第12話 心ここにあらず
「杉山。よくやってくれた」
庁舎の一室で無表情の杉山をねぎらうのは桑原権少警部だ。
秀介もいるというのに、この上司は分かりやすく“新政府軍贔屓”をやってのける。
反乱士族と呼ばれる連中の多くが“新政府側”で戦った人間だというのに。
とにかく、居心地が悪い。
報告の場をすっぽかした藤田を見習えばいいと思ってしまうほどには秀介の虫の居所はあまりよくなかった。
「いやあ。よかったよ。思ったより早く事件が解決してくれて」
「待ってください。まだ、解決は…」
桑原権少警部に反論するのはもちろん杉山だ。
そうとも、何の解決にも至ってはいない。
内務卿補佐役殺しの犯人達との激闘から一日。
奴らの一人は出どころ不明のクナイによって絶命したのだ。
まるで口封じでもするかのように。
あれは忍びがよく使う武器だ。
だが、今は明治。
奴らも侍と同様に用済みのはず。
だが、そこで秀介は首を傾げた。
諸藩が潰され、雇ってくれる者がいなくなった今、忍び達はどうやって生きているのかと言う事を…。
多くの者達がそうであるように別の道を模索しているのだろうか。
もしくは反乱士族達のように現状を不満に思い、手を貸しているとしたら。
様々な憶測が秀介の頭の中を駆け巡っていく。
それでも決定打はない。
とにかく、何も分かっていないのだ。
慟哭隊の規模もその目的もすべてが霧の中である。
「芦水の事は気の毒だった。だが、名誉ある死だ」
桑原権少警部のどこか他人行儀な言葉に杉山は見た事もない形相で拳を振り上げようとしていた。それを諭すように秀介は杉山の肩を叩く。
この男は皮肉屋だ。
だが、仲間の芦水の死を誰よりも悲しんでいる。
その心に傷を塗りたくっていい人間なんていないはずだ。
「慟哭隊なる不穏分子どもは東京警視庁が速やかに鎮圧した。それで充分だ。何より、今は大事な時期。人々に不安を煽る必要もあるまい」
「大事な時期?」
思わず、つぶやいた秀介に満面の笑みを返す桑原権少警部。
「無事に明治九年を迎えられたお祝いにと湯沢卿が主催する式典の事だ。政府を始め、各業界の大物が集まる。不安要素はないに限るのだよ」
「それは、湯沢帝国汽船の社長のですか」
「よく知ってるな。君、名前はなんだったか」
「黒谷秀介です」
部下の名前ぐらい覚えといてくれよと思った。
よく顔合わせてるいるのだから。
「うんうん。世情を見聞きするのは重要な事だ。名前を覚えておくよ」
最も身近にいる上司に顔を覚えられたというのになぜだかいら立ちの方が募って来る。
この間も杉山は黙って立ったままだ。
「実を言うと私も式典には呼ばれているのだよ。湯沢卿とは幕末を共に生き抜いた仲なものだからね」
明治に変わってすぐの頃に彗星のごとく現れ船舶業で財を成した湯沢高生の出自はあまりよく知られていない。だが、桑原権少警部の口ぶりからするに湯沢卿も新政府側の人間だと過程すると一代で成功したのも頷ける。
政府の保護の元、事業を起こし成功している人間はごまんといるのだから。
「話は終わりましたよね。これで失礼いたします」
出世欲を隠しもしない桑原権少警部に雑に敬礼した杉山は早々にその場を後にする。
「俺も失礼いたします」
秀介はその後を必死に追いかける。
「杉山さん!」
「くそっ!俺が油断しなければこんな事には!!」
壁に拳をぶつける杉山。
「お前だって、俺のせいだって思ってるんだろ?」
「何も言ってないですよ!!八つ当たりはやめてください」
そう言えば、いつもの杉山ならこちらに悪態をついてくると思った。
だが、何も返してこず、唇を震わせるだけだ。
「折角、生き延びたってのによ。なんで、あいつが死ななきゃならねえんだよ」
それなら、警官にならなきゃよかったのにと思った。
そんな感想が過ぎったが絶対に音にするつもりはない。
それは芦水の人生を否定するも同じだから。
そして、芦水の死を悲しむ杉山はよくも悪くも素直な人間なのだと思うのだ。
