5 散歩道
少し長めの黒髪が風に揺れる。さらさらと流れる艶のある髪は太陽の光を受けていっそう輝いていた。瞑夜の黒い髪を見て、綺麗だなと思う。
それに対して自分の髪は、銀色を帯びた白髪だ。瞳の色も、黒曜のような瞑夜のそれとは違い、灰褐色を含んだくすんだ青だ。
以前は、不気味に感じるその青さを隠したくて前髪を伸ばしていた。けれど、あるとき瞑夜が隠すなんてもったいないと言って無理やり短く切ってしまった。それ以来は短く切りそろえているが、未だに少し慣れない。
自分が瞑夜の兄だという設定は理解している。自分と瞑夜は正真正銘血がつながっている、というよりも正確に言えば同じ血が流れている。双子でもなく同じ血が流れ、兄という設定で作られた。
この体は瞑夜から作られた存在だ。
この色も、この体も、作られたもの。
だったら俺の髪も黒くしてくれたらいいのに、と僻む自分に悪態をつくこともある。
「晧暎、まだ髪のこと気にしてるの?」
俺の視線に気づいたのか、ゆっくりと散歩しながら歩いていた瞑夜が少し心配そうに聞いてくる。
「いや、もう平気。単に、瞑夜の髪が綺麗だなあと思ってただけだよ。まあ手入れしてるのは俺だから黒髪が綺麗なのは当然なんだけどな!」
放っておくと濡れたまま寝て翌朝寝癖だらけで痛みまくっても気にしない、伸びっぱなしの髪が邪魔だと言って自分で切ってざんばらになったりする瞑夜だ。それを見かねた俺が、髪のことも含めて、いろいろと瞑夜の面倒を見ている。
「晧暎の髪も綺麗だよ。白浜みたいに光ってる。晧暎の瞳は深海の色だ。僕が好きな色」
にこりと笑う。
俺は、その笑顔に胸が痛くなる。
この痛みの出どころはどこにあるのか。つきりと胸を刺すような痛みを、なんとなく瞑夜には知られたくなくて、俺は瞑夜から顔を背けた。
「俺は今でも、瞑夜の黒髪が羨ましいよ。……その、この白髪も、目も、ここじゃ目立つし」
「じゃあ、黒く染める? 目の色もカラーコンタクトで黒くできるよ」
「……瞑夜はときどき意地悪いよ。そう言われても俺がうんって頷かないのわかってて聞いてるだろ」
「あ、ばれてる?」
「そういうの、なんか、ねえねえあたしのことすき? って聞いてくる女みたいでうざい」
「晧暎はそういう女に付きまとわれたことがあるの?」
「ないけど! 想像だよ! ちくしょう、ないのわかってて聞いてくるところが腹立つ!」
「僕はすっごく楽しい! あはははは」
瞑夜は髪も黒いが同じように腹も黒い。
瞑夜がくれたこの体を、俺がどうにかするはずがない。それをわかっているうえで、黒く染めるだのカラコン入れるだのと聞いてくるのだ。本当に、腹黒で、たちが悪い。
苛立ちを紛らわせるために、道の小石を蹴るとトントンと跳ねて転がっていった。
すると、その小石が丸みを帯びた可愛らしい靴にこつりと当たる。
「あ、すみませ……」
謝ろうと靴の先から視線を上げると、そこには美少女がいた。
まるで絵画の中から出てきたような、造形美そのものというような、紛れもない美しさを持った少女。
金色の巻き髪がたわわに肩口に揺れ、ぱっちりと大きな瞳が俺を見ている。
思わず息をのむほどの美しさというものを初めて知った。
少女は、ふわりと口元に笑みを浮かべると、そのまま優雅ともいえる足取りで瞑夜の横を通り過ぎていく。それに合わせて、少女の履いたスカートが、くらげが海中を泳ぐようにふわふわと揺れた。
通り過ぎていく少女の背中を見送ると、微かに甘いにおいがした。
「えらい美少女だったね」
瞑夜も思わず見とれていたようだ。同じように少女の背中を見送っていると、ふいに瞑夜が走り出した。
「ちょっと、瞑夜! 急にどうした」
瞑夜は走り出した勢いそのままに、少女を追いかけていく。慌ててその後を追いかけると、少女は振り返って不思議そうにこちらを見ていた。
少女に追いついた瞑夜が息を整えているうちに俺も追いつく。
「あの、ひとつ聞いてもいい?」
瞑夜が少女に尋ねる。
「なんでしょう?」
凛とした鈴のような声だと思った。少女から発せられた声は透き通っていて、聞いていて心地よい。
瞑夜が何を聞くのかと黙って見守っていると、うちの弟くんは予想外のことを口にした。
「さっき何食べた?」
「え?」
「は?」
少女と俺は同時にぽかんとする。
ちょっと瞑夜さん、道ですれ違った初対面の女の子相手に一体なにを聞いてるの。下手なナンパにすらなっていない。
戸惑いを隠せない少女に俺が助けを出す。突拍子ない瞑夜の行動のフォローという名の尻拭いは兄である俺の務め、こういう状況は慣れっこだ。
「突然ごめんね。びっくりしたよね。ひかないで欲しいんだけど、これはそう、その、ゲームなんだ。ゲームの一環で、最初にすれ違ったひとにさっき何食べた? って聞く罰ゲームをしていたんだよ、ふたりで」
かなり苦しい言い訳なのはわかっているが、こんな少女に不審者扱いされたら下手したら警察沙汰になる。なんとか警戒心をなくそうと俺は顔に0円スマイルを張り付けて言った。
「だから、気にしないでね。変なゲームに巻き込んじゃってごめんね」
すると瞑夜が、深呼吸をした。
「すごくいいにおいだ」
そして、俺の必死の仕事ぶりをあざ笑うかのように、瞑夜は少女へと顔を近づけてくんくんとにおいを嗅ぎだした!
