4. 再々々就職と、捨てたはずの名前
天高く、馬肥ゆる秋。それもいよいよと深まったころ。
ソフィアは、穏やかに栄えた海辺の街でひっそり営まれている古美術商の店に住み込みで働いていた。無論、「古美術」というものがなんなのか、ソフィアにはよくわからない。言葉の意味をそのまま捉えるのであれば「古い時代の書画・彫刻・陶磁器などの美術品の総称」だ。そういった知識としてはあるのだが、この店の言うところの「古美術」には如何せん心当たりが無い。
ここにあるものといえば、持ち主によって灯す色を変えるランプや、秒針だけしかない上に24秒を指して止まっている丸い腕時計、一ヶ月つけ続けると左足と右足を入れ替えるアンクレット。それから、季節によって情景が四季折々に移り変わるが時折不毛の更地を映す絵画、砂が際限なく上に上っていく砂時計など、壊れているだけなのかはたまた魔術の類なのか、というかそもそもなんの役に立つのやらさっぱりな逸品しかおかれていない。古い時代のものにも思えないが、かといって昨日、今日出来ましたと言われても少し閉口してしまう。
多分、ここは古美術商と看板を掲げているだけで、実際は古美術商ではないのだろう。それくらいは、あまり外の知識に明るくないソフィアでも理解できた。
ソフィアは店の手伝いの傍ら、以前の職で培った軽食スキルを活かし訪れた客に軽い菓子や紅茶、コーヒーを振るまっていた。それがいつの間にか噂を呼び、今ではそれ目当てに来る客もいる。その「それ目当て」の客の中には、なぜか以前の町で筆下しをしてあげた青年…アドニス・フォンテーンもいた。どうも彼はソフィアのストーカーに就職したようだ。元々は根無し草、もとい自分探しの中であの街に立ち寄り、彼の美貌に寄って来る女に貢がせてのんべんだらりと暮らしていたらしいのだが、ついに就職する気になったらしい。良い事だ。それを聞かされた当初は、何故それだけ女を侍らせておきながら下半身が新人だったのか甚だ疑問だと心底思ったが、そういった「簡単に身体の関係に持ち込まない」点を「真面目だ」と思われたが故に、あの料理屋の娘の様な勘違い女を引っ掛けていたのかもしれない。それは無意識だとしても、彼の才能だろう。
それにしても、少し過ごしただけで怪しげな物を売るエセ古美術商にストーカーといった珍しい職業人に会えるとは、流石下町。随分と、風情がある。ちなみにアドニスは店主とソフィアの関係を執拗に疑っていたが、それは全く持って無意味な心配だ。なにせ、彼には「相手」がいる。
店主は綺麗な銀髪に青い瞳を持つカルロス・リュゲベルクと言う名の壮年の男で、ほんの少し変わり者だ。なんでも、高級なガラス細工の様に美しい装飾が施された青い小さな酒瓶の中にいる「魔人」と恋仲らしい。その魔人は、店主が昔一緒に旅していた親友の青年で、ちょっとした呪いで酒瓶の中に閉じ込められているとのこと。別に酒瓶から出て来れないわけではなく、ソフィアも何度も会った事がある。カルロス曰く「呪いで酒瓶に閉じ込められ年月を経て魔人になった」らしい元人間のルイと名乗る青年は、金糸の様な髪に、星を浮かべた濃紺の瞳をしており、「昔はカルロスと同じ青い瞳だったんだけど、いつの間にかこんな風だったんだよね」と無邪気に笑っていた。まるで夜空をそっくりと映した様な双眸は、見ているだけで吸い込まれそうだ。だが、あまり長い間ルイを見つめているとクソほど大人気ないカルロスが、ルイとソフィアの間になにかがある可能性なんて万が一にもないと分かっているくせに引くほど妬くので、程程にする。
だが、そんなカルロスの姿や、二人…いや一人の男と一匹の魔人が時折日当たりの良い店先で2人寄り添って座っている光景を見るうちに、アドニスはカルロスとソフィアの仲を疑うことをすっかり辞めた。。しかしながら、どうも今度は怪しい「古美術品」達に興味津々らしい。
「そうか、ここを捻れば右目が、こっちを捻れば左目が、ってわけか」
「ああ、そうだ。あんた飲みこみが早いね」
始めはそわそわしたが、アドニスの「興味」はカルロスにとって悪いものではなく、むしろ良い刺激になっているらしい。勿論、カルロスが楽しそうにしていれば、ルイも喜ぶ。お世話になっている2人が嬉しいと感じてくれるのであれば出来る限りそっとしておきたいが、アドニスが恐ろしい事を考え付かないよう祈るばかりだ。
