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2. 初めての肉体労働






気が付くと、汚い身なりをした男達がソフィアの服に手をかけていた。そういえば、馬車を走らせていたカタギには見えない男が「ここは凶悪な山賊の出る山だ」と意地の悪い笑みを浮かべていた、ような気もする。ああ、でも、いいか。もうなにもかもどうでもいい。なにもかも。ソフィアの足を掴んだ別の男が、何事かを口走った。なに。ちっとも聞こえないわ、もっと声を張ってくれなきゃ。こっちは五日も何も食べてないんだから、耳も遠くなってきてるのよ。ちょっとは気を遣ってよ。どうせ、私はもうすぐ死ぬんだから。なんて見当違いな憤りに脳を浪費していた時。


ふと、ソフィアの視界に、男の内の誰かが腰から下げた小刀が映った。やや複雑な紋が彫られた柄を見るに、きっと盗品なのだろう。どこかの貴族のものか、もしかしたら王族のものかもしれない。


(あ、)


それはきっと、届くところにあったから。それくらいの、単純な理由だ。けれど、ソフィアだって五日も食べていない身である。そんなに俊敏に動けるわけでもない。けれどそれこそ、五日も食べていない細く色の白い少女だ。生気もなく、服を脱がしても反応すらしない。そんな小娘が、たかだか薄汚れた生傷だらけの右手を伸ばしたくらいで気にされることも無かった。だから、だろうか。特に早くも無い動作でゆっくり抜かれた刃は、別段何と言うこともなく、ソフィアに圧し掛かった男の首に食い込んだ。




温かい。




久しぶりに頬に触れた人の温かさに、ほんの少し正気が戻る。ああ、自分は何をしているのだろう。何を切った?人?熊?それとも木の実?いや、豚かもしれない。なにを切ったのか分からないほど朦朧としているソフィアに、怒り狂った男達が躊躇無く襲い掛かってきた。しかし、瞬く間も無く、その内の一人が倒れ伏す。それから誰かの怒鳴り声が響き、慌てふためく山賊達の姿を最後に、ソフィアの意識は途切れた。














目が覚めると、ソフィアは粗末な小屋の中にいた。いや、粗末、というよりはソフィアの生家と比べると多少手狭、というくらいだろうか。ちらほらと飾られている壷や絵画は、統一性が無いながらも中々の品々であるし、床には美しい色彩で彩られた絨毯も敷かれている。火の入っていない暖炉の前で、表紙が真っ白な本を読んでいる背の低い老人の身なりも、貧しいものではなかった。ややチグハグな印象もあるが、物だけは良質だ。


彼は起き上がったソフィアを見るなり「よく殺したな。褒めてやろう」と言ってレーズンが入ったパンと、野菜がふんだんに使われた温かいスープをくれた。血とはまた違った温かさに、ソフィアは、ほっと安堵の溜息をつく。この際ここがどこかとか、自分が何日寝ていたとか、そんな事はどうでもいい。例えここが海の底で、ソフィアが10年寝ていたとしても、最早この世の誰1人気にはしないのだから。


五日ぶりの食事を用意してくれた彼は、ゴードンと名乗った。彼が崇める神から授かった名だと言う。その日から、ソフィアは彼の元で生活し始めた。勿論、喰っちゃ寝、喰っちゃ寝を繰り返し養豚場のブタになる道を突き進むつもりではない。ソフィアは、自身の生い立ちを伏せた上で養ってもらう代わりに彼の仕事を手伝った。


ソフィアの、人生初の肉体労働。


それは、死体の解体作業だった。


別に、突然殺人に興味が湧いたわけでも、トチ狂ったわけでもない。いつの日かアデル嬢をすべての関節部で切断するための練習でもないし、人間料理に凝った訳でもない。問題はソフィアではなく、ゴードンにある。


ゴードンは山に来る様々なものを殺して暮らしていた。


別に山賊だけではない。ただの旅人、吟遊詩人、冒険者らしき男に、統率された数名の騎士、馬車に乗った貴族、女商人。誰だって殺した。子供がきたことは無いので、子供も殺すのかは分からなかったが、ゴードンの目に止まった者はみんな殺された。老若男女問わず、須らく、確実に、正確に。それが、ゴードンの仕事らしかった。ソフィアの仕事は、もっぱらそれの解体作業だ。死体をそのまま放っておいては蛆が沸くし、蝿は集るし、獣も出る。獣は殺して食べるので別に良いらしいのだが、死体を放っておいては景観が悪いし、第一にゴードンは虫嫌いだ。だから、ゴードンが殺した「誰か」はソフィアが管理した。獣をおびき寄せる罠に使うこともあれば、油を燃料として使うこともあったし、小分けして言われたとおりの処置を施し、まとめてゴードンに渡すこともあった。きっとアレは、例えば防腐処置だったり、或いはそれ以外のなにかだったのかもしれない。ゴードンが、それを持って出かけると、翌日の食事は少し豪華になったりした。それはつまりそういうことで、もっというならただそれだけのことだ。それでも余ってしまう時は、少し離れた窪地にある沼へ捨てるように言われた。


