1月22日(日) ♪3
「さあ、無事に手術が終わりましたよ。桜田さん、こちらへどうぞ」
さっき、待合室で目薬を注してくれた看護士に手を引かれ、紫は手術台から起き上がる。それからゆったりとした足取りで手術室を出た。手術室を出ると、緑色の手術着をゆっくりと脱がされる。その頃になると、ぼんやりとだがメガネがない状態なのに、いつもよりもよく見えるようになってきた。深い霧が少しずつ腫れていくような不思議な感覚に紫はただ驚く。手術着を脱ぐと、そのまま診察室へと通された。看護士がドアを開けると、すでに女医が待っていた。手術が終わったばかりなのに、大したものだと紫は思う。
「桜田さん、どうですか? 見え心地のほうは…」
「まだ、白い霧がかかったような状態ですが、メガネかけていないのに、先生の顔が見えていることにビックリしています」
「そうですか。これから、目がなじんでくれば、もっと、はっきりと見えるようになりますよ。ただ、今日から三日ぐらいは、まだフラッペが目になじんでいないので、どんなに目がかゆくなっても絶対に目をこすらないでください。また、寝る時、寝返りなどで目を押さえつけないよう、寝る前に必ずこれをつけてください」
そう言って、先生は目を覆う丸くて透明なプラスチックを紫に渡した。それは手術中に使った視力検査で使う目隠しと同じ感触であった。手術中はよく分からなかったが、これを手術していない方の目にかぶせていたのだろう。それから先生は紫からプラスチックを再度受け取って、使い方を実演した。プラスチックを目にかぶせた後、専用テープでずれないように固定するだけのシンプルなものであるが、自分で自分の顔につけるのは案外難しいに違いない。
「それから、しばらくはレーシックの副作用で目がよく乾くので、これを二時間に一回を目安に注してください。で、これは二日で一本となります」
またしても、先生は実演した。江角先生は実演するのがお好きなようだ。その目薬は単四電池ぐらいの大きさで、ちょうど二日ぐらいで使い切る量しか入っていない。紫は頷きながら見ていた。
「あと、事前検査の時も説明しましたが、しばらくは術後経過を見るために、何回かここへ来てもらわなければなりません。水曜日は平日ですけど、空いていますか?」
平日はちょっと厳しいな…。紫はそう思った。しかし、辞める前に有休を使い切らないともったいないな…と感じ、水曜日は夕方四時に行けると女医に告げた。水曜日は一日休もう。それが無理なら早退でもしよう。紫はそう思いながら江角眼科クリニックを後にした。
帰りの電車の中で、今までかけていた黒ぶちメガネをかける。すると、あらゆるものがグニャリと曲がった変な世界しか見えない…。その上、目がすごく痛むのですぐに外した。そうか…、今までこんな物をかけていたのか…。紫は改めて自分の目の悪さに驚くと共に、レーシックで視力がよくなったことを改めて思い知らされる。
これまでメガネは体の一部とさえ思っていたのに、今では完全に邪魔である。そして、レンズの壁で世界と自分が隔てられていたことを痛感した。電車を降りると、紫は駅のゴミ箱に黒ぶちメガネを捨てた。メガネを捨てただけと言うのに、紫はとても身軽になったように感じた。
それは目の中にコンタクトを入れて、味わう束の間の身軽さとは全く違う。コンタクトで周りの人々をごまかせても、自分をごまかすことはできない。レンズを目の中に入れただけで、レンズで外の世界と自分が隔てられていることは変わっていないからである。
メガネやコンタクトから解放されることは、一つの革命であると言っても過言ではない。紫は自転車で家に向かいながら、レンズ越しの景色と、裸眼が全く違うことを何度も何度も噛み締めるのであった。




