第二章:世界の始まり1-1
少女は、まるで何事もなかったかのように道場へ現れた。突然の登場に、ライトは思わず身を引く。「……き、君……どうしてここに?」だが、それ以上に目を奪われたのは―― 少女の背後にいる“イルカ”だった。「な、なにあれ!?」慌てて尋ねるライトに、少女は淡々と答える。「これは“波浪イルカ”(はろうイルカ)。私の水の核心から生み出した存在よ」「……あ、なるほど……」ようやく状況を飲み込んだ、そのとき。ライトがなかなか戻らないことを不審に思い、師匠とジェンシャンが外へ出てきた。次の瞬間―― 少女は嬉しそうに師匠へ抱きついた。「師匠!お会いできて、本当に嬉しいです!」事情が分からず、ライトとジェンシャンはただ立ち尽くす。やがてジェンシャンが冗談めかして言った。「……まさか、師匠に娘さんがいたなんて」師匠は軽く咳払いをし、皆を中へ招き入れる。「中に入りなさい。……それと、自己紹介を」少女は一歩前へ出る。「私はチーラン。水の忍者です。後ろにいるのは“波浪イルカ”。水の核心から幻化した存在です」師匠が尋ねる。「……お前の兄は?」「まだ戻っていないようです。少し用事があって……でも、すぐに帰ってくると思います。修行の道は、人それぞれですから」首を傾げるライト。「……師匠。どうして彼女も元素の力を?それに、その忍装束は……」師匠は静かに答えた。「彼女も元素継承者だ。ただし――元素の覚醒時期は人によって異なる」「彼女は早くに力を悟り、自らを鍛えるため、外へ修行に出た」「元素は、やがて彼女を聖剣へと導く」ライトは思わず声を上げる。「……元素継承者って、何なんですか?」師匠は、ゆっくりとライトを見つめた。「……一つ、話をしよう」そして語り始める。「遥か昔―― 世界を創造した一振りの聖剣があった」「その名は――奇跡の剣」「奇跡の剣が大地へと突き立てられたとき、剣は砕け散り、二十一の聖剣へと分かれた」「その二十一の聖剣は、当時この世界に存在していた二十一の元素を象徴している」「空を司るもの。大地を司るもの。海を司るもの――」師匠は、わずかに息を止めた。「そして、その時代に生きていた一人の人間がいた。名は――アダム」その名を口にした瞬間、師匠の視線が遠くへと向く。まるで、何かを思い出すかのように。「……それから?」ライトが静かに促す。師匠は我に返り、話を続けた。「アダムは、この世界で最初の人類だった」「創造されたばかりの世界を眺めながら、彼の好奇心は、抑えきれぬほどに膨らんでいた」「そして――」「彼は、一本の巨大な樹の下で、二十一人の赤子を見つけたのだ」アダムが近づこうとした、その瞬間―― 巨大な影が、二十一人の赤子の前に立ちはだかった。それは、あまりにも巨大な龍だった。「……お前は、誰だ?」低く響く声に、アダムは思わず後ずさる。龍を見たこともなければ、ましてや言葉を話す存在など、想像したこともなかった。「ぼ、僕はアダム……人間です。
さっき、光がこちらを指し示しているのを見て…… 何があるのか気になったんです」「それで……この樹の下に来たら、たくさんの赤ん坊がいて…… 何が起きているのか、確かめたくて」龍は、しばし沈黙したあと、ゆっくりと言った。「……これが、人間の言葉か。正しいかどうかは分からぬが……」「私は始祖龍。元素の剣を守護する存在だ」「お前は、本来ここへ来るべきではなかった」アダムは、恐る恐る問いかける。「……その子たちは、いったい……?」始祖龍の瞳が、赤子たちへと向けられる。「彼らは―― この世界を変えうる“核心”だ」「極めて重要であり、同時に……極めて危険な存在」「私の使命は、彼らが成長するまで守ること」「だが――」「育てることまでは、私の役目ではない」「……私が、彼らを育てます」アダムは、真っ直ぐにそう言った。始祖龍は低く唸る。「お前に、何ができる。自分のことすら分からぬ存在ではないか」アダムは、少しも怯まずに答える。「その通りです。僕は今、この瞬間に生まれた。何も知らないし、何もできないかもしれない」「でも――だからこそ、全部が新しい。子どもを育てたことはない。でも、やったことがないからって、できないと決めつけるのは違うと思うんです」「任せてください。