碧藍の救済1-2
――訓練場。ライトは、黙々と動き続けていた。上から振り下ろされる木柱を避け、地面から突き出す棘を踏まぬように跳び、不意に飛んでくる手裏剣を弾き返す。一瞬の油断も許されない。呼吸は荒く、額から汗が滴る。そのとき、脳裏に蘇る声。――「それはつまり、あなたはまだ忍者として未熟だってこと!!」ライトは歯を食いしばる。「……違う」「俺は……」「俺は、立派な忍者になる」木柱をかわし、着地と同時に次の攻撃へ備える。何度倒れても、立ち上がる。その姿を―― 訓練場の端、壁にもたれながら腕を組み、チーランが静かに見つめていた。その表情は、厳しくもあり、どこか複雑でもあった。チーランの脳裏に、朝の師匠の言葉がよみがえる。――「あいつは、少し衝動的なところもある」――「だが、お前たちと同じだ。守りたいものを、本気で守ろうとしている」――「ライトは、お前たちとは違う」――「外で修行もしていない。聖剣も、自ら探しに行ったわけではない」――「幼い頃、元素の力も完全には目覚めていなかった」――「お前たちは、すでに覚醒していた。だが、あいつだけは……」そこで言葉は途切れていた。(……それでも、あいつは掴んだ)(自分のやり方で……)訓練を続けるライトの背中を見つめながら、チーランは小さく息を吐く。そして―― 「ライト!」訓練場に、その声が響いた。「おい、小僧」チーランが声をかける。「訓練はいいけど、自分の腹と戦う必要はないでしょ?ほら、朝ごはん」「……あ、はい」ライトは座るや否や、勢いよく食べ始めた。「ちょ、ちょっと!そんなに急がなくても――」「大丈夫!ただ、めちゃくちゃ腹減ってただけだから!」「だからって、そんなにかき込まないの(かきこまないの)」チーランは呆れながらも、少しだけ笑う。そして、ふいに口を開いた。「……私ね。小さい頃、すごく負けず嫌いだったの」ライトは顔を上げる。「え?」「何でも一番じゃないと気が済まなくて。負けるのが嫌で、意地を張ってばかりだった」「そのせいで……孤立した」箸を置き、静かに続ける。「だから、最後は―― 兄の友達と遊ぶしかなかった」「……兄?」ライトは目を瞬かせる。「うん。炎の忍者」「……覚えてない?」「え?いや……」ライトは首を傾げる。「……全然、覚えてない」チーランの目が、わずかに揺れた。「……そう」小さく息を吐く。「……なんでもない」「……女の子でも、周りが男ばかりだと性格は変わるのよ」チーランは少し照れくさそうに続けた。「私は、昔から兄たちと一緒にいたから…… 自然と自立心が強くなった」「自分にも厳しいし、人にもつい厳しくなる」「でもね、別に意地悪なわけじゃないの。細かいことを根に持つ(ねにもつ)タイプでもない」一度、ライトを真っ直ぐに見る。「昨日言ったこと…… もしかしたら、傷つけたかもしれない」「考え直して……ちゃんと謝ろうと思った」「ごめん」ライトは慌てて手を振る。「あ、いや、全然!気にしてないって!」チーランは苦笑する。「でも、私…… 時々、怒りを抑えられないことがあるから」「そこは、勘弁して」ライトは天を仰ぐ。「……うう…… 忍者って、こんなに大変なのか……」「それは私のせいじゃないでしょ」そのとき、ポケットの中で振動が響いた。「……あ、スマホだ」画面を見る。「ジェンシャン?」通話ボタンを押す。「もしもし?」「ライト、まずい!」ジェンシャンの声が、受話器越しに震えている。「どうした?」「テレビをつけろ。今すぐだ!」「……分かった」通話を切り、ライトとチーランは急いで居間へ向かう。テレビをつけた瞬間―― 画面に映ったのは、現場に立つジェンシャンだった。