氷封の結伴1-2
その頃―― ひとりの影が、ゆっくりと街へ向かって歩いていた。――道場の朝。「いつまで寝てるつもりだよ」布団を引きはがそうとする声に、ライトは顔をしかめる。「あとちょっとだけ……」「早く起きろって。今日は街で配信あるんだ、仕事なんだぞ」「ちょっと待てって、ジェンシャン……ほんとにせっかちだな」部屋の外からチーランが顔を出す。「どこ行くの?」「ジェンシャンと街に」「ちょっと、朝ごはん食べないの?」「いらない!」その様子を見て、チーディが肩をすくめる。「腹減ったら勝手に食うだろ。心配すんな、妹」「子どもみたいなんだから」「お前もだろ?」「は? ケンカ売ってるの?」兄妹のやり取りに、空気が少し和らぐ。そこへ、静かにビンチェンが姿を現した。「……おはよう」「おはよう、ビンチェン。起きてたんだ。昨日、お兄ちゃんが顔色悪いって言ってたけど……大丈夫?」「もう大丈夫だ」ビンチェンは静かに答える。「本当に?」
「うん。昨日、師匠と話をした」「へえ、師匠が出てきたなら安心だね」チーディが腕を組みながらうなずく。ビンチェンは一瞬ためらい、それから続けた。「……まだ、話したいことがある。みんなにも聞いてほしい」「いいよ。久しぶりにちゃんと座って話そう」チーランが柔らかく笑う。「ライトたちは?」「ジェンシャンと一緒に出かけた。チーディはここにいるから、呼んでくるよ」「……分かった」少し間を置いて、ビンチェンがぽつりと聞く。「……ジェンシャンって、誰だ?」空気が一瞬止まる。やがて三人は道場の一角に腰を下ろした。静かな空気の中、ビンチェンはゆっくりと口を開く。「……ある日のことだ」そうして、彼はひとつの物語を語り始めた。「……それは、凍てつく森の中だった」ビンチェンは静かに語り始める。「当時の私は、まだ寒さを完全に耐えられるほど氷の力が成熟していなかった。体は震え、指先の感覚も薄れていった。火を起こせる場所を探していたが、森は暗く、視界も悪かった」乾いた枝を探している最中――足を踏み外した。「気づいた時には、深い穴に落ちていた」底は見えず、衝撃で意識が遠のく。「視界がぼやけていく中で…… このまま終わるのかもしれない、と思った」しかし―― 「目を覚ますと、そこは温かかった」傍らで小さな火が揺れている。その前に、一人の男が座っていた。「目が覚めたか」穏やかな声。「あなたは……?」「倒れてるのを見つけたんだ。放っておけなかった。傷は応急処置してある。少し休んだら、この道をまっすぐ進めば外へ出られる」その男の名は――(ヒレン)。流浪の侠客。元素とは無縁の、ただの人間だった。「……助けてくれて、ありがとう」
「礼なんていらないさ」そう言って、彼は小さく笑った。ビンチェンは少し躊躇いながら続ける。「……私はビンチェン。氷の元素忍者だ。この山に封じられた聖剣を探して、旅をしている」ヒレンはその名を聞いた瞬間、ほんの一瞬だけ表情を曇らせた。「……へえ。君は“高貴な元素”なんだな」「は? どういう意味だ?」「いや、何でもない。今日はもう休め。明日の朝に出ればいい」その言葉に違和感を覚えながらも、ビンチェンはその夜をそこで過ごした。――翌朝。「ヒレン、俺は行く。縁があればまた会おう」荷を背負い、森を出ようとしたその時―― 「ビンチェン!」振り返ると、ヒレンが真剣な眼差しで立っていた。「……俺も一緒に行く。聖剣を取りに」「無理だ。聖剣を求める道は危険だ。命を落とすかもしれない」「分かってる。それでも行く。俺は流浪の身だ。刺激と挑戦を求めて生きている。足手まといにはならない」「……」氷の息が白く揺れる。「自分の身くらい、自分で守れる」その強い意志に、ビンチェンはわずかに迷った末、うなずいた。「……分かった。同行者がいるのも悪くない」ヒレンは嬉しそうに笑った。ビンチェンはふと思い出したように問いかける。「この森は寒く、獣は少ないはずなのに猛獣は多い。