6 凛として涼やか
「ここです」
少女に連れられてたどり着いたのは、古民家風の佇まいをした小さなカフェベーカリーだった。
ここに来るまでの道中、少女はこの店の手伝いをしていて、先ほどは配達の帰り道だったということを聞いた。
「どうぞ。中へ」
少女が店のドアを開けると、カランコロンと乾いた鐘の音がした。中へ入ると、こじんまりとした店内に処狭しとパンが並べられている。焼きたてのいい香りが店内に満ちていて、瞑夜の目がキラッキラに輝きだした。
「う、わぁあああっ! 美味しそうなパンがたくさん! 美味しそうなパンが! たくさん!!」
テンションがだだ上がりの瞑夜を、少女は微笑んで見ている。それから、少しお待ちくださいねと言って店の奥へ入って言った。
改めて店内を見れば、どれも手の込んだ美味しそうなパンが並んでいる。食パンは角食と山形食パン、レーズンやくるみが入ったものやライ麦のものなど種類も多い。クロワッサンはよく焼きこまれていて、見た目からもパリッとした歯ごたえがありそうなのがわかる。
今現在、基本的には瞑夜と俺は二人暮らしだ。野生児のような瞑夜の世話はほぼ俺が担っている為、家事全般はこなすことになる。自然、料理の腕もあがる。
性分なのかもしれないが、やはり美味しそうなものを見ると、どうやって作ったのか気になるところだ。自分でも作ってみたい、瞑夜に食べさせたいと思う。
しかし、この焼きたてというのは暴力的なまでに刺激的だ。
「やきたて、やきたて、やきたて、やきたて、やきたて……」
瞑夜がなにやら呪文を唱え始めるほどに、刺激的だ。香ばしいかおりと、美味しそうにつやつやとしたロールパンを見て、瞑夜の我慢も限界に近い。口から溢れる涎を必死に飲み下す様は、大好物を前に、待てを強制されている犬のよう。
だめだ、これは早く食べさせてやりたい。
いや、思い出せ、そもそも俺は瞑夜の買い食いをやめさせる決心をしたんだ。母さんを見習ってここはしっかりと瞑夜に躾という教育をしなくては。どんなに美味しそうに見えたって、どんなにいいにおいがするからって、だからそう、こ、これくらいのことで、こんな、これほどまでの、これが、や、やめさ、やめめめせて、ああああああああ。
俺の思考回路もだんだん壊れ始めたところで、さっき店の奥へ行った少女がトレイを片手に戻ってきた。傍らには、タブリエを身に着けた青年がいる。二十代後半といったところだろうか。真っ白なコックコートがすらりとした長身によく似合っている。
「こんにちは、初めまして。この店をやっている翔那といいます」
「初めまして、俺は晧暎です。こっちは弟の瞑夜。突然お邪魔してすみません」
青年はさわやかに笑って手を差し出した。俺はその手を握り、握手をする。予想以上の力で、ぎゅっと握り返された。
「それでお二人は、なんでも、凛儒のにおいに誘われたとか……?」
首を傾げながら少し訝しそうに問いかける翔那さん。そういえば少女の名前をまだ聞いていなかった。どうやら凛儒というらしいその少女は、翔那さんの隣に立って少し恥ずかしそうに下を向いている。
「娘があなたたちを連れてきたというから、何事かと思えば……」
「娘!?」
凛儒はどう見ても瞑夜と同じ中学生くらい。翔那さんは二十代後半に見える。親子と言われれば、大きな目と整った顔立ちは似ている。しかし、親子だとは気づかなかった。あまりにも年が近すぎる。
それでも翔那と凛儒が親子だということは、凛儒にスタンガンとヌンチャクを持たせたのは翔那さんということだ。
心なしか翔那さんの目が「うちの娘になにちょっかい出そうとしてんの?」と剣呑な色を帯びている。
店内の気温が五℃下がったのは気のせいでありたい。