一度、何故ここでこんな事をして暮らしているのか聞いてみたことがある。するとゴードンは、彼らが罪人だからだと答えた。ソフィアがただの旅人だと思っていた青年は、恋人をさんにん殺していたし、吟遊詩人だと名乗った男は、幼い少年少女をにじゅうろくにんも殺していた。目標は130人だと笑ったらしい彼を、ゴードンは130個に刻んでいた。あの夏の終わりに殺した冒険者らしき男は、ギルドのメンバーを騙して魔物の餌にして賞金を稼ぐ悪徳冒険者で、統率された数名の騎士とそれを引き連れた壮年の男は、騎士の身分を笠に着て街で見かけた女性を脅して襲い、抵抗されればその家にまで押し入って子供まで残らず殺す重罪人だ。彼らは腐敗が早くて、全員沼に捨てたんだっけ。それから、あの冬の最中に訪れた馬車に乗った貴族は、訳アリの令嬢を娶っては乱暴に扱い壊すド変態らしい。あの快活な女商人は所謂そういう趣味の人間で、余ったりいらなくなったりした子供を売買していたという。人は、見かけによらないものだ。


では、何故私は生かしているの、と聞くと、彼は少し笑って「侮ったからだな」と答えた。


「あの日、山賊に捕まったお前は諦めた瞳をしていたろう。だから俺は、このつまらない女はこのまま滅茶苦茶にされて死ぬんだろうなと思ったわけだ」


もうそれは、絶対に。なんて頷きながら言われるものだから、ソフィアもつられて頷く。まあ確かに、あの時はもう滅茶苦茶にされて死ぬんだろうなと思っていた。それに違いはない。きっと二目と見れない死体になっていたことだろう。


「どうせだし、あの山賊どもがお前を殺したら俺が山賊を殺して、後釜を頂こうとも思っていた。前にも言ったが、俺は死体としかしないんだ。だがお前は反抗した。お前、アレが初めてだろう。それにしては、うん、よくやったもんだ。手際は悪かったが、切り口は中々綺麗だったしね」


それはあの高そうな小刀の切れ味のおかげではないだろうか、と思うが一先ず黙っておく。今でも懐に忍ばせているそれは、ソフィアのお守りだ。この国外追放生活の第一入手品として、記念に持っている。


「俺はこう見えて目がいいはずなんだが、どうしてかお前を侮った。いつの間にこんな節穴になったのか。反省したよ。だから、ここで面倒を見ているのは俺を反省させてくれた礼さ」


ああ、なるほど。じゃあこの待遇は甘んじて受け入れていいだろう。なにせ、これはソフィアが初めて人を殺した褒美なのだ。それはもう、祝われて然るべきことである、きっと。それこそ、初めて赤子が言葉を発した時の様に、喜ばしいことなのだろうから。うんうんと納得したソフィアは、話のついでに、ゴードンがいつも読んでいる背表紙が真っ白な本は、中身も真っ白なようだけれど、いつも何を読んでいるのかと聞いた。すると彼はソフィアと出会ってから恐らく初めて驚きの表情を見せて、それから少し目を細めると、お前が死んだらその死体に教えてやろうと優しく言った。


そうして他愛も無い日々が過ぎ少しばかり月日が流れたある日、彼は「場を移す」と言った。曰く、ここで殺せる人数は殺しきったので、次の地へ行く、らしい。ソフィアは連れて行けないが、ここから南西へ真っ直ぐ行けば街があるので、そこでなにか仕事を見つけるといい、と笑った彼は、袋いっぱいの路銀を「いままでの給料だ」とソフィアに渡した。全部、全て、そのたった一枚に至るまで人殺しの末の産物だろう。


最後に彼は、ゴードンというのは偽名で、本名はヴィクトルだとのたまった。きっとそれだって偽名なのだろう。なぜかすぐにそう分かった。神から授かった名だと言っていたくせに、と言えば、彼は笑って、神は人に名前なんか授けない、我欲を満たすのにお忙しいのさ、と言った。ああ、そりゃあそうだろう。知ってるさ。馬鹿みたいだ。だってこの世にまともな神がいるなら、とっくに世界は滅んでいる。


そう思いながら、さようならゴードン、と去っていく背に声をかけた。





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