第73話 小景と日向
ふたりで見に来た映画。それはそのまま、私たちの初デートへと形を変えることになった。
デートとなると、この恋愛系の映画が持つ意味も変わってきてしまう。
ひとりで食べるには少し多いサイズのポップコーンと、それぞれの飲み物を買った私たちは、中央よりやや後方にある、周りの席が埋まっていない場所に並んで座った。
映画の公開から1週間が経ち、お盆も過ぎていたため、後方の座席から場内全体を見渡すと、どちらかと言えば空席の方が目立っていた。まだ上映まで少し時間があるから、その間に人は増えるだろうけど、私の周りまで埋まることは到底なさそうだった。
「おねっ……日向。なんかどきどきするね」
私の右側に座っている小景は、慣れない名前呼びに苦戦しながら、小声で私に話しかけてくる。その様子が愛おしい。
晴れてカップルになった私たち。といっても私はまだ小景に恋愛感情100%で向き合えているわけではない。でも、小景のこういう健気な姿には、妹としてかわいいというだけではない、特別な愛らしさを感じている気がする。
「私も」
小景が言う「どきどき」が映画に対するものなのか、デートに対するものなのかは分からなかったけど、私は小景の「どきどき」に同調した。少なくとも私は人生初のデートにどきどきしている。
私は気を紛らわすようにポップコーンに手を伸ばす。もうすぐ待ちに待った映画が始まる。
◇ ◇ ◇
エンドロールが流れ切って、真っ暗だった部屋に照明が点灯した。
映画が終わって、他の人たちが続々とはけていく中、座席に座ったまま映画の余韻に浸る私は、映画の内容とは関係のない反省点を抱えていた。
ポップコーン。買わなければよかった。
量とかの問題じゃない。実際、2時間弱の映画の間に私と小景はちまちま食べ進めて、最終的には完食した。
同じポップコーンに手を伸ばせば、ふとした拍子に手が触れることもある。私は、ポップコーンを購入するタイミングでそのことまでは考慮に入れていた。
小景の手が不意に触れても、昔のことを思い出すことはなくて、小景が隣にいることが分かっていれば、もし急に手を掴まれたとしても、以前のような過敏な反応はしないという確信があった。
私には別の計算違いがあった。小景と手が触れ合うたび、むしろ私の方が手を繋ぎたくなってしまっていた。
今まで触れられることを過度に拒否していた反動なのか、安心して触れられる温もりがそこにあると、私の方から触れたいという欲求が湧いてきてしまっていた。
でも、ポップコーンで汚れた手で小景の手を取るわけにもいかなくて、私は変にポップコーンを恨みながら映画を見ることになった。
「日向。どうかした?」
人がある程度はけた場内で、座ったまま脳内反省会をして、微妙な表情を浮かべている私を、小景はそのまん丸な目で覗き込んでくる。
恋愛映画を見たからなのか、付き合ったからなのか、小景の体のパーツひとつひとつをじっくりと観察してしまう。
「ご、ごめん。なんでもない。このあとどうしよっか?どこかでゆっくりしながら感想話したいね」
座席から立ち上がって歩き出す。小景も私について歩き出す。
◇ ◇ ◇
近くのカフェで映画の感想を語った帰り道。夕日に照らされながら私たちは駅からの道を歩いていた。
「日向。今日は楽しかったね」
「うん。次の楽しみもできちゃったし」
私は、小景と手を繋いでいない方の手に提げたビニール袋を軽く揺らして見せる。その袋の中には、次に一緒に読む本が入っていて、小景の手にも同じ袋が握られている。
「また、頑張って読まないと。……って、いや違うよ?無理してるってわけじゃなくって。やっぱりまだ、本を読む習慣がないっていうか」
「ううん。私の方こそ付き合わせちゃってごめんね」
「ふふっ。日向にもバドミントンに付き合ってもらうから、そこは言いっこなしだよ」
「……お手柔らかにね」
他愛のない会話をしながら歩く私には、今日一日で分かったことがある。
私は小景のことを恋愛対象として好きになれる。
私たちの将来に関する不安は、まだまだいっぱい残っている。進学や就職、小景の家族との今後の付き合い方。優里や美華ちゃん、葵ちゃんやおばあちゃんへの報告。
未来への不安なんて、数えだしたらキリがないのかもしれない。
でも、ひとつだけ、私が小景をちゃんと好きになれるかという不安は、今日で解消されたと思う。いや、されたと言い切っていい。
「ねぇ、小景」
「何?日向」
「私、今幸せだよ。小景と再会してからいろんなことがあった。これからもいろいろあると思うけど、今。今この瞬間は間違いなく幸せ」
繋いでいる手に力がこもる。共鳴するかのように、握り返された手から伝わる力ですら心地いい。
「うん。私も。お姉ちゃんとしても、日向としても、大好き。ずっと一緒にいようね」
◇ ◇ ◇
ジリリリリリ!
うるさい目覚まし時計を止める。私としてはアラームはスマホで十分なんだけど、「朝起きられないから」って言うもんだから、この目覚まし時計は仕方なく買ったものだ。
それでも、結局止めるのは私。
眠い目をこすりながら、体を起こす。
大学生活は意外と順調だった。3年生というのは、大学生活にも慣れ、就職活動が本格化する前の最後のゆとりある時期でもあった。
私は横で寝ている恋人の頬を撫でる。そもそも彼女のためのアラームなんだから、自分で起きて止めてほしいものだ。
「朝だよ。起きて」
「んっ、んん」
どうやら、まだ起きないつもりらしい。仕方ない。先に朝ご飯でも準備しようかな。私は彼女の頬に口づけをしてから、ベッドから出ようとした。すると――
「ひっ、日向!いっ、いま!いま!」
飛び起きた小景は、私の唇が触れていた場所を手で押さえながら、目を見開いていた。
普段、私からキスすることは滅多にない。別に私がしたくないという訳ではないんだけど、私がしたいと思うときには、小景がねだってくるので、結果的に私は受け身のままキスの欲求を満たせてしまっていた。
だからこそ、今のキスは小景にとって相当なインパクトがあったんだろう。これまでだって何回も唇を合わせてきたし、これからも続いていく。それでも、今なお初めてのようにどきどきしてくれる小景。そんな愛おしい私の恋人に向かって、私はあの日のように、いや、今ではすっかり日課になった目覚めの挨拶をする。
「おはよう。小景」