「あ、じゃあこれを応用すれば身体の中身も…」
「勿論そうさ。だがそこに気づくとは中々やるな」
本当に、切実に。
以前の暮らしが穏やかでなかったか、と言われれば少し返答に困る。
しかしそれでも、ソフィアにとって「今」の生活は「今まで」より幾分か落ち着いたものだった。王太子を支えるため日々努力する必要も無ければ、汗水たらして血に塗れながら死体を解体する事も無く、身体を売る必要も無い。ほんの時折、どこかの酒屋で閉店後に集っていたその店の常連が店主を含めて全員変死したり、大きな馬車の事故が起きたのに中に誰も乗っていなかったり、そんなことが起こるくらいの静かな町だ。
ソフィアの仕事も、大して変わり映えしない。指を一本増やす指輪や、千分の一で財宝を探し当て十分の一で他殺体を掘り当てるスコップなんかを翡翠色の棚の上へ片付けて、時々、なんの変哲も無い夏にぴったりの涼しげな水色のワンピースをとっても安く売ったりする。そういえば、今日の朝刊に「女性の変死体が発見された」と書かれていた。なんでも、服に覆われていない部分を全て無くした状態で路地裏から発見されたらしい。物騒な世の中だ。水色のワンピースは今も水色のまま、店頭に飾られている。
この店にも常連はいて、ソフィアが焼いたクッキーをいたく気に入ったご婦人が、週に1度は店を訪れる。うちの子もとてもこの味が好きなのよ。よくそう言って笑うものだから、お孫さんでもいるんですか?と聞けば、いつも抱いて連れ歩いてる犬を指して「この子よ」と言った。ええ、このクッキーは犬用じゃないんですよ。犬に甘いものは。と、驚いたソフィアがそう言うと、婦人は少し首をかしげて微笑みながら、うちでは犬は飼ってないから、大丈夫よ。と続けた。ああ、そうか。犬を飼っていないなら、大丈夫かもしれない。確かにソフィアが犬だと思っていた「それ」はただの一度もワンと鳴いた事はないし、いつも婦人が抱いているから歩いているところも見たことがない。だから、そう、犬ではないのだろう。
それから、一月に一度、カルロスから何かを受け取るために訪れる双子の姉妹は、双子なのに血の繋がりがないという。父親を同じくして、別々の女性の胎に根付き、同じ日の、同じ時間に生まれたらしい。そうなってくると正式には双子では無いが、それでも誰もが彼女達を双子だと言った。成長すればするほど、2人の見た目が全く同じである事が分かったからだ。しかし、父親は恐怖したそうだ。自身の特徴も、母親の特徴も、なにも受け継いでいない娘が、一体なんなのか。分からないまま、父親はある日を境に衰弱して死んだらしい。今、双子の姉妹は父親が住んでいた屋敷を改装して二人で住んでいると言う。因みに、同居ではなく同棲だ。姉はソフィアが淹れるカモミールのホットミルクティーを好んでおり、妹はソフィアが淹れるちっとも甘くないアイスティーを好んで飲むが、いつもどちらが姉でどちらが妹なのかさっぱり分からない。二人もよく互いがどちらか分からなくなると言っているので、大した問題でもないのだろう。時折、父さんに渡すの、と微笑んでクッキーを包んでいるのも、きっと大した問題でもないのだ。例えあの屋敷に地下室があったとしても、屋上があるのだから、地下室だってあるだろう。
「あんたが来てから、少し店がにぎやかになったな」
「迷惑ですか」
「いや、ちっとも」
カルロスは、時折そうやって目を細める。彼はソフィアの入れるとても苦い、濃いコーヒーを好んでいた。最初の頃、偶然ルイの存在を知るまで、カルロスとは腹を探り合うような日々を送っていた。それがルイの存在を知り、打ち解けてみれば、もうすっかり気の良いおじさんだ。今ではソフィアが居ようがアドニスが居ようがお構い無しにルイと寄り添っている。アドニスだって、ソフィアのおはようからおやすみまでの観察…彼曰く護衛らしいけれど、それを隠そうとすらしなくなった。それが良いのか悪いのか、正直ソフィアにはよくわからない。ただ、多分、王都の狭苦しい世界で、上から降り注がれる愛ばかり見てニコニコしていたころに比べたら、余程建設的だと思えた。
けれど、ソフィアはよく知っている。
平穏は、決して長くは続かない。
「見つけたぞ、ソフィア=アデライト=カスティーユ!!!!」
ああ、どうか。
そのなまえでよばないで。




