↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

3. 再就職、再々就職






南西に真っ直ぐ歩くと、ゴードンの言うとおり街があった。


そこでゴードンから渡された路銀を使い、少しばかり綺麗な服を買ったソフィアは、あの日の王都の様に桜が咲き誇る大通りに面した料理屋で働き始めた。始めは自分なんぞ雇ってくれる店はあるのだろうかと不安だったが、ソフィアの美しさに目を付け、これは良い看板娘になると喜んだ主人がすぐに採用してくれたのだ。それから暫くの間、ソフィアは店主の目論見どおり料理屋の看板娘として名を馳せた。


だが、主人の一人娘に邪険にされたソフィアはある日突然、窃盗の濡れ衣を着せられて結局クビになった。彼女は自己顕示欲が強いタイプらしく、初対面の時から彼女より遥かに美しいソフィアを毛嫌いしていたのだが、彼女の想い人の青年に色目を使ったという思い込みが決定打になったようだ。色目なんか使った覚えはないし勝手に向こうが見初めてきたのだが、妬みは時に視界を眩ませる。それをソフィアは、よく知っていた。なにせ嫉妬に目が眩んでドブ色の罪に染まった愚かな小娘を、ソフィアはこの世の誰よりもよく知っているのだから。そして、その先の展開も知っている。その青年も案の定、ソフィアが被せられた窃盗の罪を信じ、見損なったと罵倒した。


ああ、悲しいことだ。とても悲しい。けれど、終ぞ涙は出なかった。きっと枯れてしまったのだろう。


その日からソフィアに仕事はなくなった。泥棒など、どこも雇ってくれはしない。当然だ。しかしソフィアは、今までのソフィアとは違った。生きるためにはそれなりになんでもしてやろうという気概があった。人を殺してしまったせいか、ゴードンと過ごしたせいか、たくさんの人を解体したせいか、卵焼きが上手に焼けるようになったせいか、その辺は定かではない。もしかしたら、焼き蕎麦に紅しょうがをつけるのを忘れない様になったからかもしれない。ああ、たぶんそれだろう。この線はかなり濃厚だ。


なんにせよソフィアは、薄暗い路地裏でゴミを漁ってでも食い繋ぎ生き延びた。それでも生きるに不足と分かれば、顔色一つ変えず娼館に身を落とし、かつて殺しに手を染めてまで守った純潔を呆気なく散らした。


だがそこまで顔色一つ変えなかったソフィアも、件の青年がソフィア目当てで娼館を訪れた時は目を丸くして驚いた。どのツラ下げて、という話である。平民にはプライドや誇りがないのだろうか。だが彼は何故か意気揚々とソフィアを買うと、自業自得だと偉そうに一通り説教した挙句、勝ち誇ったような顔で自分に縋ればここから救い出し働き口を見つけてやると言った。厚顔無恥とはこのことだ。普通に断ったが、彼はソフィアを口汚く罵るといずれ泣きつく事になると憤慨し、なぜか何もせずにその日は帰っていった。それから彼は、二日と空けずにソフィアの元を訪れ、同じ質問を繰り返した。


「ここの生活は辛いだろう?気が変わったか」

「いえ、別に…」


こちらも毎回同じ様に返せば、決まって売女だ淫売だと罵って帰る。少し暇なのかもしれない。誰か彼に仕事か女性を紹介してあげて欲しい。もしかして、記憶の障害で気付かないうちに同じ事を繰り返しているのではないかしら。可哀想。なんて妄想で楽しんでいられたのも最初の内だけ。いつまで続くものかと思って観察していたものの同じ事しか吐かない彼にすっかり飽き、買われても目すら合わさなくなったある日。ふと気になって、何故自分を買っているのに抱かないのかと聞いてみた。


すると彼は、急に勢いづいて「ついに俺が欲しくなったのか」とか「汚い女だから触れたくもないんだ」とか「立場を弁えて謝って縋ってくるなら」とかヤりたいのかヤりたくないのかよく分からない矛盾だらけの言い訳をし始めたので、面倒になって全部に「そうなの」と返していると、彼は次第に声量を下げた。そして、最後の最後。


「……………はじ、めてで……何をどうすればいいのか……ぜんぜん…分からな、くて………」


蚊の鳴くような小さな声で、そう言った。それがあまりにつまらない理由だったので、そう、とだけ言って溜息を吐いて目を逸らす。しかし、どうもそれに大層傷ついたらしい彼は、哀れっぽく鼻をすすってべそをかきだした。いつもの彼はソフィアを見下すか怒るかしかしていなかったものだから、少し可哀想になり、そんなことでめそめそするものじゃありませんよ、といい含めてから、お詫びに筆下ろしをしてやった。青年は終始怖がり通しだったが、事が済めば少し安堵した様であれだけ蔑んでいたソフィアに縋るようにして眠った。


平民はどうも即物的だ。いや、それは貴族もそうだろうか。人間はそういうものなのだろう。


それからすっかり大人しくなった青年はやはり2、3日に一度のペースでソフィアの元を訪れると、どこで買ったのか甘い菓子や花を渡してくるようになった。一体この金はどこから湧いているのだろう。だが少しして、あの料理屋の娘が店の金を使い込んで勘当されたと聞き、なるほどあの青年が頻繁に娼館に通えたのはあの娘が金を融通していたからかと合点がいった。それにしても哀れな娘だ。想い人の娼館通いに貢いで破滅するなんて。


案の定あの娘はソフィアを恨み、刃物を片手に娼館へ乗り込んできた。お前のせいで、お前さえいなければ。私が貴女に泥棒の濡れ衣を着せた事を恨んでこんな真似をしたんでしょう。そう言って喚いた彼女は、すぐ娼館の用心棒に引き摺られて消えた。それから間もなくソフィアは娼館を出された。濡れ衣が晴れたソフィアに申し訳ないと思う町人は多く、その全てを敵に回すほど娼館も愚かではなかったということだ。代わりに、あの娘が娼婦として働くらしい。大変、結構なことだ。娼館を出た先では酷く狼狽した件の青年が地面と結合でもするのかという勢いでソフィアに謝罪してきたが、別段気にしていないと軽くあしらった。






その翌日、ソフィアは街から姿を消した。娼婦としてのソフィアが知れ渡った町で働く気など毛頭無い。新天地を求め、いつかの偽名殺人鬼が示した方角へ、再度歩み始めた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。