それにこの気候だ……なぜ君はここにいる?」ヒレンは一瞬目を伏せる。「……それは秘密だ。いずれ話す」「……分かった。早く聖剣を手に入れて、ここを離れよう」それからの半年―― 二人は剣の技を教え合い、時に心の悩みを打ち明け、笑いながら長い旅路を共に歩いた。そしてある日、小さな村へと辿り着く。「今夜はここで一泊しよう」そうして、二人は宿を求めて村へ足を踏み入れた。村に足を踏み入れた瞬間―― 数人の村人が二人を囲み、そのまま一軒の立派な屋敷へと案内した。中へ入ると、豪華な居間のソファに一人の男が座っていた。
まるで最初から待ち構えていたかのように。「やあ、ようこそ。歓迎するよ」ゆったりと立ち上がる男。「村人から“外から来た者がいる”と聞いてね。私はこの村の村長だ。住民の安全を守るのが務めでね……少し話を聞きたかった」ビンチェンは一歩前に出て、頭を下げた。「ご心配をおかけして申し訳ありません。私たちはただ一晩、宿を借りたいだけです。悪意はありません」村長はにこやかに笑う。「この村は滅多に人が来ない。だからこそ、来客は貴重な客人だ。部屋を用意しよう」「ありがとうございます」「いやいや、礼には及ばない。まだ食事はしていないだろう? ここで食べていくといい。その後、今夜泊まる場所へ案内させよう」ヒレンが軽く会釈する。「助かります」村長はふと目を細めた。「ところで――君たちは、どこへ向かっているのかな?」ビンチェンは答えた。「寒冷の森、その最も高い山頂へ向かっています。そこへ通じる近道をご存じありませんか?」村長の表情がわずかに固まる。「……あるにはある。ただし、非常に危険だ」その時、窓の外から小さな手がひらひらと振られた。ひとりの子どもが、ビンチェンに合図している。「……少し外へ出ます」そう言った瞬間―― 「いけない!」村長が声を荒げた。「……いや、その……この村は地形が複雑でね。夜に出歩くと迷いやすいのだ」「……」ビンチェンは静かに村長を見つめる。何かがおかしい。「今夜の宿は?」「こちらだ。案内しよう」案内されたのは、村の端にある質素な家だった。「ここが今夜の寝床だ。何もなければ、私はこれで」「ありがとうございます」村長が去った直後―― コン、コン。小さなノック。扉を開けると、先ほどの子どもが立っていた。「どうした? 親は?」子どもは震える声で言った。「お兄ちゃん……ここにいちゃだめ。早く逃げて」「どういう意味だ?」問いかける間もなく、子どもは走り去ってしまった。「……この村、何かある」ビンチェンが振り返る。「……ヒレンは?」その瞬間、背後から声がした。「呼んだか?」振り向くと、ヒレンが立っている。「どこへ行っていた?」「村長に呼ばれてな。村の決まりを聞いた。ここは夜八時以降、外出禁止らしい」ビンチェンは眉をひそめる。「……今、ちょうど八時だ」ヒレンは軽く笑った。「だから、もう休もう。明日に備えようぜ」――だが、ビンチェンの胸に、言いようのない違和感が残った。「……分かった」ビンチェンはそう答えながらも、胸の奥に残る違和感を振り払えなかった。――明日の朝、すぐにこの奇妙な村を離れよう。そう心に決め、布団に入る。眠りに落ちる直前―― ぼんやりとした視界の中で、ヒレンがそっと扉を開け、外へ出ていく姿が見えた気がした。「……気のせいか」そう思い、再び意識を沈めた。
――翌朝。「よし、今日は山登りだな。ヒレン」明るく声をかけると、ヒレンは一瞬間を置いてから返した。「あ、ああ。そうだな」「どうした? 体調悪いのか?」「いや、何でもない。……さあ、早くここを出よう」どこか焦るような声。「……ああ」外へ出ると、すでに村長が立っていた。「今日は登山ですかな?」
にこやかな笑み。「ええ」「では、どうかご無事で。頂へ辿り着けることを祈っております」その言葉の奥に、何か別の意味が隠れているような気がして―― ビンチェンは、無意識にヒレンの横顔を見つめた。「ええ、必ず戻ります」そう答えた瞬間―― 村長は一瞬だけ、ヒレンへ意味深な視線を送った。