『皆さん、こちらは現場です。市内に突如、異常な速度で移動する人物が出現しました』『その人物が通過した地点には、地面に亀裂が走り、建物にも損傷が確認されています』『現在、確認されている犠牲者は――三十九名』ライトの目が見開かれる。「……三十九……?」ジェンシャンは続ける。『今から、その“速度”をお見せします』カメラが、ある方向へと向けられる。次の瞬間―― 画面を横切る、閃光のような影。それは一瞬だった。だが、確かに“何か”が通り過ぎた。空気が裂ける音だけが、遅れて届く。チーランが小さく呟く。「……速すぎる」『映像で確認できたか分かりませんが…… 市民の皆さんは、直ちに安全な場所へ避難してください』『忍者が、まもなく対応するはずです。引き続き、状況をお伝えします』テレビの音声が途切れる。チーランが低く呟いた。「……疾影の元素」「は?疾影?」「超高速で移動し、一瞬で敵を刺し貫く―― 最も厄介な元素の一つよ」ライトは拳を握る。「……でも、捕まえないと」「正面からぶつかるのは無理。まずは動きを止める策を考えないと」「……よし、中央広場だ」二人はすぐに市の中心へ向かう。瓦礫の跡。裂けた地面。まだ揺れる空気。「……どこだ?」「近くにいるはず」そのとき―― 「ははははは……」背後から、甲高い笑い声。「……!ライト、後ろ!」振り向いた瞬間、そこに立っていたのは―― 小さな少年。息を荒げながらも、口元には歪んだ笑み。ライトは思わず目を疑う。「……え?」「なんで……子どもなんだ……?」「お前……!」ライトは前に出る。「やるなら俺に来い!子どもを利用するなんて卑怯だろ!」少年の中から、低い声が響く。「利用?違うな。これは“合意”だ」「彼が望んだ。私は、少し手を貸しただけだ」少年――アーカンが叫ぶ。「俺が頼んだんだ!」「大人はいつも俺たちを縛る!どれだけ頑張っても、満足しない!」「だったら―― この社会に復讐してやる!」「大人たちにも、俺の痛みを味わわせてやるんだ!」疾影の声が囁く。「続けるか、アーカン」「……ああ。消えろ!!」「待て!」ライトは手を伸ばす。「絶対に、何か誤解がある!落ち着け!」チーランが横に立つ。「ライト、今は止めるのが先よ。これ以上、被害を出させない」「……できる?」ライトは深く息を吸う。「……ああ。やる」チーランは一歩前へ出る。「お願い、波浪イルカ(はろうイルカ)!」水が渦を巻き、イルカの形を取る。ライトは、柄に手をかけた。「――抜剣!」「疾影の元素―― 俺たちが相手だ!」ライトが剣を構える。「ははは!追いついてから言えよ!」閃光のように姿が消える。「――源力•オーブ!」ライトが放つが、空を切る。「当たらないよ!」「ライト、後ろ!!」チーランの叫び。ライトは咄嗟にしゃがみ、背後からの一撃をかわす。だが次の瞬間、さらに速い衝撃が襲う。「くっ……!」剣で受け止めるしかない。そのとき――ぽつり。雨粒が落ちた。次第に強くなり、空は瞬く間に黒雲に覆われる。「ちっ、足元が滑るな……」疾影は舌打ちする。だが、自分の不利にはまだ気づいていない。その間に―― チーランは静かに水へと同化していた。雨に紛れ、地面を伝い、ゆっくりと疾影へ近づく。そして―― 「捕まえた!!」水が一斉に鎖へと変化し、疾影の体を絡め取る。「ライト、今よ!」「――源力五連撃!(げんりょくごれんげき)」連続の光が叩き込まれる。「くそっ……!」疾影は咆哮し、鎖を引きちぎる。「俺を捕まえられると思うな!」高速で体当たりを繰り返す。「ぐあっ!」ライトが吹き飛ばされる。「ははは!その程度で俺を止められるか!」「どうした、緑の忍者!