その2 不安と安心
お姉ちゃんと付き合えることになった。
お姉ちゃんが名前で呼べって言うから、お姉ちゃんとふたりきりのときはちゃんと「日向」って呼んでるけど、どんなときでも名前を呼ぶっていうのは、まだ恥ずかしい。
付き合い始めてから変わったことは、呼び方だけじゃなかった。
連絡の頻度が増えた。
多くなったと言っても、普通のカップル……カップルってなんかいいな。……じゃなくて。いたって普通。仲良い友達より少し多いくらいのもの。
そう、つまりは元が少なすぎたんだ。
それは、お姉ちゃんが優里先輩と口裏を合わせて私を遠ざけようとしていたから。実際に勉強が忙しいというのは嘘じゃなくて、お姉ちゃんも優里先輩も、私なら倒れちゃいそうなくらい勉強している。
だからって、全く連絡を返してくれないのはおかしいとは当時の私も思ってたんだよ?朝に送った連絡が夜にしか返ってこないなんて、いくら忙しくても、ねぇ?
私も私で素直だったから、お姉ちゃんと先輩がそう言うんだったらって信じてたけど、今になって考えればあり得ないよね。
お姉ちゃんへの告白の返事を待ってるどきどきと、最終的に付き合えた喜びで、当時はあまり意識を向けてなかったけど、よくよく考えたら結構酷いことをされてたんじゃないかってもやもやしている。
だからって、別にお姉ちゃんに謝ってほしいわけじゃない。と思う。
ただ、あのときのお姉ちゃんは私と離れることをつらいと思ってなかったからその選択ができたわけで、今のお姉ちゃんも元をたどればそのときのお姉ちゃんなわけ。
要するに、不安なんだ。
付き合って数カ月が経った。慎重に慎重に距離を詰めようとした結果、まだ手しか繋いでいない。手を繋ぐことにはお姉ちゃんも慣れてきたみたいで、私からじゃなくても繋いでくれるんだけど、そこから先を求めてくる気配が一切ない。
何か、何か私が愛されている確証が欲しい。
「――かげ、小景」
「えっ?何だっけお姉ちゃん?」
「え?お姉ちゃん」
「あぁ、ごめん」
お姉ちゃん。日向に呼ばれて、私は思考の海から顔を出した。ここはお姉ちゃんの家の近くにあるカフェ。どうやら私は、アイスティーにいれたガムシロップを無心でかき混ぜているうちに、ぼーっとしていたらしい。
「何か悩み事?」
日向が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。アイスティー回しの刑から解放された、私の右手に日向の手が被さってくる。こうやって気軽に触ってもらえるようになったのはやっぱりうれしい。
「え、えっと。いや、大丈夫」
日向は日向のペースで歩み寄ってくれているのに、私がわがままなだけなんだから、もうすこし待たないと。
そう思って言った「大丈夫」を日向は気に入らなかったみたいだった。
「話してよ」
「でも、日向に迷惑かけたくない」
自分の気持ちをうまく吐き出せない言い訳に日向を使ってしまったことを自覚したころには遅かった。
「迷惑かどうかは私が決めるから、とりあえず話してみてよ」
話すこと自体が迷惑だったらどうするの?って言いたかったけど、もう、そういう屁理屈をこねている空気じゃなくて、私は観念した。
「分かった。けど、ここじゃ恥ずかしいから、場所、変えたい」
「そう?分かった。じゃあこれ飲んだら、私の家に行こっか」
私は頷いて、アイスティーに口を付ける。お互いのちょっとピリッとした空気を感じながら、飲み物が無くなるまでは何気ない会話を続けた。
◇ ◇ ◇
「お邪魔します」
日向の家までの道のりはほとんど会話がなかった。いつもどおり手は繋いでいたけど、カフェを出てしまえば、もう雑談って感じでもなかったから。
ふたりして床に腰を下ろしたのを確認して、日向が口火を切る。
「それで?何を悩んでるの?」
「……ほんとに言わなくちゃダメ?」
「本当にどうしても嫌なんだったらもう聞かない。でも、私は聞きたいよ」
「嫌とかじゃないんだけど、その、恥ずかしい」
でも、気持ちを抑えておくのもつらい。だから正直に打ち明けることにした。
「私、不安なの」
「不安?」
「お姉ちゃんは私のこと好きになってくれてる?私、ずっともやもやしてた。私がお姉ちゃんから離れようとしたとき、私はなんにもできなくなるくらいつらかった。でも、お姉ちゃんが優里先輩と一緒に私を遠ざけようとしたとき、お姉ちゃんは全然つらくなかったでしょ?」
私はなんて強欲な人間なんだ。せっかくお姉ちゃんと結ばれる願いが叶っているのに、もっとを求めるなんて。
「お姉ちゃんの気持ちがそのころから変わってないのかもって思ったら、怖い」
「そんなことないよ」
「それに、呼び方だって!私に『お姉ちゃん』って言われたら、やっぱりおかしなことをしてるって思っちゃうの?」
「ち、ちが――」
「じゃあ、私が間違えてお姉ちゃんって言っちゃってもビクッてしないでよ!私もちゃんと日向って呼べるようになるから。あんなっ……あんな、周りを気にするような態度」
不安が口と目からあふれ出して、床に落ちる。
「ごめんね。わがままなこと言ってるって、私も分かってる。ふたりのペースでって話してたのに、勝手に不安になってるって」
「ううん。小景は悪くないよ。私が不安にさせちゃってるんだよね」
お姉ちゃんが私を抱き寄せる。これじゃ私は、お姉ちゃんに「お姉ちゃん」の役割を押し付けている。分かってても、これを心地よく感じてしまう自分が憎い。
「そうだ、小景!私の気持ちを伝えられるもの。あるよ!」
「伝えられるもの?」
「うん!だからちょっと目を瞑って待ってて!」
そう言って、お姉ちゃんが立ち上がった。私は言われるがままに目を閉じる。目の代わりに耳を澄ませてみる。お姉ちゃんはゆっくり歩いているのか、足音が全く聞こえない。何かプレゼントでもくれるのかな?そんなことを考えていたら、ふと――
唇に何かが触れた。
私は反射的に顔を引いて、目を開けた。そこには、その場を離れたと思っていたお姉ちゃんがいて、顔を真っ赤にしている。
今のって?
「……伝わった?私の気持ち」
分かる。分かるよ。何が起きたのか。でも――
「つ、伝わらないって言ったら?」
「……じゃあ、今度は小景がお手本見せて?」
「分かった。日向。怖かったら言ってね」
今度は私が、日向の唇に自分の唇を合わせる。
「はぁ、こっ、こかっ、げっ、んんっ」
最初よりも長い口づけに、日向の息が上がる。一瞬だけ息継ぎをさせたあと、もう一度呼吸を奪う。
「すきっ、ひなた」
ずっと夢に見てた「もっと」が手に入った。初めての口づけはあまりに気持ちよくて、私は夢中で日向を貪った。ふと、目を開けると、日向が息苦しそうに目元に涙をためていた。そうだ、私と日向じゃ体力が違いすぎる。
私は慌てて、体を離した。
「ごめん日向。嬉しくてつい」
「いいよ。今の『苦しい』は嫌いじゃない」
そう言って、目元を拭って日向が微笑んだ。
「……日向」
「何?」
「好き」
もう一度、私は唇を近づける。次は日向も自らの唇を差し出す。
部屋には、ふたりの名前と吐息と好きだけが響いていた。