少女の足が半歩後ろへ下がった!
少女の警戒心は急上昇した!
「瞑夜? いい加減にしなさい?」
額に怒りの筋が立つのを感じながら極力平静を装って声を出す。
もういっそのこと、くんくんと鼻を鳴らす瞑夜が犬だったらいいのに。そしたら飼い犬のしつけがなってなくてごめんなさいと謝ればセーフだった気がするのに。
しかし瞑夜は犬ではなく、残念ながらひとだ。いや、残念なひとだ。
「あ、あの……?」
警戒心MAXの少女が完全にひきながら俺を見た。どういいように解釈しても、あなたの連れでしょうどうにかしてよ、とか、なにこのひとたちこわい、とか、そんな色にしか見えない。
なおもくんくんし続ける瞑夜がふいに顔を上げた。
「バターだよね? それも、発酵バターのにおいだ」
瞑夜の言葉に少女は驚いた。俺には、少女とすれ違ったときに少し甘いかおりがしたように思っただけだったが。
「え、そんなに……?」
少女は少し顔を赤らめて自分の袖口で口元を隠した。反応を見るに、少女には自分から発酵バターのかおりがすることに心当たりがあるのだろう。
瞑夜の目はキラキラに輝いている。宝物をみつけた犬みたいだ。ぶんぶんと勢いよく振られる尻尾の幻視さえできる。
「君、これからどこに行くの? 一緒に行ってもいい?」
下手なナンパというり、どストレートなナンパになった。
だが、これが瞑夜だ。
見かけた女の子に片っ端から声をかけるという意味ではない。自分の興味のあることにどこまでも素直なのだ。
よく言えばあくなき探求心、悪く言えば欲望に理性がきかない。瞑夜の行動は、だいたいいつもこれに尽きる。
「君といると、美味しいものに巡り合える気がする」
キラキラわんこの瞑夜は少女の手を取り、ぶんぶんを尻尾を振りながら熱い眼差しを向けた。少女は頬を染めてその視線を受け止める。
それを見て、頭の奥で、ちりっと何かが焼ける気がした。
「えっと……、じゃあ、一緒に来ます?」
躊躇いながらも少女は答えた。
「いやいやお嬢さん、だめだよ! 知らない人を連れて歩いちゃ危ないよ!」
少女は見たところ瞑夜と同じ年頃、中学生くらいだろう。そんな女の子が素知らぬ男を二人も連れて歩くなんて危険すぎる。
少女の危機意識の低さに思わず声を立てた。俺は少女に向かって言う。
「いい? 見た目がおとなしそうなひとでも、たとえ女のひとでも、突然声をかけてきたひとについて行ったり、ましてや連れて歩くなんてしちゃいけません!」
「晧暎、僕はこの子の行くところに一緒にいきたい」
「あの、すぐ近くですから、良かったら一緒に来てもらっても、大丈夫だと思います……」
「いやだからだめだってば! 君、もし俺たちが変質者で君を誘拐しようとしてる悪いやつらだったらどうするの? 君の知らないところに連れ込まれて、怖い思いさせられるかもしれないんだよ?」
なぜか同行を認める少女に俺は、設定:兄による説得にかかる。ここは少女に世の中の危険性についてしっかりと教えなければ。
「怖い思い、ですか?」
「そうだよ、君がどんなに泣いて叫んでも、誰も助けてくれないんだよ。だから、知らないひとに声をかけられても受け答えしちゃダメ……って、すでにだいぶ俺たち会話しちゃってるね?」
「ふふ、お兄さん達は怖くないです。本当に危ないひとはこんなに必死に私にお説教しません。それに、私はきっとお兄さん達が思っているより丈夫です」
丈夫とはどういう意味? と一瞬首をかしげるが、瞑夜は腕を組んで言った。
「晧暎が思うほど、見てないわけじゃないと思うよ。いろいろと」
「私、父にいろいろと護身を仕込まれていますから。この身なりで目立ちますし……声をかけられることは、そんなに珍しくはないんです」
そう言って少女はスカートを少しまくると、太ももに装着されたスタンガンとヌンチャクを見せた。
そんな物騒なものを持ち歩かせる親って。この子の過去に、すでに何かあったのだろうかと不安がよぎる。
そうか、あのくらげみたいにふわふわ揺れるスカートには秘密が隠されていたのか。
二重の衝撃に耐えていると、少女と瞑夜はすでに意気投合したようで、すでに一緒に歩き始めていた。
俺はその二人のあとを、胸にもやっとするものを抱えながら歩いた。