もう終わりか?」「……くっ」激しい攻防の最中―― 遠くから、必死な声が響く。「アーカン!!」一人の女性が、命知らずに戦場へ駆け込んでくる。「アーカン!!やめなさい!!」その声に、少年の体がわずかに揺れた。チーランは慌てて女性のもとへ駆け寄る。「ここは危険です!早く離れてください!」だが、女性は首を振る。「離れられません!」「どうして!?」「……私の息子が、ここにいるんです」「え?」チーランは周囲を見渡す。瓦礫と雨だけ。子どもの姿など見えない。「そんなはずは…… この辺りにはもう誰も――」女性は震える声で言った。「ニュースで、見ました。あの子が……映っていたんです」その言葉に、チーランの視線が戦場へ向く。――一方。「どうした、緑の忍者!」疾影が挑発する。「逃げてばかりか?倒すんじゃなかったのか!」ライトは必死に攻撃を受け流す。剣で弾き、跳び、転がり、距離を取る。(速い……)(でも、必ず隙はあるはずだ)視線は相手の足元、呼吸、癖を追う。「くそ…… 隙が見えない……!」そのとき―― 雨に濡れた地面で、疾影の足が、わずかに滑った。ほんの一瞬。だが―― ライトの目が鋭く光る。(今だ……!)「――今だ!X源力斬!!」ライトが剣を振り下ろした、その瞬間―― 「……お兄ちゃん、僕を斬るの?」声が変わった。目の前の表情も、一瞬で、怯えた子どものものへと戻る。「……っ!?」ライトの動きが止まる。次の瞬間―― 口元が、歪んだ。「はは……やっぱり甘いな、小さな緑の忍者」強烈な蹴りが、ライトを吹き飛ばす。「ぐあっ!」建物の壁に叩きつけられ、凹みが走る。「降参しろ。今なら命だけは助けてやる」疾影は壁の方を見やる。だが―― そこに、ライトの姿はない。「……?」「俺は、簡単に諦めない!」声が背後から響く。振り向くより早く、疾影は気配を察知し、即座に横へ跳ぶ。だが―― ライトは、もう気づいていた。(速さに頼りすぎている)(動き出しの瞬間、ほんのわずかに“溜め”がある)その一瞬を狙う。雨が強まる。地面は滑る。呼吸を整え、剣を握り直す。(これで終わらせる……!)ライトが踏み込む。その刹那―― 世界が、わずかに歪んだ。「お兄ちゃん!」その声に、ライトの剣は止まった。刃先は、アーカンの胸元まであと一メートル。だが――振り下ろせない。その隙を、疾影は逃さなかった。「ははは!甘いな!」鋭い一撃が、ライトへ迫る。「……っ!」だが次の瞬間。疾影の体に降り注いでいた雨粒が、一斉に絡み合い―― 水の縄となって締め上げる。「なっ……!?動けない……!」疾影はもがく。水はさらに変形し、球体となって彼を包み込む。チーランが叫ぶ。「ライト、今よ!撤退する!」「撤退!?どうしてだ!」「このまま戦っても終わらない!」「方法は見つけた。でも準備が必要なの」「今は引くしかない!」ライトは歯を食いしばる。「……あいつを放っておくのか?」「水の泡が、しばらくは拘束する。完全じゃないけど、時間は稼げる」「だから、急ぐの!」ライトは拳を握り、水泡の中でもがくアーカンを見つめる。「……次に会ったら、絶対に止める」そう言い残し、二人は雨の中、姿を消した。チーランとライトは、市民避難所へと駆け込んだ。そこには、先ほどの女性がいた。だが彼女は落ち着かず、何度も同じ名前を口にしている。「アーカン…… アーカンはどこ……」ライトが小声で尋ねる。「……あの人は?」チーランは答える。「アーカンの母親よ」「えっ…… じゃあ、あの子が……アーカン……?」ライトは女性の前に立った。「あなたの息子が、今どうなっているか知っていますか?」女性は首を振る。「……何があったんですか?