きっと、できます」始祖龍は、長い尾をゆっくりと揺らした。「……どうして信じられる?」アダムは、静かに笑う。「もし僕が彼らを傷つけようとしたら……あなたが止めるでしょう?」「あなたがいる限り、僕はそんなこと、できません」沈黙が落ちる。やがて、アダムはそっと言った。「……少し、近づいてもいいですか?」始祖龍は、わずかに身を引き、道を開けた。アダムは、樹の下へと歩み寄る。二十一人の赤子を見下ろした瞬間―― その目が変わった。恐れでも、好奇心でもない。そこにあったのは、ただ、温かい光。「……この子たちが……」胸の奥に、芽生える感情。(……見届けたい)(……この子たちが、どんな未来を歩むのか)始祖龍は、しばらく黙ってその様子を見つめていた。やがて―― 重く、ゆっくりと口を開く。「……分かった。この子たちは、お前に託そう」始祖龍の言葉に、アダムは深く息を吸い込み、頷いた。「約束します。彼らが二十一歳になるまで、静かに、見守り、育てます」「その時が来たら―― 彼らを独り立ちさせる。そこから先の生死は、彼ら自身の選択に委ねます」始祖龍は、静かに告げる。「覚えておけ。彼らは“永遠”だ」「だが、それは傷を負わぬ永遠ではない。時の流れにおいて老いぬというだけだ」「殺されれば、死ぬ。あるいは、吸収されれば―― その存在は消える」アダムは、しばし言葉を失った。「……そうか……」「急に、とても重いものを背負った気がします」始祖龍は、淡々と続ける。「無理に決断せずともよい。人間は、今まさに生まれたばかりの種族だ」「すべてが始まったばかり。最初から、完璧である必要はない」「気が変わったのなら、今からでも断れる」アダムは、龍を見上げた。「……あなたは?」始祖龍は、ゆっくりと目を閉じる。「私は――」「彼らが歩けるようになるまで、あるいは自立するまで、見守る」「その後は…… 消えるだろう」「それが、私の使命。そして――私の自由だ」アダムは、強く拳を握りしめた。「……僕は、まだこの瞬間に生まれたばかりです」「世界には、知らないことが山ほどある。学びたいことも、探したいことも、たくさんある」一瞬、視線が揺れる。だが――その瞳は、やがて鋭く光を帯びた。「だからこそ――」「この子たちを育てます。あなたが去る、その日まで」「約束します。必ず、やり遂げます」始祖龍は、その小さな人間を見下ろした。あまりにも、儚い(はかない)存在。だが、その内に宿る決意は、決して小さくない。(……人間、か……)龍は、ゆっくりと息を吐いた。「……ならば、試してみるがよい」世界は、まだ始まったばかりだった。日々は流れ、一年、また一年と歳月が重なっていった。二十一人の赤子は、やがて少年少女へと成長する。それぞれが、異なる心を持ち、異なる思考を持ち、異なる感情を抱くようになった。その姿を、始祖龍は静かに見守っていた。アダムもまた、自分の知るすべてを彼らに伝えた。世界のこと。空の色。風の匂い。大地の温もり。夜になると、アダムは物語を語った。時には、胸が躍るような冒険譚。時には、少し退屈な教訓話。それでも、子どもたちは最後まで耳を傾ける。その声を、その温もりを、その時間を――大切にしながら。やがて、彼らはアダムをこう呼ぶようになった。「……父さん」彼は、彼らを最初に抱き上げた人間。最初に手を差し伸べた存在。だからこそ―― アダムは、彼らの“父”だった。師匠は、ふいに言葉を止めた。それ以上は、語らなかった。聞き入っていたライトとジェンシャンは、顔を見合わせる。「……え?どうして、続きは?」「まだ途中ですよ」だが、師匠は立ち上がった。「……今日はここまでだ。少し、疲れた」そう言って、外へ向かう。「ちょ、ちょっと待ってください」ジェンシャンが呼び止める。「師匠……どうして、そんなに詳しいんですか?」師匠は振り返らずに答えた。「……昔、歴史文書や神話の起源を多く読んだ。それだけだ」「でも――」ライトが思わず声を上げる。「師匠、そんな……!俺たち、まだ聞きたいんです!」師匠は足を止める。そして、静かに言った。「ライト、焦るな」「時が来れば、続きを語ろう」そう言い残し、師匠は夜の中へと歩み去った。




