異端者、邪竜と契約する
朝。
辺境の空は、青いのに冷たい。
昨夜の残り火を掘り起こして、僕は小さく息を吐いた。
「保存工程が必要だ」
言ったはいい。
でも、燻製小屋も干し台も塩もない。
材料も道具も、そもそも拠点すら、まだ“ここ”にない。
「つまり」
僕は両手を広げた。
「やることが多い」
クレアが元気よく頷く。
「はい、アル様。やることが多いです!」
カイルは、昨日の「負けだ、食う」以降、若干だけ僕らに慣れた顔をしていた。
……いや、慣れたというより。
諦めた顔、と言うべきか。
「やることが多いのはいい。だが、その前に――」
カイルが空を見上げて言う。
「食料と水の確保だ。今日は移動するのか? それとも周りを見て、マシな場所を探すのか」
「生活しやすそうな場所を探す」
僕は頷いた。
「ここ一帯で、“拠点にできそうな条件”を探します。風が弱い、水が近い、燃料が取れる、見通しがいい。そういう場所」
カイルが頭を抱えかけて、やめた。
代わりに、鼻で短く笑う。
「まあ、そうだな。……で、見つけたら次は?」
「まずは風除けと、保存のための火回り。次に水。次に衛生。次に――」
「待て。多い」
「多いですね」
クレアが即答する。
「多いって言われても、減りません」
「それを言うな」
カイルがため息を吐いた。
僕は笑った。
……笑うしかない。
でも、笑える。
前世の“僻地開拓ごっこ”の血は、たぶんこういう瞬間に一番うるさい。
詰んでるほど燃える。
工程表を引くと落ち着く。
◇
僕らが動き出して、しばらく。
瘴気の匂いは薄い膜みたいに常に喉に絡む。
草は細く、木は少ない。
それでも、地形のクセはある。
風が抜けない窪地、石が多い場所、乾いた土。
「……ん?」
カイルが足を止めた。
剣の柄に手がかかる。
「どうしました」
「臭い。血だ」
クレアが僕の袖を掴む。
「アル様、危ないです」
危ない。
それは当然。
でも――
血の匂いがあるなら。
そこには、何かがいる。
そしてこの辺境では、“何か”はほぼ全部、僕らの生存に直結する。
「確認します」
「おい!」
カイルが言いかけたが、僕はもう、足を進めていた。
窪地の向こう。
岩陰に、黒い影が見えた。
大きい。
そして、動いていない。
「……竜」
カイルの声が、少しだけ裏返った。
竜。
この世界での竜がどの程度の脅威か、僕は知らない。
でも、サイズだけで分かる。
これは、僕ら三人が正面からどうこうできる相手じゃない。
なのに。
竜は、弱っていた。
翼が片方、裂けている。
鱗の隙間に乾いた血。
呼吸が浅い。
「生きてる……」
クレアが呟く。
カイルは剣を抜きかけて、止めた。
「近づくな。弱ってても、竜は竜だ」
「分かってます」
僕は距離を取ったまま、しゃがみ込む。
竜の目が、薄く開いた。
金色。
その視線が僕を捉えて――
次の瞬間。
腹が鳴った。
「……」
竜の。
ぐぅ、と。
あまりにも間の抜けた音。
クレアが、耐えきれずに吹き出した。
「お腹……空いてるんですね」
カイルが顔をしかめる。
「笑うな。……いや、笑うが」
僕は喉の奥で笑いを噛み殺しながら、状況を切り分けた。
敵か。
味方か。
たぶん、どっちでもない。
今は、飢えた大型生物だ。
そして。
飢えた大型生物は、餌で動く。
「肉ホムを出します」
カイルが即座に首を振る。
「やめろ! 竜に餌をやるなんて――」
「食われるなら、今すぐ僕らが食われます。……でも」
僕は言葉を選ぶ。
「食わせて落ち着くなら、こっちの生存率が上がる」
「また生存率か!」
「癖です」
「癖で済ますな!」
クレアが、いつもの調子で胸を張った。
「さすがアル様です! 生存率は大事です!」
「お前は話を広げるな……」
カイルが頭を抱える。
僕は、深呼吸して意識を絞った。
――人体錬成(弱)。
現状の枝は、ホムンクルス(空)。
器だけ。
魂なし。
つまり。
肉だ。
ぬるり、と。
スイカほどの肉塊が、地面に現れた。
竜の目が、わずかに大きく開く。
鼻孔が動き、匂いを吸う。
僕はそれを、竜から少し離れた場所へ転がした。
「……食べろ。落ち着け。今はそれでいい」
言い方が、ほとんど獣の扱いだ。
カイルがぼやく。
「俺たちは今、竜に“待て”を教えているのか……」
「待てを覚えてくれたら助かります」
「真顔で言うな」
竜は、ぎこちなく首を動かした。
傷が痛いのか、動きが遅い。
でも、その口が肉ホムに届いた瞬間。
一口で、半分消えた。
「うわ……」
クレアが声を漏らす。
竜は噛むというより、飲み込む。
そして、もう一口。
肉塊がなくなる。
竜の喉が、ごくり、と動いた。
次いで、胸が大きく上下する。
さっきまで浅かった呼吸が、ほんの少しだけ深くなる。
裂けた翼の縁にこびりついていた血が、じわ、と湿って――止まった。
治った、なんて言えるほどじゃない。
でも、「今すぐ死ぬ」感じが、一段だけ遠のいた。
竜は、しばらく目を閉じた。
……静かだ。
襲ってこない。
カイルが喉を鳴らす。
「……おい。落ち着いたのか?」
竜が、ゆっくりと目を開けた。
そして。
僕の方へ、頭を下げた。
「……え?」
クレアが目を丸くする。
「今、頭を下げました?」
「偶然だ」
カイルは言ったが、声に自信がない。
竜はもう一度、首を低くした。
まるで。
「もっと」
と言っているみたいに。
僕は、思わず口元を押さえた。
「……タンパク源が増えたな」
カイルが、すごい顔で僕を見る。
「今、なんて言った」
「いや、独り言です」
「独り言が怖い!」
クレアが、きらきらした目で言う。
「アル様、竜さん、お供になりますか?」
「……お供」
僕は竜を見る。
竜も僕を見る。
理屈で言えば危険だ。
絶対に危険だ。
でも、実務で言えば。
守ってくれる大型生物がいる。
運搬できる。
威圧できる。
他の獣が寄らなくなる。
そして何より。
肉ホムの“消費先”ができる。
「……条件付きで」
僕が言うと、竜が鼻を鳴らした。
カイルが呻く。
「条件ってなんだ。竜に契約書でも読ませる気か」
「読ませません。運用します」
「運用って言えば何でも通ると思うな」
クレアがうんうん頷く。
「通りますよ。アル様ですから」
「そこは頷くな!」
竜は、僕らのやり取りを聞いているのかいないのか、地面に腹をつけた。
休んでいる。
……いや。
待っている。
僕は荷物から帳面を取り出し、炭筆を握った。
ホムノート。
生存のための覚え書き。
そして。
今日の新規項目は、これだ。
## ホムノート(メモ)
- 大型生物(竜)は飢餓状態だと危険度が跳ね上がるが、餌で行動が安定する可能性。
- 肉ホムは竜の餌として高効率で消費される(一体でほぼ一食分?)。
- 竜の負傷:翼の裂傷、出血痕。敵対より先に「回復」と「餌」の要求が強い。
- 竜を“お供枠”として運用できるか検討(警戒・運搬・威圧)。