少なくとも秀介が出会って者はみんな、感情を隠したがる。
己自身もそうであると分かっている。芦水もきっと後者であっただろう。
だからこそ、杉山を可愛がったのかもしれない。己と真逆だから。
「何が名誉ある死だ。ふざけるなよ!!権少警部も冷たい野郎だ。あんな奴だとは思わなかった」
むしろ、どんな期待をしていたというのか。
ああいう人間は下の者を将棋の駒ぐらいにしか思っていないだろうに。
こう言う所は坊ちゃん気質なのかもしれない。
「だが、皆が皆ってわけでもないみたいですよ」
秀介の視線の先には亡くなった芦水の私物が持ち出されている最中だった。
おそらく、親族に返すのだろう。
その間、壁越しに並ぶ同僚達が黙祷を捧げていた。
「芦水さん。人望ありましたからね」
「ああ、そうだな。悪い。一人にしてくれ」
覇気もなく、立ち去っていく杉山にこれ以上、声はかけられない。
秀介は杉山に背を向け、芦水の私物に黙祷を捧げるのであった。
この瞬間にも腕の痛みは強くなっていく。
手当はしたんだがな。
「おい!」
いつの間にか後ろに立っている藤田に驚いた。
気配を隠して忍び寄るのはやめて欲しいと胸を落ち着かせる。
「どうしました?」
「疲れている所悪いな。実井は今日も来てないか?」
「ああ、見てないです」
「そうか」
このまま、辞めるという可能性も出てくる。
警官の入れ代わりはよくも悪くも多いと秀介は思っていた。
実井みたいな軽い性格の人間なら、他でもやっていけるだろう。
奴に殴られた頬もなぜか妙にざわつき、嫌な気分にさせられる。
そして、どこか含みのある表情で思案を巡らせる藤田の様子も不可思議だ。
「藤田さん?」
「いや。何でもない。悪かったな」
「いえ…」
その発言に違和感を感じつつも、秀介は仕事に戻っていく。
仲間の死からそれほど時間も経っていないというの無慈悲に過去になりつつある。
秀介はすべてを忘れるように庁舎の外に出て、風に当たる。
月はさらに欠け、暗闇が広がっていた。
庁舎近くに設けられている寄宿舎には多くの若い警官や独り身の人間が寝泊まりしている。
そのほとんどが相部屋で、秀介が使っているのは十畳ほどの広さの和室を八人が分け合っていた。ちなみに秀介が個人的に使えるのは一畳半ぐらいだ。
ようは狭いのだ。ほとんど寝るだけにしか使用していない。
ゆえに私物もほとんど無いに等しいのである。
ちなみに実井が使っているのは隣の和室だ。
その隔たりのように設けられている障子を何気なく見つめ、意を決したように立ち上がった。実井に殴られた頬をさすりながら…。
同じような作りの一室を見渡すが、実井の姿はない。
「なあ。実井を見たか?」
「さあ?ここ数日見てないな」
実井と同室の警官が通り過ぎたため、聞いてみるが首を横に振られる。
「それって問題あるんじゃ?」
同室の誰かがやらかしたら、他も連帯責任という話は警官になった時に先輩達に聞かされた。
「うん?でも、上が何も言ってないんなら、問題ないんじゃねえか?」
関心がなさそうに立ち去っていく同僚。
確かにそうかもしれない。
入ったばかりの警官は寄宿舎を利用する事が推奨されているが、絶対ではない。
金のある連中は通える距離に家を構えている。
要は邏卒から警官という呼び名に変わってから自由に使える時間が増えたのだ。
出なければ、秀介だって頻繁に母の様子を確かめに行けない。
実井も頻繁に女と遊べないだろう。もしかしたら、今もお楽しみ中かもしれない。
そう思ったら、心配しているのがおかしく思えてきた。
「考えるのは止めだ止め」
髪を掻きむしりながら、自分の部屋に戻ろうとすると敷地外を行ったり来たりする簪が目に留まった。
「あれは牡丹…」
その揺れる牡丹の簪の持ち主に思い至り、黒谷は速足で駆け寄った。
「志穂さん?」
呼び止めるその声に志穂は振り返る。
「黒谷様?」
雲に隠れていた月が姿を現し、志穂の艶やかな黒髪を照らす。
その潤んだ瞳に秀介を映し、穏やかに微笑むのだ。