あの子に何をしたんですか?」ライトは言葉を詰まらせる。「彼は……」チーランが一歩前に出る。「最近、アーカンと口論しましたか?」女性は視線を逸らす。「……ずっと、そうです」「具体的に、何があったんですか?」問い詰めるチーラン。女性は少し苛立ったように言った。「数日前、成績表が返ってきました。悪くはなかったけど…… もっと上を目指せるはずなんです」「努力が足りないだけです」「なのに、口答えをして…… 部屋に閉じこもってしまった」「私が何を言っても、聞こうとしない」「それなのに、あの子は被害者みたいな顔をして……」避難所の空気が、重く沈んだ。「……何点だったんですか?」ライトが静かに尋ねる。「点数は知りません。でも……二位でした」チーランの目が細くなる。「二位が、悪いんですか?」女性は言い返す。「だって、あと少しで一位なんですよ?それなのに――」「授業をちゃんと聞いているのか、疑問です」その言葉に、チーランの声が鋭くなる。「二位で満足できないなんて…… 欲張りすぎじゃないですか?」「中には、二位を取れたら泣いて喜ぶ子だっているんです」女性は顔を赤くする。「私が悪いって言うの!?」チーランは一歩近づいた。「今の子どもが抱えるプレッシャー、分かっていますか?」「常に比較されて、常に期待されて、常に“もっと上”を求められる」「それがどれだけ心を追い詰めるか」ライトも静かに続ける。「追い詰められたら…… 心が壊れることもある」「精神を病むこともあるし、反抗することでしか自分を守れなくなることもある」避難所の空気が、さらに重くなる。女性は言葉を失った。「……私……」女性は言葉を失う。チーランは静かに告げた。「アーカンは……ある元素と契約しました」「その元素は彼を唆し(そそのかし)、自分の身体を“器”として差し出させた」ライトが続ける。「彼はあなたに、そしてこの社会に復讐するために―― その契約を受け入れた」「その元素は狡猾で、残酷です」「このままだと…… あなたの息子の身体を永遠に奪うかもしれない」「最悪の場合、アーカンは戻ってこない」「……アーカン……」女性の目から涙が溢れる。「……助ける方法は、ありますか?」チーランは頷いた。「一つだけ、可能性があります」「あなたの“愛”で、彼を呼び戻すこと」ライトは優しく言う。「彼は怒りに目を曇らされているだけです」「本心では……あなたを傷つけたいわけじゃない」「あなたは、彼の母親なんです」女性は震えながら呟く。「……本当に、許してくれるでしょうか」「今、あの子がどこにいるのかも分からないのに…… どうやって説得すれば……」涙が止まらない。「夫はもういない…… これ以上、アーカンまで失ったら…… 私は……」「……何だって?アーカンのお父さんは、もういないのか……?」ライトは息を呑む。女性は涙を拭いながら言った。「全部……私のせいなんです」「夫が病気で亡くなってから、家計はすべて私一人で背負うことになりました」「でも私は……若い頃、勉強を怠けて…… 良い仕事にも就けなかった」「だから、アーカンにも苦労させてしまった」声が震える。「同じ道を歩ませたくなくて…… 私の願いを、全部あの子に押し付けて……」「いつも他の子と比べて……」「……最低な母親です」チーランはまっすぐに言った。「本当に変わりたいなら、今すぐ息子を呼び戻すんです」女性は強く頷く。「……はい」その様子を見ながら、ライトが小声で尋ねる。「チーラン…… どうして最初から、原因が親子の争いだって分かったんだ?」チーランは静かに答える。「……覚えてる?」「疾影になる前、アーカンが言った言葉」