「ええまあそんなところです。本当にすみません。弟が、どうしてもお嬢様についていきたいというものですから。少しお店を見せて頂ければ結構ですので。決して怪しいものではありませんから。すぐに退散します」
自分で言っていて怪しいと思う。においにつられて少女の後をつけるなんてちょっとした変態だろう。そんなひととはできればお近づきになりたくない。
とても美味しそうなパンが並んでいる店内を少し見させてもらって、今日のところは退散しよう。後日改めてまたここへきて、ゆっくりと美味しそうなパンたちを吟味しよう。
これ以上変なことをして翔那さんの機嫌を悪くさせるわけにはいかない。翔那さんの目は、娘につきそうな変な虫をどうやって殺虫してやろうかという目になっている。
俺は店内を見て回っていた瞑夜に向き直り声をかけようとして、
「って瞑夜――!? お前なに食べてんの!?」
口いっぱいにクロワッサンを詰め込む瞑夜がいた。それはもう美味しそうにもぐもぐしている。幸せそうに目元を緩ませて頬張る姿は、「待て」から解放された犬のよう。
「やめて――!? なんでこの状況で食べてんだよ! 誰が食べていいって言ったよ!?」
「凛儒がくれた」
もぐもぐしながら少女を指さす瞑夜。凛儒は頬を赤く染めて、今度はバターロールを瞑夜に与えた。
ぱくりとかぶりつく瞑夜を見てなにやら満足そうに笑うと、金色の巻き髪がふわりと揺れた。凛儒の背景に花が満開になっているのが見える。
「すみません、翔那さん……。弟は食い意地が張っているもので……美味しいものには目がないんですよ……」
ばくばくと食べていく瞑夜を見て嬉しそうに笑う凛儒の姿を見て、翔那さんも毒気を抜かれたらしく、剣呑だった目を緩めてふっと笑った。笑うと目元にしわができて、愛娘を見守る父の顔になった。
「ずいぶん美味しそうに食べてくれるね。そんなに気に入った?」
「うん。最高に美味しい! 特にこれ。このクロワッサンが最高だ。これ、発酵バターを使っているよね? 食感といい香りといい、本当に美味しいクロワッサンだ」
「そうだよ。よくわかったね」
「凛儒からしたバターのにおいは、これだったんだ。あとはカルツォーネ。エリンギが入ってるけど、ベースはラタトゥイユのやつ。トマトの酸味とチーズのコクがいい。これ、すき。あと、バゲットもいい! 焼き皮がパリっとして、あじわい深くて、あとからじわじわ旨味がくる。たまらない」
幸せを噛みしめながらの感想に、翔那さんと凛儒は軽く目を瞠った。もうそんなにいろいろ食べたのかという驚きなのか、瞑夜の感想が予想以上に的確だったからなのか。後者であることを願う。
「そ、そうか。そんなに気に入ってくれたのなら、ぜひまたくるといい。いつでも歓迎しよう」
「また、きて」
驚きの表情を浮かべたままの翔那さんと、ほっこりした様子の凛儒。
二人に見送られて俺たちは店を後にした。
美味しいものが食べられて満足げな瞑夜は、いつの間にか手に袋を下げている。
「瞑夜、それどうした?」
「凛儒が持たせてくれた」
袋の中を見ると、カレーパンとクリームパンがふたつずつ入っていた。つまみ食いした上にお土産までもらってる!? そうだ、お代! 瞑夜が翔那さんの店で食べたパンのお代を払っていない。なんだかうやむやなまま店を出てきてしまった。
母さんごめんなさい。これでは鬼兄とは言えません……。
瞑夜の傍にいながらつまみ食いを阻止できず、支払いもせず、果てにはお土産までもらってくるという。なんという体たらく。
深いため息とともに頭を抱える俺に瞑夜は天使のような笑顔で言う。
「だから言ったでしょ? 僕の貰い食いは治らないって」
得意気に胸を張る瞑夜の魔性に脱力しかできない晧暎だった。
読了ありがとうございました。
この話の主人公ふたりを、もう一作の「ひよっこ陰陽師」シリーズに登場させたいと思っています。
暇つぶしになれば幸いです。




