」
志穂は壁沿いに置かれた小さな引き出しから簡素な薬箱を取り出した。
「少し痛みますけど、我慢してください」
志穂は黒っぽい粘り気のある塗り薬を患部にこすりつけていく。
言われた通り、鈍い痛みが全身を駆け巡り秀介の表情は歪んでいく。
漂う独特な香りも相まって、今まで味わった事のない感覚が押し寄せて来て、気分が高揚していく。冬乃と会話している時だってこんな事はないというのに。
慣れない場で緊張しているのかもしれない。
「死闘を繰り広げられたのですか?」
志穂はぽつりと言った。
「そうですね。でも、俺は運が良かった。仲間が一人死にまして」
「お気の毒に」
「違うんですよ。俺は何も感じなかったんです。あいつの死を間近で見ても。酷い奴でしょう?」
志乃は変わらぬ表情で包帯を巻いていく。
「黒谷様がお優しいからですよ。だから、辛さに鈍感になってしまったんですわ。きっと…。悲惨な物ばかり見ると、おかしくなってしまうものです」
「志穂さん?貴方もそうした経験が…」
思わず問いかけた秀介の質問に志穂は答えず、包帯を強く結んだ。
だから、秀介もそれ以上、聞かなかった。
「ありがとうございます。でも、こんな所を実井に見られたらあらぬ誤解を受けそうですね」
似合わず軽口を叩いてみる。それでも、心を浸食していくおかしな感覚は拭い去れない。
「誤解?」
「だって、その…実井とは良い仲なのでしょう?」
恐る恐る問いかけてみると不思議そうな志穂の瞳とぶつかった。
「ふふ。まさか。私達は昔馴染みと言うだけです」
「でも、向こうがどう思っているかは…」
女好きであろうとも、志穂と一緒にいるときの実井の表情は柔らかかった。
きっと大切に想っているはずだ。
「それもないですわね。私達は言わば、同志でしょうか」
「同志?」
「ええ。黒谷様は男女の友情はあり得ると思いますか?」
「随分と難しい話ですね」
「ごめんなさい。会ったばかりなのに」
「気にしないでください。そうですね。あると思いますよ」
「本当に?私に気を使ってくださっての言葉ではありませんか?」
「いいえ。実を言うと俺にはそういう人がいるので」
「まあ!!」
新しい包帯を秀介の腕に巻き付けていく志穂の手が止まる。
「彼女とは血のつながりはありませんが、姉のように思ってるんです。その仲を実井には揶揄われましたが、けして男女の仲ではないです。そういう関係で一括りにされるのがなんだか癪で…」
「その手の物はその方から?」
無意識に手の中に握りしめていた匂い袋に視線を落とした。
「ええ。でも、俺に渡された物ではありません」
「そうですか。なら、私から黒谷様に差し上げても?」
「そんな悪いですよ」
「私がそうしたいんですわ」
志穂は素早く乾燥した薬草類を小袋に入れて、黒谷に握らせた。
「いい香りですね」
「薄荷を混ぜた物です。お気に召して頂けて嬉しいですわ」
巻かれた包帯の下で塗り薬が脈打つのを感じる。
そして、寄り添う志穂の姿はこのわずかな時間の中でさらに色めいて映るのはなぜか。
心なしか彼女の瞳はうるんでもいて、心がざわつく。
これ以上いては本当にまずい気がした。
「では、そろそろ失礼します」
秀介は己の中に芽生えた邪心を弾くように勢いよく立ち上がった。
「あっ!お気をつけて」
「はい。ありがとうございます。このお礼はいずれ…」
「深く考えないでください。あの…」
ゆったり秀介の傍に近づいてくる志穂。
「秀介様とお呼びしても?ごめんなさい。ご迷惑でしたよね」
「いえ。良いです。秀介で…」
「はい!」
すでに夜は更けていた。
幸いにも先ほど湧き上がった邪心は引っ込み、穏やかな空気に包まれていく。
秀介は久しぶりに穏やかな心持ちの中、東京の街に消えていく。
その後ろ姿をひっそりと監視するように探し人、実井がいた事にも気づかずに…。