――雪山への道。「……風、強すぎるだろ。寒すぎる」吹き荒れる暴風。視界を奪う白銀の世界。「ここは氷点下五十度だ」ビンチェンの声は冷静だった。「……ビンチェン、歩けるか?」「当然だ。必ず辿り着く」その時―― 「うわっ!」突風にあおられ、ヒレンの足が滑る。一歩間違えば、断崖へ落ちるところだった。二人は必死に踏みとどまり、嵐を耐え抜く。やがて風が少し弱まる。凍えきったヒレンが震えながら言った。「……どこか、休める場所を探そう」「足場になりそうな岩場はないな」その時、ビンチェンが静かに前へ出る。「問題ない――見ていろ」大きく手を振る。瞬間、氷の元素が舞い上がり、周囲に透明な氷壁が形成される。完全に閉ざされた、即席の氷の空間。「……すごいな」「はは、たいしたことない」氷の空間の中、風の音は遠くなった。ヒレンがふと真剣な顔になる。「ビンチェン、ひとつ聞きたい。……お前は、俺を信じているか?」迷いのない視線。ビンチェンは即答した。「信じている。出会ってから日は浅いが、俺たちは命を預け合ってきた仲間だ」「仲間……か」ヒレンは小さく呟く。「俺には、そんな存在はいなかった。こんなに楽しい時間も……久しぶりだ。ありがとう」ビンチェンは軽く笑った。「何を言っている。さあ、行こう」だが、ヒレンの声が低くなる。「……ビンチェン。あまり簡単に人を信じるな。信頼なんて、価値のないものだ」その言葉は、吹雪に紛れて消えた。突然、ビンチェンの足が止まる。「……来た。元素が反応している。ヒレン、急げ!」だが、ビンチェンはその警告めいた言葉を聞いていなかった。「この先は危険だ。あそこに洞穴がある。少し待っていてくれ。すぐ戻る」「……分かった」ビンチェンは一人、山の奥へと進む。洞穴へ足を踏み入れた瞬間―― 「……っ」頭が激しく揺れる。視界が歪む。「これは……他人の視点……?」次々と流れ込む、知らない記憶。凍りつく絶望。裏切り。孤独。そして―― 「……これが、試練……」目の前に映るのは、初代氷の元素継承者の姿だった。その時―― 声が、脳内に直接響いた。『――お前に、この聖剣を握る資格はあるのか』ビンチェンは膝をつき、激痛に耐えながら叫ぶ。「……まだ覚悟は足りないかもしれない。だが――俺は弱き者を守りたい。俺が忍者になった理由は一つだ。自分で自分を守れない者を守るためだ!」その瞬間―― 氷の光が洞窟を満たし、聖剣が、ゆっくりと引き抜かれた。「……成功した」掌の中に宿る、冷たい確かな重み。ふと、ポケットの中に硬い感触。「……これは?」取り出したのは、氷色の核。そこには狼の紋章が刻まれている。「氷の核心……?」試しに氷の元素を流し込む。次の瞬間―― 光が弾け、氷の粒子が集まり、一匹の白き狼へと姿を変えた。「……すごい」氷狼は静かに吠える。「よし、行こう。ヒレンを待たせている」洞穴を抜け、吹雪の中へ戻る。「ヒレン、戻ったぞ――」震えながら座り込んでいたヒレンが顔を上げる。「……寒くて死ぬかと思ったぞ」「……早く下山しよう」二人は雪を蹴りながら、急いで山を下り始めた。その時―― 「まずい、ビンチェン!」ヒレンの足が雪に深くはまり込む。「雪が崩れる……落ちる!」地面が崩れ、ヒレンの体が斜面へ滑り落ちかける。「ヒレン!」ビンチェンは迷いなく飛びつき、その腕を掴んだ。「離すな!」「ビンチェン、放せ! お前まで危険だ!」「何を言っている!」歯を食いしばる。「お前は仲間だ。俺は絶対に見捨てない!」氷の元素を集中させる。「――氷!」足場となる氷の滑走路を瞬時に形成し、崩れかけた斜面を安定させる。「引き上げるぞ!」力を込めて引き上げる。やがて、二人は雪の上へ転がり込んだ。「……大丈夫か? 怪我は?」ヒレンは荒い息を整えながら答える。「……ない」
「なら、村へ戻ろう」「……ああ」――




